いきなりズカズカと事務所に押し入ってきたひどく酒臭い女は、俺の顔を見る金切り声をあげた。
「単刀直入に聞くわよ!いいわね?」
「あなた、うららのなんなのよ?」
∵ P o s i t i o n ∵
a c t _ A
正直な話、俺はとっさに何が起きたのか判らなかった。
仕方が無いから、自分の置かれたこの状況をもう一度考え直してみる。
まずここは俺のヤサで、今は午前1時過ぎだ。
今日はいつになく手間取った業務を、どうにかこうにか期限内に無事終えた。
連日の残業で疲れきっていたくせに『泊まる~!』と騒いでいた芹沢を家に帰し、 ひとっ風呂浴びて、あいつの作り置いていった料理で軽く飯を食って。
TV付けるのも億劫だからソファーでくつろぎつつ、いつもより少し高級な酒を飲んでいた。
明日も早いし、もうそろそろ寝るか……っと、その前にもう一杯。
キッチンへ出向き、棚の秘蔵の酒に手を伸ばしてグラスへ注いでいるところに、ボガーンと激しい轟音。 何事かと慌てて飛んできてみれば、酒で正体を無くし、(むしろ本性を現したと言った方が正しいか) 俺の家の玄関の鍵をぶち壊して、不法侵入して来た迷惑極まりない酔っ払いの乱入ときた。
そいつは人の顔を見るなり大声で罵詈雑言、管巻きの数々、挙句落ち着かせるために水を飲まそうとした途端、 殴るわ蹴るわ引っかくわ。一悶着の末、どうにかソファーに座らすことに成功した。…ここまでは良し。
で、本題だが。
俺の座るソファーの正面の客用ソファーを陣取り、腕を組んでフーフーと気の狂った熊のように息巻いている女を見る。 テーブルとその上に置いてある酒やら水やらが俺たちの三十八度線だ。
天野は酔ってるせいかいつも以上に殺気立ち、目がぎらぎらと血走っている。
見たところ、この女のお気に入りの武器の類は持っていない。それは俺にとって幸いと言えよう。
酔っ払いを相手に自分のヤサでドンパチをおっぱじめるほど、こっちも余裕があるわけじゃねぇ。
復讐も何もかも終わった今、面倒事はできるだけ避けたいのが本音だ。
厄介払いしたいのは山々だが、つまみ出したところで外で騒ぎだす事は目に見えているし、まさか急所を殴って気絶させるわけにもいかない。 手っ取り早くドルミナーでもかけられれば良かったのだが、残念ながら手元には睡眠系を持つペルソナは無い。 これ以上暴れられる前に、いっそのこと朝になるまでDYINGにしちまおうか。いやいやそうするとまた後が面倒臭せぇ。
それにしたってこんな時間に人の家のドア壊して勝手に転がり込んできて、何だってんだ。
考える程に不満の増していく俺の手の中で、グラスの中の氷が妙に張り詰めた空気に怯え、カラリと鳴った。
するとまるでそれが合図だったかのように、天野は口火を切った。
「本当、あなたってなんなのかしらね。そんな胡散臭い服装と髪型のくせに! なぁ~にがゴールドスーツよ、へっ!笑っちゃうわ。ちゃんちゃら可笑しいっての! あなたみたいな男にはね、所詮酔いどれスーツがお似合いよ! イケイケたすき付けて金網タイツでも履いて、そこいらで踊ってなさいな。」
「おい…」
俺に口を挟ませる余裕を与えず、天野は早口でまくし立てる。
深夜騒音だとか、近所迷惑だとかそう言った世間一般的な常識は、酔っ払いにはやはり通用しないらしい。
「それにどうなの、その髪は。ロンゲなの?ロンゲなの?超ロンゲ?あなたって育毛マニア?
そーんなにその長ったらしいキューティクルが自慢なの。 今時ヒッピーでもあるまいし格好悪いったらありゃしないわよね。 モヒカンのほうがまだマシだっつーの!」
「天野…」
「アクセサリーにしたってそうよ。どこぞの有閑マダムみたいにジャラジャラジャラジャラ。 でかい宝石たくさん付けてればいいってもんじゃないのよ。大切なのはおしゃれなワンポイント!
そんなごっついドーベルマンの首輪みたいのじゃだめだめだわ。」
「だからよ…」
「何よりもいやなのがそのサングラス! フレームはチタン?鉄?アルミニウム?一体全体そういうのどこで売ってるのかしら。台湾製なの? ただでさえ胡散臭い風貌なのにそんなものしてたら胡散臭さと怪しさが当社比5.7倍アップ!!
