「天野君、最近何だかもう色々とストレスが溜まっていたらしくてね。
いつもの彼女からは想像もつかないくらいのハイペースで飲んでいたんだよ。
それで、まぁ、酔った勢いもあったんだろうけれど、それなりに職場の愚痴とかをポロっと零したり。」
周防は話しながらタバコに火をつけた。
そのストレスにはもちろん俺も含まれているんだろうなと苦笑しながら、雑巾を絞りつつ周防の話に耳を傾けた。
「確かに、僕も悪かった。というか僕が諸悪の根源なんだ。
いつも明るくて元気な彼女が、僕を相手に愚痴を、ストレスを発散してくれるのが…僕にいつもと違う姿を、 芹沢君ぐらいにしか見せないような姿を見せてくれるのが嬉しくて、ガンガンピッチを上げていくのを、 止めなかったのがそもそもいけなかったんだ。」
あらかた片付け終えた俺は、周防の向かいのソファーに座り、タバコを取り出し火をつける。
「で?」
「まずいと思ったときにはもう、天野君は泥酔状態で…今さっきよりもう少し酔っていた感じだったかな。 とりあえず歩けはしたけれど、足取りがおぼつかないからタクシーを呼んでマンションまで送ろうと思ったんだ。
それで、『タクシーで家まで送るけど、大丈夫かい?』って尋ねたら、天野君が『家はイヤ~!今日は克哉さんのとこに泊まるから連れてって!』って言うじゃないか。」
「願ったり叶ったりの、いい展開じゃねぇか。」
「とんでもない!…そりゃ、嬉しくないって言ったら嘘になる。確かに嬉しかった。でも、酔っている女性を自分の家に連れ込むのは何だか卑怯な気がしたんだ。 だから、僕はこう言ったんだ。
『結婚前の女性にそんな真似させられないよ!第一、そんなことをしたら、僕は達哉に面目が立たない』」
「おい、お前それは…」
「分かっている。僕の失言だ。」
俺を制止し、そして泣きそうな目で俺を見上げた。
「なぁ、嵯峨。その後、天野君、なんて言ったと思う?」
「なんて言ったんだ。」
俺は軽く、周防は強く煙を吸い込み、そして吐き出す。
「それまでの笑顔から一転して、悲しそうな目で、ゆっくり僕を見上げてこう言ったんだよ。
『やっぱり、克哉さんにとっての私は、どこまでも『向こう側』の天野舞耶なのね…、でも…』」
周防はじりじりと燻るタバコを指先に挟んだまま、両手を額にあて、俯いた。
「…」
「『でも、私は、どこまでも『こちら側』の天野舞耶なんです。他の誰でもない、誰にもなれない、
『こちら側』の天野舞耶でしかないんです。…思った通り…『私』はあなたに認めてはもらえないのね…』 そう言って、彼女は走っていってしまった。」
俯いたまま、周防が首を振る。
「わかるかい?つまり、天野君の抱えていたストレスの少なくとも一つはそれ…僕だったわけだ。」
ため息が、冷えた部屋に響く。
「どう考えても、傷ついたのは天野君。傷つけたのは僕。
僕はすぐにでも彼女を追わなければいけなかった。…にも関わらず、僕の頭の中は、自分の失言で真っ白になってしまって、 それどころではなくなってしまった。…最低だ。
我に返ったとき、天野君の姿はもう見えなくっていて、僕は慌てて共鳴を追った。
お互い酔っているせいか、探すのにひどく手間取ってしまってね。
どうにかこうにか共鳴を見つけだして駆けつけて来たら―――ああなっていたわけだ。」
すっかり片付いた部屋を、周防は軽く見回した。
なるほど、天野のあの荒れ様は、俺へのあて付けだけでなく周防への八つ当たりも入っていたのか。 などと、なんとなく納得していると
「申し訳ない。」
周防は俺に向かって、首をたれた。そしてまた語りだす。
「はっきり言って、僕には自信がない。達哉のように天野君を守り支える自信が。
天野君の幸せのために、自ら還っていったあいつに敵うものなんか何一つ持ち合わせていない。
だから、身を引こうと思っていた…彼女のために…達哉の…ために…。」
ぎゅうと、周防が唇をかみ締めた。
「でも、それはただの詭弁だった。僕のくだらないプライドを守るための逃げ道でしかなかった。
もういないあいつを引き合いにし自分に言い聞かせ、都合よく逃げていたに過ぎなかった。
