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うろほろぞ
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w9
「さあ、台輔。今日は一日、付き合って頂きますぞ」
 扉を押し開けながら、後ろに言えば、小さな影が神妙に頷く。
「本当にいいのかしら」
「主上がよいと仰いましたでしょう。宜しいんです」
 幼い麒麟は困った様に見上げる。
「正頼殿に…」
「殿はいりません、台輔」
「正頼…に、お花だけではだめだと言われたと、お話しただけなんですよ、僕」
 正頼は眉を上げた。
 ――いくらなんでも、花だけ、とはいくまいよ。お前からそう教えてくれ。
「広いんですね…」
 その声に成り立ての傅相は、人の良さげな笑みを向けた。驍宗軍切っての有能な軍吏
であった彼は、突然将の欠けた禁軍左軍の残務処理に継いで、今や王となった元将軍の
封土、乍県の県城整理のため、即位式にも立ち会わずに忙殺されていて、先頃ようやく
王宮で馴染みの朋輩たちと合流したばかりである。
「まだ同じようなお部屋が、他にいくつもございます」
「そんなに」
 はぁ、と溜息が漏れる。
「僕、ちゃんと選べるでしょうか」
 首を傾ける小さな肩を、励ますように叩いた。
「そのために、この正頼がおりますよ。ご一緒に選びましょうね」
 ――お前と蒿里が親しくなる機会をつくってやる。
「はいっ」
 見上げる目が期待に満ちている。
 
「ではまず、台輔の分から始めましょうか。劉将軍は何がお好きですか」
「ええっと…すう虞です」
 ――計都はやれぬゆえ、うまく誘導しろよ。
「台輔。正頼の知る限り、戴にすう虞は、主上の御乗騎だけでございます。いかな台輔
のお頼みでも、御購入はちょっと御無理でしょうなぁ」
「そうですか…」
 高価なものだとは知っている。いないのならしかたない。泰麒は素直に頷いた。
「でも、騎獣がお好きなら、将軍は御乗騎をさぞ大事になさっておいででしょうね」
 子供はぱっと顔を輝かせた。
「はい。飛燕っていうんです。とっても可愛いんです。天馬なんですよ」
 正頼はにこにこと笑った。
「それでは馬具一式はいかがでしょうか。そうですね、天馬なら…」
 ――鞍は黒、革は濃い色目、金具は白金がよかろう。
「いかがです」
「ええ。これ、飛燕にとてもよく似合うと思います。正頼ってすごいですね」
 正頼は目を細める。
「次は主上の分ですが、何にされますか」 
 ――剣だ。
「そっちから回って、よいものがあったら、正頼にお知らせ下さい」
「うん。正頼は、右の方ですね」
「お任せを」
 ――刃は冬官に仕立て直させる。柄と鞘の拵(こしら)えのよいのを選んでおけ。
「大きな方ですか」
「うーん。主上と並ぶと、そうね、ここんとこくらい…かしら」
 自分の背丈を主に見立て、手で示してみせた子供に、正頼はちょっと瞬いた。
「お並びになると、ですか」
「そうだよ」
 二人して選んだ馬具と剣を眺め下ろす。
「なにやら、台輔のに比べて、主上の分が寂しいですね…」
「そう、思う…?正頼も」
「ついでです。鎧をお選びなされては」
「鎧…」
「はい。同じ州師と申しましても、瑞州師は王師、規模も格も違います。王師の将軍に
ふさわしい立派な鎧を」
 ――用意してあればよし、しておらねば早速、伺候の折りに困るだろう。六将のうち
四人までが初の将軍職拝命とはいえ、ずっと禁軍にいて、もの慣れた者たちばかりだ。
現に初の伺候から、揃って、新調した大層な武具をつけてきた。
「これはどう」
「派手すぎませんか」
「そう…かなぁ。でも女のひとだし。とてもお綺麗なんですよ?」
「…さようですか。ではこちらではどうでしょう」
 ――本人に花がある。多少地味かもしれぬが、押さえたが映えような。
「お聞きしますが台輔。そんなにお綺麗な方ですか」
「うん。それにとっても優しいの」
 言って、柘榴石の象嵌された篭手(こて)を手に、顔を赤らめて俯く。
 ――蒿里と親しくなりたければ、李斎と親しくなるのだな。
「正頼からも、お祝いを差し上げましょうね」
 本当に、と驚いた小さな顔が見上げる。
「はい。実は正頼もおねだり致しましたのです」
「正頼がですか?」
 立派な大人と、おねだりの言葉の不似合いに、くすくすと笑う。
「台輔のお選びになるのをお手伝いしますので、正頼の分も選ばせて頂けないか、と」
 ――そういうことにしておけ。
「ありがとう正頼。僕、嬉しいです」 
 台輔のこの傅相への信頼は、いまや確かなものとなった。
「なにを贈るんですか、正頼」
「内緒でございますよ」
 えぇ、と残念そうな声を出す子供に、正頼は顔をしかめ突き出してみせた。
「実際にお姿を拝見してから、ゆっくりひとりで選びます」
 ――州侯は、娘のように可愛がっていた様子だが、飾ることにかけては本人に譲りす
ぎていた。改まった席では、それなりの官服もいるだろう。私から贈ってもよいが、お
前からとした方が無難だろうし、それでお前も誼が得られる。