って、あーーーーーーーもーーーーーーーーー!腹が立つーーーーー!!」
一通り言いたいことを言い尽くした天野は、ハーハーと息をつぎ、グラスの水を一気に飲み干した。
よくもまぁ、こんなつまらない事にここまで舌が回るもんだと俺は半ば驚嘆しつつも、先刻から抱えていた質問をしてみる。
「…気は済んだか?結局のところお前さんは何しに来たんだ。俺のセンスにケチ付けに来たのか。」
「違うわよッ!」
天野は返事にあわせて水の入っていた空のグラスをテーブルに叩きつけた。
「じゃあ、一体何しに来たんだ。」
「うららのことに決まってるでしょう!」
もう一度天野が、今度は拳でドンとテーブルを叩いたその衝撃で、テーブルの上の物が軽く宙に浮かびガチャガチャと悲鳴をあげ、 おまけにピッチャーの水が飛沫をとばす。
「だいたい何様のつもりよ。いきなり横から私たちの間に割り込んできて。
最初はあーーんなに冷たかったくせして、急に態度変わっちゃうし。調子いいわよね??」
天野の真っ赤な顔は今にも湯気が立ち上ってきそうになっている。
「…随分と酔ってるように見えるんだがな。頭冷やしたほうがいいんじゃねぇの。」
「私は酔ってない!」
酔っ払いが必ず言うお約束の科白を吐き、天野はまた拳でテーブルを叩き、完全に据わった目で俺を睨み付けてきた。
「あなたのこと、はっきり言ってあまり好きじゃないわ。だって私からうららを奪おうとするんですもの。 それでも、必ずうららを幸せにするって言うのならまだ考えようもあるわ。
でも、あなた、あのこを傷つけてばかりじゃない。しょっちゅう、うららは部屋で一人泣いてる。
私に気付かれないように声を押し殺して、泣いてる。
うららを悲しませるなんて…それだけは許せない。勘弁ならないわ。」
泣いている?芹沢が?驚きで急激に喉が渇いていく。
考えられる理由は一つしかない。それは、きっと…けれど。
「…俺は泣かせているつもりなんてねぇ。例えお前の言うとおりあいつが泣いているとしても
そいつは、あくまで俺たち二人の話で、お前さんには関係ないだろう。」
俺は努めて冷静にそう言い放つ。
天野は俺の発言を予想していたのか、すぐに口を開いた。
「そうね、確かにあなたたち二人の問題よね。私は部外者。 あなたたちが話し合うことで解決する問題なら私も口出しはしないわ。
でも…そうじゃないから、それじゃあ解決しないから私が来たのよ。」
天野は目線をゆっくり下に移した。
「どういうことだ。」
「あなたにとって、うららは何?あなたは、うららの何なの?」
「…」
「うららを悲しませないで。」
小さい息を吐き天野は、その責めるような目をつぶり、やがて囁くような掠れた声で言葉をつむぎだした。
「鎮静剤…。
寄る辺無い女より哀れなのは追われた女…。
追われた女よりもっと哀れなのは死んだ女…。
死んだ女よりもっと哀れなのは 忘れられた女…。」
「…」
「でも、私は知っている。忘れられた女よりも更に哀れな女を。」
閉じた瞳をゆっくりと、ゆっくりと開けた。
「そして、あなたも知ってるわよね?」
何もかも、見透かしたような瞳が俺の体を射抜いていく。
「何が言いたいんだ。」
天野が言うであろうその続きに、俺の体内の血が逆流をはじめ、皮膚全体に鳥肌が立ちだす。
空気が、ささくれ立つ。
「じゃあ、はっきり言ってあげるわよ。
…あなたの中の美樹さんを、彼女を『縛り付ける女』にしたいの…?」
予想通りの言葉だったが、それでも俺は電気が全身を走りぬけたような気がした。
芹沢が泣く理由。天野が激昂する存在。それは同時に、俺の中の不可侵の域でもある。
俺にとって、触れてはならないところに触れる人間は、すなわち邪魔者でしかない。
「――酔って御高論のたまうのは一切構わないがな、俺をあまり怒らせるな。」
「ふふん。あなたが100人集まって怒ったところで、私にとって何一つ怖くなんかないわ。
私にとって一番怖いことは、うららが苦しむこと。うららが幸せになれないこと。
あなたみたいな中途半端な男が何人いようと、全員まとめて返り討ちにしてやる。
私が間違いなく息の根を止めてやるから、安心して地獄に落ちなさい。」
天野がよろりと立ち上がった。
「うららは、あなたみたいな男には勿体無い。覚悟なさい…必ず、返してもらうから。」
そう言って、天野はテーブルを蹴り倒した。
