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うろほろぞ
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「いかがなされました」
 李斎は思わず王に訊いた。
 珍しいことに、この王が掛け値なしの笑みをこぼしながら、園林(ていえん)に面し
た黒檀の卓と椅子で待っている、二人のもとへと戻ってきたところだ。
「いま宿館(やど)の者に言われたのだ、利発そうなお子ですね、だと。どうだ、蒿里、
おまえは賢くみえるらしいぞ」
「あの…僕、でも学校の成績はあまり良くはなかったんですけれど」
「関係ない。成績と頭の良さは必ずしも同じではない。私は期待していてよいのだろう
な?」
「がんばります」
 健気にも、泰麒は頭をしゃんと立てると答えた。即位式を一目見ようと集まった首都
鴻基に溢れ返っている人込みに、すっかり酔ったのだったが、この大きな宿館に昼餉を
とるために入り、園林からの涼風にあたっていると、ずっと気分が良くなっていた。
「よろしい。さて行こうか」
 驍宗は二人を促した。
「どちらへ」
 李斎が、目を見開いて聞く。飯庁(しょくどう)はすぐそこにある。驍宗が示したの
は、だが逆の方であった。
「一階の、一番良い房室が、まだひとつ空いていたゆえ、取った。飯庁で食べるよりは、
くつろげてよかろう。耳目を気にせずに済む。それに交渉はしてみたが、厩(うまや)
を使う以上は、昼餉だけといっても、一応房室をとらねばならぬそうだ。三人だから、
丸々ひと室(へや)がとれた」
 この、首都でも随一の高級宿館の厩では、堂々の体躯をした吉量と、優しげな天馬が、
すでに繋がれており、厩係から早速に与えられた飼葉で、強行軍の疲れと空腹を癒して
いるところだった。
 三人がここへ来た理由の筆頭は、予想以上に、彼らが目立ったためである。
 新王の特徴として、いまや知る人ぞ知る、珍しい銀白色の髪と紅玉の目だとしても、
それだけでは、雑踏を供もなく歩く男を、王だなどとは誰も思わない。またそれゆえ、
大僕(ごえい)を連れなかったのだ。
 だが、驍宗の思惑にひとつおおきく誤算が生じていた。
 彼の考えでは、李斎を連れることで、より目立たなくなるはずであった。新王が独身
であることは、よく知られている。子連れの家族と見えれば、と思ったのだ。
 実際里木に、夫婦の願いを込めた帯を結ぶことで、卵果として子供を授かるこの世界
では、親子の髪の色が全く違っていて、何の不思議もない。親と子は、似ていなくて当
たり前なのだ。
 だがまず、人々は高価な騎獣を二頭も連れている彼らに目をやった。すう虞ほどでは
ないにせよ、普通の人々が家族ごとに持っていることは稀だから、金持ちの夫婦ものと
してまず関心を引き、その上、李斎の美しさが目立った。
 目立ちすぎた、と言っていい。
 女たちは、必ず彼女を振り返り、値踏みする。高価な専用の乗騎を夫から与えられて
いる女。さりげなく騎乗用の絹服を身につけ、これも夫から与えられたであろう、見事
な細工の銀釵を刺している、まだ若い女…。
 男たちの方は、李斎を見たあと、羨望の眼差しで驍宗を見る。美しい妻を持ち、――
もちろん全くの誤解なのだが――その妻にまで、騎獣を買い与える財力を持ち、そして、
子を天から授かる、と言う徳も兼ね備えた男…。
 李斎の方は全く女たちの視線に気付いてはいなかった。この人込みで万が一のことが
あってはならない、女将軍の頭はそのことでいっぱいであった.。何度も泰麒の小さな手
を握り締めなおし、王に異変がないか、不審人物を常に警戒している。
 職業病だな、と思うと同時に彼女の余りの自意識のなさには少々呆れる。自分の美貌
に無自覚なのだ。
 ともかく驍宗は、大人二人の間で、空行用に着せられてそのままだった厚い綿入れの
錦のため、額に玉の汗を浮かべて、息を上げている泰麒に気付き、決心をした。