『僕は達哉のように強くない』『達哉のように彼女を守れない』『達哉のように愛せない』
『向こう側』の存在の彼女に必要なのは『向こう側』の達哉で、だから、僕には今の彼女のそばにいる資格はないんだ…ってね。 これなら、十二分に振られた時の言い訳になる。」
周防の灰は、今にも落ちそうに震えていた。
「例え、僕が想いを打ち明けなくても、これを理由に天野君の傍にいることだって可能なんだ。
弟がつくった傷は、兄である僕の責任でもあるから、僕には君を慰める義務がある。だから僕は君のそばにいてあげると、 それで済んでしまうんだ。結局、僕のしたことは天野君を傷つけただけ。
天野君は『向こう側』の記憶があるだけで、どうしたって『こちら側』の天野君でしかなくて。
ここまで追い詰めてからそんなことに気付くなんて…本当になんて僕は馬鹿なんだろう。」
そこまで言うと、周防は自分の膝で眠る、天野の額に手を当てた。
「…」
「けど。いや、だからそこ、今日のことで僕は分かったんだ。」
「何をだ。」
トントンと灰皿に灰を振り落とす。
「僕に必要なのは『誰からしさ』とか、『強さ』とか以上に…使い古されて臭い科白ではあるけれど、 自分を奮い立たせるための『勇気』と『覚悟』なんだ。」
「勇気…覚悟、か。」
ぷわと、天井に向けて俺は紫煙を放った。
「確かに、お前みたいな甘ちゃんには覚悟が不足気味かもしれんな。」
「でも、それは僕だけじゃない。」
ゆっくりと周防が首を振る。
「あん?」
「嵯峨、お前にも同じ事が言えると、僕は思う。」
「?」
「僕たちは、同じモノが足りない。自分の弱さを受け入れ認める勇気と、自分にとって必要な人の…何があろうとも 大切な人の、その全てを受け止めてあげるだけの覚悟と、が。
…モナドマンダラでシャドウと対峙して、弱さを認め僕は強くなったと思った。
それこそが思い上がりだった。小さい丘を踏破して、隣の大きい山に気付かずに何もかも制覇したような気になって、 自己満足に浸っていただけ。本当は何一つ、僕は変わっていやしなかった。」
周防はフーーと一気に煙を吐き出した。
「けど、これでもう終わりにする。今度こそ、覚悟を決めた。僕は、決して逃げない、目をそらさない、立ち向かう。 天野君に、彼女の中の達哉に、僕の中の達哉に…何よりも、自分自身に。
今の僕の気持ちは絶対に嘘じゃないから。誰にも負けられない、負けたくないんだ。」
ぎりりと、周防は強く、灰皿にタバコを押し付けそれまでうつ伏せていた瞳を俺に向ける。
「…なぁ、嵯峨。お前も、今、逃げていないか?心当たりはないか。
自分は逃げてなんかいないと、そう、言い切れるか?」
「…」
「どうだ…?」
「……」
静寂が広がる。言葉の途切れた俺たちを包み込んだのは、静寂と薄紫の煙と、ただそれだけだった。
沈黙を破ったのは、ごろりと、それまでおとなしく寝ていた天野が周防の膝の上で打った寝返りだった。 俺も周防も思わず目線を天野に向ける。
「克哉…さ…」
眉間にしわを寄せ、うめくように天野が寝言を言った。
ぽつりと、けれどはっきりと自分の名を呟いた天野を嬉しそうに、愛しそうに見つめながら、周防はその手を握る。
「なんだい?僕は、ここにいるよ。」
「…ん……」
「僕は、どこにも行かない。約束する。」
「……うん…」
周防の手を握り締めた天野は、安心したのか、穏やかな表情に戻り、また眠りに落ちていった。
「大丈夫、君の傍にいる…。」
天野を見つめる周防の顔は真剣そのもので、あの時の達哉のような真っ直ぐな瞳をしていた。
俺は、その眼差しの中に何か、俺の中に染み透るように訴えてくるものを感じずにはいられなかった。
「なぁ、僕と嵯峨と、どちらが先に『大切な人』の中に確固たる自分の位置を手に入れられるんだろうな。」
ボソリと言って周防は困ったような、はにかんだような微笑を俺に向けた。
「長話になってしまったね。さ、そろそろ天野君を連れて帰らないといけない。」
膝の上に乗せていた天野を、ソファーの上に移し、周防が立ち上がって伸びをした。
「ああ、お前の家にか。」
と言ったら伸びをしていた周防がこけた。…これは天然なのか?