 正頼はその日のうちに、もう一度御庫を訪れた。
 今度は懐から書き付けを取り出し、それと見比べて、すべての品物を揃えなおす。
 一体全体、あの忙しさで、いつ御庫中を漁ったものか、わが主ながら信じられないと
いうのが正直な気持ちだ。台輔が懐いているとはいえ、たかが将軍にここまでするか…。
 ふと彼はたちどまる。薄暗い御庫の中で、その一画と、手元の紙を比べること三度。
「なるほど」
 紙片を片手に、正頼はつぶやいた。
「極まったな……」
 見事な地紋の紫紺の長衣を取り出して、そこを閉めた。先代王后愛用の品を収めた抽
斗であった。
 そのなりたての禁軍筆頭の将は、正頼が呼びとめると、気軽に立話に応じてくれた。
「李斎…、ああ李斎殿な。よっく知っておるぞ」
「瑞州師の将軍として王師に召される」
「へぇ。そうか。いや李斎殿なら問題ない。うん、こりゃあ目出度い」
「どんな人物だ」
「人物か。うん…実に、いい人間だな。いい将だ」
「どんな女性だ」
「ああ。いい女だ。…なんだ、正頼。どうしてお前がそんなこと」
 いや、と正頼は言いよどんだ。
「ひょっとして、そのお方は…内嬖(ないへい)、であられるのだろうか」
「内…」
 巌趙は目を丸くし、それから口をあんぐりと開けた。
「それは、ないな」
 何がおかしかったのか、巌趙は、腹を抱えて笑いはじめた。
「ないない。絶対ないぞ。こりゃあ傑作だ」
 笑いながら行ってしまった。

「ああ。李斎殿ですか。ええ知ってますよ」
 なったばかりの瑞州師右将軍は、寒稽古で流した汗を拭いながら、心安げに頷いた。
「どんな方だ」
「どんなって…そうですねぇ。優れた方で、優れた将軍です」
「どんな女性だ」
「はぁ。ええっと」
 臥信はちょっと虚空を見た、
「…優れた女性ですね」
 正頼は溜息をついた。
「巌趙と似たようなことを言うな」
「巌趙?そりゃ、蓬山でご一緒でしたから。巌趙にもお聞きになったんですか」
「内嬖であられるか、と聞いたら、大笑いされてしまった」
「内…嬖」
 一瞬ののち、臥信は噴き出した。正頼が睨むので笑いをこらえるのだが、成功してい
ない。
「いや失礼。でもこれは。いやなんとも…」
 涙を払い、正頼の両肩に手を置く。
「正頼。はっきり言って、誤解ですよ」
「主上の御志に並々ならぬものがあると思ったればこそ、聞くのだが」
「そりゃあ、そうでしょうとも」
 臥信は真面目に頷いた。
「美女ときいたぞ。それもそこらの美女ではない、あの主上の目に見よいほどの」
「いかにも」
「ではなぜそこまで笑う」
 これを聞くと、臥信は再び笑いそうになった。
「臥信」
「ま、まあ正頼。本人に会われるんですね。そうすりゃあ分ります」