 騎獣を預けなければならない。
 それで、今の戴の民では、まず利用しそうにない、一番上等の宿館で昼餉をとること
にしたのだ。実際は、そこでさえも一杯だったが、かろうじて法外に高値の最上級房室
だけは空いていた。そこへ食事を運んでもらうことにしたのだった。        


「お客さまも即位式においでですか」
 案内の係が驍宗に問う。おいでもなにも、彼の後ろに立つのは即位する本人である。
「しかし、本当にお可愛らしいお子ですね」
 何度言われても相好を崩す驍宗に、李斎は笑いをこらえて俯いた。
 あの吉量に、最高の房室である。たとえどんな子供でも、宿の者なら必ず誉めそやす
であろうのに、驍宗はいっかな、『お世辞』という言葉には頭が行かないらしい。完全
無欠の人物と思っていただけに、李斎にとってはなおさら、こそばゆいほどの可笑し味
があった。
 つい先程も、汗をかいている泰麒に気付くと、手ずから上着を脱がせてやり、そして
恥ずかしげもなく、その子供地味た柄と色合いの服を腕にかけて、平然と歩いていた。
 …まるで、親子のようでいらっしゃる。
 李斎は、ほほえましく二人を見た。これほど結びつきの強い二人が、わが戴国の王と
麒麟であるのだ。
 戴はよくなる。李斎は希望とともに、園林を望む明るい部屋に案内されて入った。


「蒿里」
 呼ばれて、夢中で粽(ちまき)と格闘していた泰麒は、斜め向かいの椅子についた、
彼の王を振り仰ぐ。李斎も皿から目を上げた。
 注文どおりに、油の多いものと、肉料理は避けられているものの、さすがに鴻基随一
の宿館(やど)の用意した料理だけのことはあり、それは豪華な食卓であった。
「ついているぞ」 
 言いながら、泰麒のやわらかな頬についた、もち米の粒をとってやる。とって、皿に
でも置くのかと思ったら、何の躊躇もなく、それを自分の口に放り込んだ。
 李斎は目を丸くし、思わず自分の箸を止めた。
「なんだ、李斎」
 口を動かしながら、驍宗が問う。
「いえ、その…」
 李斎はくちごもった。
「主じょ…驍宗さまにおかれては、お小さい子のお世話によほど慣れておいでなのか
と…。その、すこし意外に感じましたので」
 これを聞いて、驍宗は破顔した。
「弟妹の多い家に育った。それでだろう。私の母親が再婚したとき、すでに父は三人、
子があったし、それからも増えたからな」
 この世界では、子連れの再婚はごく普通のことであった。
「李斎には、兄弟があるのか」
「はい。実の姉が二人おります」
「ほぉう?」
 驍宗は興味深く訊いた、
「皆、夏官(ぐんじん)とは言うまいな」
「とんでもございません」
 李斎は笑った。
「姉たちは普通に結婚しております。下の姉夫婦はともに、州城に勤める役人ですが、
姉も姉の夫も州師ではありません。上の姉は、裕福な商家に嫁ぎましたので、家内の事
以外には特に携わってはおりません。甥や姪たちもずいぶんと大きくなりました。じき、
私は追い越されてしまいますでしょう」
 李斎は、むしろ楽しげにそれを語った。州師で将軍職を賜ったおり、李斎は仙籍に入
った。仙人になれば、歳をとらない。それは、言うなれば、歳ごとに、知己に追い越さ
れる人生だ。親と配偶者、子までは同時に仙籍に入れるのだが、これをあえて断る例も
多い。李斎の両親も、上の娘たちやその子供たちとともに、普通に歳を重ねる方を選び、
仙にはならなかった。
「親御どのは息災か」
 李斎は幽かに笑んだ。
「父が先年亡くなりました」
「そうか」
「急なことでしたが丁度、私が家に帰っているときでしたので、死に目にあうことが、
かないました」
 それを聞くと、驍宗は意外な顔をした。
「仙になってからも、家族とは懇意だったのか」
 はい、と、李斎は笑んで答えた。
「父は軍務で片足をなくすまで、承州師の師帥でございました。本当は三人目は自分の
跡を継ぐ男子が欲しかったようでございます。男児のための吉祥紋を帯に刺して、里木
に願ったのですが、生まれたのがわたくしで…」