ガシャガシャーンと大きな音を立てテーブルがひっくり返り、上に乗っていたものが飛んでいく。
ピッチャーが水を跳ね飛ばしながら転がり、グラスと酒の瓶は割れ砕け、酒がツンとした臭いを振りまき水と交じり合いながら 床に広がっていく。灰皿はひっくり返り、タバコの灰が空に舞う。
「いい度胸してるじゃねぇか。」
「チョメチョメタイムよ……」
張り詰めた空気は最高潮を迎えた。
湧き上がる青白い光が俺と天野のお互いの体包んでいく――
と。
「な、なんの騒ぎだ!?今の音はなんだ!」
テーブルのひっくり返った音を聞きつけたらしく、転がるように入ってきたその男は、ぜぇぜぇと肩で息をしながら俺に声を掛けた。
思わぬ男の乱入で、ぴりぴりと、まるで氷のように冷たかった空気は、温風にさらされ、毒気を抜かれたかに融けていく。ついでにペルソナも引っ込んでいく。
「どうしたんだ!悪魔でも出たのかっ!あの扉は、いやそれよりもこの惨状は一体―――。」
散々たる部屋のありさまを見て、男は素っ頓狂な声をあげた。と、同時。
「あーー克哉さんだーー!」
その姿を確認するや否や歓声を上げ、まるで子犬が飼い主に飛びつくような勢いで天野は周防に走り寄った。
「克哉さーーーん」
そのまま、がばーっと天野は周防に抱きついた。その勢いで周防が床に転がり、天野が上に覆い被さる。
「え、え、え、え?あ、あ、あ、あ、天野くーーーん!?」
突然、押し倒され馬乗りされ、しかも顔に胸を押し付けられた周防巡査部長様は、今置かれた自分の現状が理解できずにパニックを起こしているようだ。
「天野君!良かった!その、僕は謝りに来たんだ。僕の発言が君を傷つけてしまって…って、ちょ、あの!」
必死になって天野の胸攻撃をかわそうとする周防にお構いなく、天野はもっと力をこめてしがみ付く。
「聞いてよ!パオフゥったらひどいのよ。」
周防が来ても、話のネタはやはり俺らしい。
「あ、天野君!話は後でゆっくり聞くし、これも嬉しいけど、今は降りてくれないか…?僕は君と話が…」
嬉しさと恥ずかしさと苦しさでおたおたしている周防が面白い。
天野はひたすら周防の顔に胸を押し付け、抱きつく。
「さ、嵯峨…!え、援護を…たのむ……た、助け……」
今の天野はコンタクト不可と感じたか、周防は俺に助け舟を求めたものの、俺は助ける気などさらさらない。 これ以上天野に付き合うのは御免だし、なによりもこんな面白いもの見逃せるか。
「ひどい!克哉さん、私よりもパオフゥを選ぶって言うの!?」
俺に助けを求めたことで、天野は激昂し、周防の立場は悪くなったようだ。
「…やっぱり、克哉さんは私なんてどうでもいいのね…むしろパオフゥがいいのね!?」
「ち、違う!僕の話を聞いてくれ!君の話はちゃんと聞いてるし、第一パオフゥなんか良くない!
君と話がしたいから…だ、だから、降りてもらえないかな!」
「なによ!パオフゥなんか――」
周防の叫びは『溜め』に入った天野の耳に届いていない。
「冷血漢なうえにやさぐれてるし服のセンスなんて最悪じゃない!」
「うん、そうだね、そうだ!僕も知ってる!知ってるから落ち着いて――」
天野は周防の顔を胸に挟んだまま、首をぶんぶんと左右に振り出した。
「克哉さんのバカーーーーー!」
その振動は間違いなく周防の顔を挟む胸にも伝わり、天野をどかそうと必死な周防自身にも正確に伝わっていることだろう。
「ゆ、ゆ、揺さぶらないでぇぇ~~~~~!天野くん~~!!」
周防の絶叫が部屋に響く。
俺の中で糸が切れた。もはや笑いはとまらない。
ついに天野は周防の頭を抱えたまま、その全身をがくがくと揺さぶりだした。
「パオフゥなんなのよーーーー!克哉さん惑わしてその上ッ!」
今、周防を惑わしているのは間違いなくお前だ、天野。
そんなツッコミはともかく、俺には周防の顔が見えないのが本当に残念でならなかった。
「天野君!お、お願いだから…こ、これ以上は…や、や、やめてぇぇ~~~!」
その切羽詰った声を聞く限り、周防の中で理性と本能とが戦っているのだろう。
別世界へとイキそうな周防に追い討ちをかけるように、ぎりぎりとその首を締め上げる天野。
「そのうえ…そのうえ~~~!」
「い、息ができな…あ、あまの…く…」
本当に別世界へ逝きそうな周防よ。今死んだらその死因は『巨乳による顔面圧迫の末の窒息死』だぜ?