「な、何を言ってるんだ!ルナパレスに決まってるだろう!」
跳ね起きた周防が、とんでもないと首を振る。
「こんな夜更けに酔っ払いを連れてか。この時間、ここいらにゃあ、タクシーはほとんどいないぜ?
港南までは車があれは15分足らずだが、徒歩でしかも酔っ払いが行くなんら1時間強ってとこだ。
ペルソナ使いったって酔ってる分、力は発揮しきれないし、天野は寝ちまってるし。
お前の家なら徒歩20分足らずで行けるだろうがよ。女の安全確保が第一のお前の信条なんだろ?」 俺はゆっくりタバコを燻らし、周防の顔に吹きかける。
「た、確かにそうだが…。それでも、結婚前の女性を男の家に泊まらせるなどと…」
「問題なんぞねぇだろ。要するに、お前が手ぇ出さなきゃいいだけだ。」
「あ、当たり前だ!僕がそんな男に見えるのか。」
眉をしかめ、周防は憮然と俺に抗議する。
「冗談だ、冗談。だがよ、固いヤツほどキレるとやたら怖いもんだ、へへへ。
まぁ、手ぇ出しちまったら出しちまったで、責任取ればいいだけだ。どっちにしろ、問題ねぇ。」
ひらひらと軽く手を振ってみせる。
「さ、嵯峨ッ…!!」
「周防よぉ、お前さっき言ったよな?『覚悟はできた』とよ。あれは違うのか、嘘なのか?」
「い、いや、嘘じゃない、じゃないんだけど…でも、そういう意味でなく…その、つまり…」
先刻そう言い切った手前、俺の切り込みに歯切れの悪い返答を返してくる。
「あーもー、何でも構わねぇから、とっととお前の家に天野を持ち帰るなりして出てけ。
俺もそろそろ寝ないと明日に響いちまう。それはお前もだろうがよ?」
「その通りだがでも、しかし…」
それでもしつこくブツブツ言っていたが、ようやく覚悟を決めたのか、ふぅと大きく息をついた。
「僕は帰るぞ。帰るぞ。帰るんだ。」
自身に言い聞かせるように幾度も繰り返し、天野を担ぎあげる。
「僕の家に帰る!」
「よし、帰れ。」
「…嵯峨。」
扉を開けようとしていた手を止め、周防が振り返る。
「まだ何かあんのか。」
ほんの少し戸惑った表情を見せたものの、周防はすぐに口を開いた。
「なんと言うか、今日、僕は色々と…すごく楽しかった。
僕は…次にまたこういう機会があったとしたら、お前と今の話の続きをしたいと思う。」
「へっ。深夜に正体なくした酔っ払いが人の家壊すような機会なんざ、俺は欲しくないがね。」
俺の皮肉に、周防はひどく嬉しそうに笑った。
「あはは、それもそうだね。僕もそんな機会はあまり歓迎できないな。後片付けが大変だしね。
とは言っても、天野君が暴れること自体はそう悪くはないと思うぞ。
ストレス発散は誰にでも必要なことだし…なんたって壊れるのは僕の家じゃないしな。」
「お前も言うようになったなぁ…。」
予期せぬ反論に、俺のタバコの灰がぽろりと落ちた。
「どこかの誰かの性格が伝染したんだよ、きっと。」
そう言うと周防は、俺を見てにっと口元を歪めた。
「何にしても、今日は本当に迷惑かけたな。そのうち酒でも持ってくるよ。」
それじゃあ、と周防は未だ夢の世界を彷徨う天野を肩に担いで出て行った。
二人の訪問者は無事帰り、どたばた騒がしかった俺のヤサは、先ほどとはうって変わり静かになった。
「あーあ…どっと疲れたぜ…。」