「それで願いは半分ながら、見事、かなったわけだな」
「さようでございます」
 と、男児以上の出世栄達を果たした末娘は笑った。
「小さな頃から、父は、私が活発なのを喜び、よく仕込んでくれました。私が将軍職を
賜ったときも誰よりも喜んでくれ、親戚にも周囲にも、特に私が昇仙したことを隠しも
せず、拘りもせず、いつ戻っても変らず迎えてくれましたので、ずっと、実家とは誼が
あるのです」
 ほう、と驍宗は感慨深げに、頷いた。
「私とは丁度逆だな。故郷牙嶺は田舎の寒村でな。都で将軍をしているというだけでも、
何やら隔てがあるようで、その上、年々小さかった弟妹に歳を越されて行く私を見るの
も、無理があったらしい。たまに戻っても違和感ばかりがつきまとい、自然、故郷とは
縁が遠くなった。もう何年帰っていないか知れぬ。…李斎は、よい家族をもったな」
「恐れ入ります」
 李斎は頭を下げた。自分のほうが特例なのだと分かっていた。家族の一人が仙となる
違和感とは、誰にでもすんなりと受け止められるものではない。これで別れる夫婦さえ
ある。一方が昇仙を拒むのだ。
 そもそも任じられた当人でさえ、本来の寿命がつきる年齢になると、一度は仙籍返上
を考えると言う。実際それで辞職する官吏もいるときく。
 自分から辞めることなど考えもしないのは、まだ若く、永久に衰えない身体が誇らし
く、ひたすら走っているときなのだ。だがそれはたかだか数十年だ。その先には、家族
の全て、幼い頃からの友人の全ての死に、若いままの姿で立ち会う日々が必ず来る。


 泰麒は、大人二人の会話を、黙って興味深く聞いていた。驍宗が、故郷で気詰まりな
思いをした、というのは、彼には何となく理解できる感覚であった。
 家庭の中、本来、もっとも安心し、落ちついていられるはずの場所で、自分の場所を
得るのに、毎日汲々として生きていた。
 祖母との軋轢、誰よりも笑っていてほしい母親の涙、二人に挟まれ、いつも不機嫌な
視線を彼にむける父、心身ともに健康で、自分の居場所をちゃんと持っている弟…。
 それもこれも、自分がいるべきところでない場所にいたせいなのだ、そう、知った時
泰麒の腑に落ちたものがあった。蓬山に連れてこられたとき、捨身木の下で、自分が木
の実から生まれた、――あの家の子ではなかった――と知った時の、涙と諦め。
 すぐ蓬山に親しんだのは、そのためではなかったか。
 そして、今、泰麒はたしかに、自分のいるべき場所にいた。自分の選んだ王の側だ。
 王は泰麒に優しい。直裁苛烈、凄まじい覇気をもつ人物だが、彼の麒麟に対しての愛
情と優しさは本物であった。
 そして李斎だ。いま彼女が大事に育った話を聞いて、泰麒は自分が、この王ではない
人物に無条件に惹かれた理由が分かった気がした。李斎は女怪でも女仙でも王でもない。
だから、直接に泰麒との利害関係はないのだ。それでも、この女将軍は、掛け値のない
愛情を、蓬山以来、ずっと降り注いでくれた。それこそいわれも報酬もない愛を、注ぐ
術(すべ)を彼女は知っているのだ。
 それはきっと李斎がそのようにして、片足のない実の父から、降り注がれたものなの
だ。だからこそ彼女の側にいるのが、こんなにも落ち着くのだ、と。
 愛情とそれに対する信頼と。泰麒は、いまはじめて「家庭」と呼ぶに最も近いものを
身体いっぱいに感じていた。
 次の粽(ちまき)に手がのびた。驍宗が笑う。
「常の倍は食欲があるな。いつもそのようであれば、さぞ早く成獣してくれようよ、な、
蒿里?」
「はいっ」
 答えた勢いでまた、もち米が飛んだ。さっさとそれを拾った驍宗は、またなんの躊躇
もなく自分の口に放り込んだ。今度は李斎は笑いながらそれを見ている。
 二人を見比べ、泰麒は再び、粽を嬉しげに頬張った。秋の陽光は目の前の園林から、
三人の食卓の上まで、斜めに射し込み、暖かく膨らんで溢れていた。
 

「眠っているのか」
 驍宗は声を低めて、天馬に跨ったままでいる李斎に言った。