「台輔の傅相を仰せつかっております、正頼と申します」
「ああ。あなたが正頼殿ですか」
 笑顔を半ば唖然とした思いで見れば、相手は背を正し、その場に跪礼した。
「初におめもじ仕る。この度瑞州州侯師中軍に将を拝命しました、李斎でございます」
 凛とした様子、毅然とした眼差し、確かに尋常の女のものではない。
 そして確かに美しい。――だがこれは…。
「存じ上げないのに、過分のお祝いまで頂戴致しました。かたじけなく存知ます」
 言ってにこりと笑む。眩しいほどの笑顔はいささかの衒いもない。一瞬の後、穏やか
な瞳が生真面目に向けられ、正頼はわずか息を呑む。
「馬具も武具も有り難かったのですが、お選び頂きました官服は、思いもつかなかった
ものだけに、本当に助かりました。皮甲で済まない席など、州師では考えられませんで
したので」
 そんなことを正直に言って、肩を竦める。対していると、女性特有の優しげな風貌が
念頭になくなるほど、その態度はさっぱりと気持ちがよいばかりだ。
 これは難物だ。正頼は内心で唸った。
 なるほどあの主が手をやくはずだ。なるほど、巌趙や臥信が笑いたくもなるわけだ。
内嬖どころか、下手をすると、まだ手さえ握ってないかもしれない。いや絶対そうだ。

  
「私の顔になにかついているか」
 驍宗は目も上げず聞いた。
「いえ別に」
 正頼も何食わぬ顔のまま返す。
「おかしな奴だ」
「後宮をお閉めになる件ですが」
「ああ。早い方がいい」
「…本当に宜しいのですか」
「使う気はない。構わぬ」
「北宮も、でございましょうか」
 驍宗は怪訝な顔を書面から上げた。
「妻がおらぬのに、なぜ北宮がいる」
「ご予定がおありでは」
 は、と驍宗は笑って、見ていた文書を机に放った。そして正頼の顔を眺める。
「正頼。なにが言いたい」
 正頼も筆を置くと向き直った。
「近くに置いて眺めたければ、植え替えよりもいっそ摘まれるが宜しゅうございましょ
う」
 驍宗は眉を上げた。
「…言いたいのはそれだけか」
「軽軽しく摘むような花ではないとお見受けしました」
「承知している」
 正頼が目を上げると、驍宗は薄く笑った。
「お前には言っておこう。…そのつもりがある」
 口数の多い正頼は、実は、その絶対的な口の固さによって誰にも劣らぬ信をこの主か
ら得ている男である。それでも正頼はこの告白に瞬いた。そして思わず訊いた、
「あちらにも、おありでしょうか」
「なかろうな」
 あっさり答えたその一言に、自信のほどが窺がえた。
 だが、と驍宗は鋭い目を上げた。
「一切の禍根を断つまで、弱みはいらぬ」
 低く言い放った後、ふいにその目が言いようもなく和んだ。驍宗は自分でそれに気付
いたようで、わずかに首を傾け、静かに筆をとる。
 正頼はまじまじと主を見つめた。これほど柔和な目をした驍宗を、彼はかつて見たこ
とがない。正頼は心で唸ると、自分も再び筆を持った。――あの女性がやがてはこの、
およそ『弱み』などとは無縁の方の、最大の弱みになると自ら思っておられるのか…。
「正頼。お前、私が好いた女恋しさで、王師の人選をしたとでも?」
「そう思われても仕方ありませんでしょうな。ですが、」
 と、正頼はもういつもの、曲者の笑みで返した。
「あの方は禁軍がつとまります。むしろなぜ州師にとお聞きしたい」
 この言葉に、驍宗は嬉しげに笑んだ。
「経験の差だ。今はな。いずれ禁軍に席が空くこともあろう。そのおりには、改めて任
じる」
 正頼は首を傾げた。禁軍に空席の出来ることなど当面考え難い。そんな正頼の様子に
は構わず、驍宗は冬日の射している窓を見やってひとりごちた。
「将軍職より北宮住まいを喜ぶような女ならば、たやすいことだがな…」
 だが、もう誰にも譲る気などないし、先のことにもせよ、必ずというつもりらしい。
しかし。
 禍根とは、なにを指しておられるのだろう…。
 このときの胸に湧いた小さな疑問を、その後長い間、正頼は忘れていた。