最後の煙を吐き出し、俺は短くなったタバコの火を灰皿になすりつける。
首を鳴らしながら柱時計を見上げれば、既に2時を回っている。
ぶち壊れた気分をすっきりさせようと、先の騒動で唯一無事だったグラスの薄まってしまったその中身を 鉢植えに捨て新しい酒を注ぐ。ソファーに深く座り込み、透き通る琥珀色の液体を喉に流し込んで、ため息をついた。
ぼーっと天井を見上げる俺の耳元で、しつこくあのセリフがリプレイする。
『あなた、うららのなんなのよ?』
結局、答えることができなかった、言えなかった。
以前ならば間違いなくそう言ったであろう、ただの仕事上のパートナーなんだ、と。
なぜならもうそれだけではないから。
天野が言ったことは同時に俺の中でずっと燻っていた疑問だ。
それは俺が今まで意図して考えないようにしていた事であって。
俺にとってのあいつ。あいつにとっての俺。俺たちの関係。
考えれば考えるほどに、はっきりとしてくる答え、姿を見せる真実。知りたくない、自分の本音。
認めたくない、自身の感情の変化。
確かに考えなければ楽だ。目を逸らすことは簡単だ。
触れなければ失わない。欲しがらなければ奪われない。
これまでどおり適当にごまかして、うやむやにしていれば傷つくことは無い。
一線を引くことで、今までより苦しまなくて済む。
光に生きるべきあいつと、闇にしか生きられない俺と。
割り切った関係こそが最も重要で、何よりもあいつにとって安全なんだ。
けれど。
『返してもらうから』
『お前にも同じ事が言えると、僕は思う』
残った酒を一気にあおり、テーブルの上に叩きつけるようにグラスを置く。
脱ぎ捨ててあったスーツに手を伸ばし、その胸ポケットに常に潜ませてあるケータイを取り出す。
履歴を探し、通話ボタンを押して待つ。
数回のコール音。
ブツンと音がし、やがて聞こえてくる、眠たそうな声。
「おい、俺だ…まだ、起きてたか?」
「ああ…なら良かった…いや、たいしたことじゃぁねぇんだがな」
「暇なら、今すぐ飲みに来い…何ィ?ふん…ただの気まぐれだ、嫌なら構わねぇ」
「そうか、ならできる限り急いで来い…あぁ?足がねぇだと?」
「あー…この時間じゃ呼ぶのも面倒だしな…分かった、俺がそっちに行くから待ってろ」
「そうだなぁ、俺が付くまでに簡単なつまみでも用意しとけ」
「ああ、酒はこっちで準備していく」
「おう、じゃあな」
電話を切り、そのままスーツに腕を通す。少し悩んで壁にかけてあった厚手のコートも羽織る。
コートのポケットの中に、ジャラジャラと五月蝿いくらいに自己主張するコイン以外、 車のキーが入っていることを確かめ玄関へ向かう。
壊されたドアの鍵はまた明日直すことにして、当面の泥棒よけの為に毒ダメージ床を仕込む。
ぐいと扉を開けると、冷たい空気が俺の頬を殴るように打ち付けてきた。
首をすくめコートの襟を軽く立てて、車を目指し踏み出した俺の足はいままでで一番軽い気がした。
俺は、あいつを望んでいる。
あいつは、俺を待っている。
それが、これからあるべき互いのPosition。
ほんの少しの勇気と、わずかな覚悟さえ決めてしまえば、そう。
見えてくる答えはしごく簡単なんだ。
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