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うろほろぞ
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「聞きましたかな、将軍」
 巨躯の師帥の太い声に、焚き火の前の男が顔を上げた。慣れないものなら、その目を
向けられただけでも萎縮するのだが、なにしろ師帥はもと同僚、長い付き合いなので、
この程度では気にもとめない。
 なにを、と紅い目が問い返し、隣を示す。
 眼光は鋭いがこれはいわば地で、仲間うちで狩りをしながらの旅の楽しさゆえか、む
しろ柔らいだ気配だった。師帥は笑顔のまま腰を下ろした。
「さっき、剛氏のところに行ったものが帰ってきましてね。やはりいらっしゃるそうで
すよ」
 意味含みの部下の言に、将軍は首を傾ける。
「…誰がだ」
 得たり、と師帥が乗り出した、
「承州師のお方で」
 ふぅん、と将軍が頷いた。師帥は太い眉を上げ、将軍を見やる。
「気になりませんか」
「なんだ、心外そうに。巌趙は気になるのか」
 字を呼ばれて、師帥はその巨躯をゆすって笑った。
「そりゃあ、こんな色気のない旅ですからな。皆まだ、戻ってきた臥信のやつをとっつ
かまえて根ほり葉ほり聞き出してますよ」
 言いながら後ろを示す。自分もそちらを振り返って後、将軍は師帥に目を戻す。
「実を言うと、私は大して信じてなかったんですがね。せいぜい話半分くらいにしか。
ところが聞いたところでは、どうも噂どおりの方らしいですな」
「李斎殿は優れた将軍だろう。私もそう思っている」
 巌趙は手を振った。
「違う、違う。いや、優れているってのは違わないようですが。なにしろ全面的に剛氏
に協力して旅をすすめていて、第一、黄海に入る前に荷を作りなおさせて、それ、私ら
と同じような荷を全員に持たせたとか」
「ほぉう?」
 初めて将軍は、興味深げに身を乗り出した。
「まるきり、統率のとれた剛氏――なんてもんはいないらしいが――そういう一団が混
ざっているような按配だそうですよ。その上、煮炊きも小人数に分けて、寝るときも…」
 ここで真剣に聞き入っている主と、話のそれた自身に、禁軍師帥は苦笑した。
「まったく。そうじゃあないんだ。私の言いたかったのは」
 師帥は親しいこの将軍の顔をのぞきこんだ、
「承州師の李斎殿、と言えば?」
「…知略勇猛の将、だろう。知っているとも」
「その続きは」
 将軍は黙る。
「こうです。流れる髪は腰につき、肌膚(きふ)は白璧、しん首蛾眉、と」
 は、と黙って聞いていた将軍は笑った。
「さらに小さく続きましてな。身の丈は並の女に勝れ、そして胸と腰はさらに」
 みなまで言わず、したり顔で結んだこの年長の部下に、将軍は笑いながら言った。
「巌趙。臥信はともかく、お前までがのるか」
「はい。なにしろ殺伐としたところですからな、ここは」
 辺りを見まわし師帥はとぼける。将軍は無邪気な顔で笑った。それを見て師帥も笑う。
「巌趙」
「はい」
「私が王に選ばれなかったら、お前どうする」
 師帥は笑みを引き、将軍をひたと見た。
「王はあなただ」
 それを聞き、将軍は笑む。自信に満ちたその笑みを見つめ、師帥は突如、大笑した。
「まぁ、万が一のときはどこへなりとお供しますがね」
「それは、有り難い」
 珍しく将軍は頭を下げた。よしてください、と師帥は手を上げた。
 万が一にも、と彼は思う。万に一つもそれはない。だが、あっても苦にはならない。
この方のない戴国や禁軍に、なにほどの未練が残ろうか。どこまででも供をするのだ。
国を出るとき、その腹は括っていた。
「――ああ、臥信がやっと戻った」
 将軍も見やる。使いに出したもうひとりの師帥が歩んできた。
「驍宗さま」
 明るい声が近付く、
「聞きましたか」
「聞いたぞ」
 将軍の即答に、戻ってきた若い師帥は目をまるくした。
「悪いな、臥信」
 と、大きな手が乱暴に背を叩く。
 焚き火の側にひとしきり笑いが起こった。


「話がはずんでおられましたな」
 声をかけるや、巌趙はどかりと脇に座った。驍宗はそちらに目をやり、それからまた
騎獣の首を撫でる。日暮れである。
 蓬山は甫渡宮前の広場に設けられた禁軍の陣にも、紫の夕闇が迫っていた。
 今しがた、蓬山公が帰って行かれたその方角を、字のとおり巌(いわお)のような師
帥は見やった。
「毎日のようにいらっしゃってるのに、どうにもならんのですか」
「蓬山公か。未練を言うな」
 彼は軽く返した。
 ――中日までご無事で。
その一言で、彼の大望は潰えたのだ。巌趙は太い眉根を寄せ、主と恃(たの)むこの
男の、決して見せない落胆を痛ましく思ったが、すぐにつとめて明るい声を出した。