 ――劉将軍、謀反発覚。

「…やってくれるわねぇ」
 衝撃的な報告に水を打った堂内の静寂を、最初に破ったのは、若い女の冷ややかな声
だった。
「大司空」
「じゃあなに?あの可愛い清潔なお顔やら、いかにも恋に疎い男勝りぶりやらは、全部
芝居で、私たちはいいように騙されてたってわけだ」
 花影は、瞑目し俯いて身を震わせた。…これはあんまりだ。 
「どうも、そのようだ。残念ながら」
 花影は俯いたまま、目を開いた。その男の寒寒しい声が胃の腑を突き上げてくる。
「主上は、迷われたのだ。王師に召されたのも、最初から故ないことではなかったと見
るのが妥当だろう」
 ――阿選。
 花影は顔を上げそうになるのを必死に耐えた。見られてはならない。この疑惑の確定
と憎悪に満ちた目を、けっして見られてはならないのだ。
「…信じられん」
 皆がそちらを向いた。禁軍左将軍が腕組みをし、宙を見据えている。
「阿選殿を疑うわけじゃない。ただ、信じられんのだ。俺には」
「巌趙殿。貴殿は、蓬山に同行されたはず。そもそも主上が劉将軍と出会われたのは、
昇山のおりのこと。お二人のご関係をもっともよくご存知だったのでは」
「関係って、関係もなにも…。ありゃあ主上の、その申し上げにくいが、いわゆる片思
いで、李斎の方はなんというか」
「なんとも思っていなかった。そうだろう、劉将軍は主上の思いを報復に利用したのだ」
 左将軍、巌趙は唸った。
「…証拠があるのか」
「無論。主上の不名誉ゆえ申し上げるのは憚られたが、あの女が、正寝への出入り自由
の免許をどう使っていたか…ここに正寝の下官たちの調書がある。ご覧になられるか」
 巌趙はその何枚かに目を走らせた後、なんともいやな顔でそれを押しやった。
「…ああ、もういい」