「まだなんとか…お起こしすればお目覚めでしょうが、…いかがいたしましょう」
「下ろしてくれ」
 驍宗は腕を広げ、天馬の鞍から、子供を抱き取った。
 禁門の門卒は、何か一幅の絵でも見るような気持ちで、その光景を眺めた。
 ひらりと飛燕の背から、李斎が降り立つ。
「蒿里。起きるか?」
 驍宗の問いにすぐの返事はない。ややあって、眠たげな子供の声が上がった。
「もうお家に、着いたの?」
 驍宗と李斎は一瞬顔を見合わせ、それから微笑んだ。
「夢でもご覧でしょうか」
「大層なはしゃぎ様だったからな。李斎、今日は手間をかけたな。礼を言う」
「とんでもございません」
 李斎は小さく笑って、驍宗の腕の中の子供を見やった。
「大層楽しゅうございました。これほど、ゆっくりと台輔と過ごさせていただけるなど、
夢にも思っておりませんでしたので…。お礼申し上げたいのは、私の方でございます」
 全く朝から夢のような一日だった。厩舎に師帥が呼びに来て、女の格好をさせられ、
禁門を出発点に瑞州中を駆け回り、大きな宿館で遅い昼餉を王と台輔とともに囲んで、
日暮れまで雑踏の中を見物して歩いた。
「釵(かんざし)は、いつお返し申し上げればよいのでしょうか」
 李斎は訊ねた。王と台輔で選んだからには御物(ぎょぶつ)である。このままという
わけにはいかない。だが、驍宗はこだわりもなく言った。
「下賜する。ささやかだが、今日の礼だ」
「そんな、もったいない」
「下賜する」
 驍宗はうむを言わせない調子で繰り返した。李斎は、諦め、拱手した。
「では有り難く頂戴いたします」
 門卒が李斎の剣を手に近付いた。
「将軍」
「ああ。ありがとう」
 李斎は受け取り、佩刀した。
「それではこれにて失礼仕ります」
 飛燕の向きを変えさせ、辞去しようとしたとき、李斎、と驍宗が声をかけた。
「はい?」
 鞍に登ろうとしていた李斎は、再び下りた。
「いつぞや言っていた、空席の禁軍将軍の件だが」
 李斎は無言で王を見つめた。
「そなたの忠言をいれて、決めた。諸将の功績と徳を比べ、情けを用いず抜擢せよ、と。
覚えているか?」
「はい」
 それは蓬山で別れ際、李斎が問われて新王に答えた言葉だった。
「今回、李斎には禁軍を諦めてもらう」
 李斎は、幽かに自嘲し、目を伏せた。
「はい。王のお考え通りでよろしいかと」
「瑞州師の中将軍だが、それでこらえてくれようか?」
「は?」
 思いがけない言葉に、李斎は飛燕の手綱を握り締めて突っ立った。
「わたくしが…王師に…、」
 後の言葉は続かなかった。
 瑞州師将軍といえば、王師六将軍である。禁軍の将となるには実力に加え運が必要だ。
だから、全ての将軍職にある者たちの究極の目標は、王師に召されることなのであった。
左軍、右軍、中軍などは、どうでもいい。とにかく州師と王師といえばさほどに差は大
きい。後者は、言うなれば、国王の重臣となるのであるから。
「受けてくれるか?」
「は。一命にかえまして、つとめさせて頂きます!」
「頼むぞ」
「はいっ」
 その声で泰麒は目をさました。
「驍宗…さま」
 やっと自分が王の腕の中にいるのに気がついた。
「目がさめたな」
 驍宗は笑って、泰麒を抱えなおした。
「このまま仁重殿まで、連れようか」
「大丈夫です。僕、歩けます」
 驍宗は子供を下に下ろすと、意味ありげに李斎を見て、言う。
「承州侯には今日出かけている間に知らせが届いている。あくまで内示だ。それゆえ、
いまのはまだ内密だ。台輔には特にな」
「はい」
 李斎は泰麒と目が合い、慌てて逸らした。
「どうしたのですか?」
 きょとんとして泰麒は驍宗に訊く。
「だから内緒だ。正式に決まったら教えてやる」
「はい…」
「それではお暇(いとま)申し上げます」
 李斎は飛燕に騎乗した。王と台輔は、禁門に並んで、天駆けて行く騎獣を見送った。
 見送る空に三連の冬星が輝いていた。
 

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