「うららを!私のうらら~~を~~を、うら、うら…うぅ…」
「ぐ……うぐぐぐ…」
ふにゃふにゃと言いながら天野はずるずる滑り落ち、終いには先刻とは逆に周防の胸に顔をうずめてしまった。 同時に周防も力尽きたのかばったりと倒れ、かく言う俺は腹を抱え笑い死にしそうになっていた。
数分後、俺はひとしきり笑い終えたので、周防に声をかけてみた。
「おい、生きてるか?」
周防の指がわずかにぴくりと動く。
「…か、かろうじて。」
上ずった返事をし、周防がよたよたと上半身を起こした。
赤面し、両手で鼻を抑えているのを見たとたん、また俺は腹を抱えて笑い転げずにはいられなかった。
「す、周防。気持ち良かったか~~~?」
「いやぁ、そりゃあもう気持ち良すぎて死にそうでした…って何を言わせるんだ!」
真っ赤な顔の周防がさらに顔を赤くし両腕を振り上げた。が、すぐに大きく咳払いをし腕を下ろす。
「いや、それよりも、嵯峨…。天野君のあの様子、この部屋の惨状、一体何が起きたんだ。」
「そうだな、じっくり説明してやるから、その前に詰めとけ。」
俺は周防に箱ティッシュを投げてやった。
結局、天野はそのまま気持ち良さそうにすやすやと寝息を立てはじめ、騒ぎは終焉を迎えた。
後に残されたものは、ぐちゃぐちゃになってバーボンのにおいが充満する部屋と、天野の特攻によって鼻血を吹いた赤面周防だけになった。
「ったく、騒ぐだけ騒いだ挙句、とっとと寝ちまいやがって。」
ひっくり返されたテーブルを元に戻しながら、寝ている天野にとりあえず文句を言う。
「すまなかったな、嵯峨。僕も手伝うよ。」
これまでのあらましを聞いた周防が、申し訳なさそうに謝ってくる。鼻血は無事止まったようだ。
割れたガラスのかけらを拾おうとしているが、その両腕には天野がぴったりしがみ付いていてはがれそうもなく、むしろ危なっかしくてたまらない。
「ああ、いい。そのままでいろ。お前が動いて、天野に目ぇ覚まされたらもう俺も部屋も、もたねぇ。」
しっしっと手を振ってからそこいらに座るように促し、俺は風呂場に雑巾を取りに行った。
俺がバケツと雑巾を持って帰ったとき、周防はソファーの上に座っていた。
大虎酔っ払い天野は、周防の膝の上に移され、何事も無かったかのような寝顔を披露している。
「お前がついていてなんでこんなことになったんだ。酒はパアになるし…全く、いい迷惑だ。」
大きなガラスの破片を拾いながら、周防を見る。
周防は急に話題を振られたことに驚いたのか、先ほどの胸の余韻に浸っていたのか、ハッとし、だがすぐにいつも通りの表情に戻った。
「その…実は、今日…前からなんて言うか、その、デートの約束していたんだけど…」
「ほう。デートか。お前らもそれなりに進歩してるんだなぁ。」
ガラスの破片をごみ箱に投げ入れ、俺がニヤリと笑うと、周防はあっという間に茹でダコに変わった。
「ちゃ、茶化さないでくれ!僕はマジメに話してるんだ。」
サングラスを直しながら、タコ周防は叫んだ。
「あぁ、そいつはすまねぇな。続けてくれや。」
雑巾で床を拭きながら、軽く周防をいなす 俺の態度に納得いかなかったのか、ややふて腐ったものの、周防は勿体ぶった咳を一つし、また話をはじめた。
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