「何の御用でしょうか。大司空」
 花影は人払いしてから、彼女にしては冷淡な口調で訊ねた。夜も更けている。
 取り次いだ下官は春官府からの使いだと告げたのに、姿を見せたのは不似合いなほど
地味な官服をつけた冬官の長である。すすめられてもいない椅子に、頓着せずに腰を下
ろすと、ちろりと部屋の主の顔をうかがう。
「怖い顔だねぇ…。昼間、私が議堂で言った事、恨んでるんだ。ま、当然か。あなたの
大切なご親友だものね」
「いえ」
 花影は硬い表情で答えた。
「謝るわ。でも、私だって命は惜しいんだよ」
 琅燦はにやりと笑んだ。
「あれほどのお方から、あれほどに思い寄せられて、それを『身に余る君恩』、で片付
けてたようなお嬢ちゃんが、女を武器に使ったっての。笑わせてくれる」
 苦々しいその微笑を、花影ははっと見つめた。
「琅燦殿。あなた…」
「そうだねぇ。せめて花影、あなただと言われれば信じたかもね。でもよりにもよって
李斎ですってさ。――私の目はね、節穴じゃないんだよ。首謀者は阿選だ。主上はなん
とかしてあいつの足元を掬おうとして――掬われた」
 琅燦は立ち上がり、大司寇府の高い窓越しに、冷たい月を見た。
「明日から病欠するよ。大して時間は稼げないだろうけれどね、とりあえず今日の茶番
が功を奏しているあいだが勝負だ。――私は、今夜中に出奔する」
 低く言うと琅燦は、花影を振り返った。彼女は息を呑んで琅燦を見ている。
「あなたも逃げた方がいい」
「わたくしは…」
 視線が激しく揺れた。琅燦は低くぽそりと言った。
「待ってても帰ってこないよ」
 花影の見開いた目が、一際大きく開かれ、琅燦を見る。その眉根が歪んだ。かぶりを
振ろうとしたようだが、それは幽かな身じろぎに終った。瞬きすらできないでいる様子
を、琅燦は顔を変えずに見つめた。
「気の毒だけど、多分もう生きてる彼女には、会えない。分るでしょ」
 阿選は禁軍の空行師に命令書を持たせ、州境からまだ近いところを行軍中であろう瑞
州師中軍へ、将の身柄を拘束しに向かわせた。連行されればより確かなことが判明する
はずだ、と阿選は皆に閣議の席で語った。だが。
 花影は目を閉じた。おそらく琅燦の言うとおりなのだ。あの阿選がこの期に及んで、
李斎に潔白を主張する機会を、与えようはずもない。
「それでも、待ちます」
 青い顔で言う花影の決意は固かった。琅燦は息を吐いた。
「じゃ好きにすれば」
 その声には言葉とうらはらに優しさが滲む。花影は不思議な思いで、わざわざ自分に
逃亡を勧めにきた、さして親しくないこの閣僚仲間を見やった。
「…なぜ、ここへおいで下さったのですか」 
 これを聞くと、琅燦は俄かにばつの悪そうな顔をした。彼女はちょっと首を振って笑
った。
「あのお嬢ちゃんをね、割と好きだったんだよ」
「……」
「それだけ」
 琅燦は踵を返した。その背に花影は声をかけた、 
「ご無事で」
「それ言いたいのはこっち」
「どちらへ、…」
 言いかけて、花影は口を噤んだ。琅燦は振り返り、いつもの顔でただ笑んだ。
 彼女は今日、全てを捨てることをあの議場の席で決めた。李斎の罪状として語られた、
阿選自身の謀反の内容は、彼女に阿選という男の底知れない暗い決意を示した。驍宗の
寵臣として身を立てた彼女に、待ち受けるのは死だけだと直感した。
 惜しいものはいくらもある。だが、財より蔵書より名誉より彼女にとって惜しいのは、
己の頭脳であった。逃げよう。そう思った瞬間に、彼女は静まりかえった議場に椅子の
音を立てて、声を放ったのだ。――『やってくれるわねぇ』……。
「阿選を甘く見ないほうがいい。あの主上を弑してのけた男だ」
 それだけを花影に言うと琅燦は、来たときと同じくひそやかに、大司寇府を去ってい
った。花影は官府の坂を供も連れず下りていく小さな影を、窓辺から見送り、深深と一
礼した。


 琅燦は、驍宗軍時代からの腹心の下官にすら告げずに、その夜から完全に消息を絶っ
た。――具合が悪いので寝む、起きてこぬときは朝議欠席を届けよ、と彼女は家の者に
言って自室に引き取ったのだという。それが鴻基で彼女の姿が確認された最後となった。
 下官が主の不在に気付いたのは、翌日の夕刻遅くなってからであり、大司空の行方不
明が届け出られたのは、翌々日の午後だった。府第の執務室の机には未決の書類が積ま
れたままで、官邸から身の回りのものは何ひとつなくなってはおらず、旌券も残ってい
た。
 封土、故郷と手を回した阿選のもとへ、大司空官邸で働く奚(げじょ)のひとりの旌
券が紛失したとの報告が上がったとき、彼女は既に他国の空の下に逃れていた。




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