「いやぁ、劉将軍ですよ。お好きでしょう」
 驍宗はまた巌趙を見、そして憮然と乗騎に目を戻した。
「なぜだ」
 巌趙は当然だとばかり、大きく笑った。
「もっとも、あの人柄に惚れん武人はおらんでしょうな。我ら一同、すでに完全に落と
されました。臥信なぞ当初は美人だ美人だと騒いでいたのが、近頃はなんとか剣の相手
をしてもらおうと躍起になっとる。ま、我らも似たようなものですが」
「そうか」
 答える声はやはり静かだ。昔なじみのこの師帥は、弟に向けるような慈愛のこもった
目になった。ことさらに明るく続ける。
「それで?もう口説かれたか」
 口説くもなにも、と彼は騎獣を撫でながら、つい笑む。
「あれがそう簡単に口説かれてくれる女か」
 巌趙はその笑顔に眉を上げ、そして鼻を掻いた。確かに件の女将軍は、武人としては
実にさっぱりと誰にも気安いが、女性として口説くには、余りに疎すぎて難しいようだ。
決して女らしくないわけではないのだが。
 だがまぁ、と言いつのる。
 女から追われはしても追うことはまずない主が、珍しくも関心を示している相手であ
った。この際、主の元気が少しでも出るならば、世話焼きな口をきくことくらい何でも
ない。
「あちらもどこかまんざらでもないから、毎日ああして蓬山公連れて会いにおいでなん
じゃ」
「それは違う」
「えっ?」
「蓬山公の方が、李斎殿を連れていらしてるのだ。計都をエサに」
 言って将軍は乗騎、計都の首を叩いた。巌趙はきょとんとした。
「私はまたてっきり、李斎殿が計都エサに公をお連れになってるものと」
 驍宗は軽く笑って立ち上がった、
「それは将軍に失礼だぞ」
 ああそうだ、と彼は巌趙を振り返る。
「明日、留守にする。陣を頼む」
「結構ですが。…狩りですか」
「すう虞の狩り場に、李斎殿を案内する約束だ。蓬山公も将軍がお誘い申し上げたが、
さて女仙方の許しが出るかな。まぁ無理だろう」
「お二人だけで、一晩」
「そうだ。騎獣の足でなくてはそう短時間では行って来られない。もっとも公が一緒な
ら夜中とはいかぬ、未明から昼にかけてになるがな…どうした?」
 巌趙は歯を剥いて、己の太い首を叩いた。
「なあんだ。しっかり口説かれているんじゃないか。それにしても黄海で逢引とは、な
んともお二人らしい!」
 声を上げて笑い出した部下に、驍宗は呆れ顔をした。
「計都をお見せしたらすう虞を捕らえたいと言われた。だから、お連れしようと言った。
それだけのことだ」
「充分じゃあないですか」
 巌趙はなおも笑っている。驍宗は眉をひそめた。その苦い顔に、いよいよ楽しく笑い
かける。
「気づいておられぬようだから言っときますが驍宗さま。もしか相手が男の将軍でも、
狩り場まで案内なさるか!」
 はっはと身体を大きく揺らし、驍宗の肩を二三度嬉しげに叩くと、首を振りながら巌
趙はそこを去った。
 残されて、驍宗はふと舌打ちすると、まいったな、と口の中で呟いた。


 天幕の前の声は先ほどから繰り返している。
「お通しはできかねます」
「…頼み申す」
「ですからできないと申し上げている」
 長すぎた一日は終り、日はようやく落ちたところだ。
 李斎の師帥は、疲れた顔を声のしている表の方へと物憂く向けた。警衛に立つ兵卒が
まだ誰かと話している。立ち上がり、薄い戸を開けて、すぐそれを後ろ手に閉める。
「なにごとだ」
 助かったという様に、兵卒が振り返った、
「ああ師帥」
「師帥どのか。劉将軍に会わせて頂きたい」
 そう言った押し問答の相手を、宵闇の中、かがり火の光に見やった師帥は、細めた目
を大きく見開いた。
 ついで自分の顔に険しさが浮かぶのを自覚した。が、この男を責めるべきでないとは
承知している。一呼吸置いて、静かに告げる。
「驍宗どの。せっかくだが、劉将軍は意識がおありにならないのです」
「伺った」
「ではお引き取り下さい」
「それでもお見舞い申したい」
 師帥は収めかけた怒りが立ち昇るのを感じた。さらに冷静に告げる。
「今日は無理です。また日を改めてお越し下さい」
「お顔を拝見するだけでよい」
 彼は息を吐いた。はっきり言わねば分からぬか。
「主は重態です。このような場所で、しかも女仙方の恨みをかったため、間に合わせの
手当てしか施されず、まだ一度も意識が戻らず臥しています。かようなところに、他軍
の将をお通しできると思うか。まして主は、…お忘れのようだが女性です」
 相手は黙った。視線を足元へと落す。師帥は憤然と踵を返しかけ、ふと立ち止まった。
「飛燕を連れ帰って頂き、ありがとう存じます」
 相手が誰であれ礼を失しては、仕える将の名折れとなる。そう思って謝辞だけは述べ
た。そのとき相手の鎧に目が行った。
 胸にななめの痕跡がある。少し歪んでさえいた。
 …打たれたのか。
 饕餮だったと聞いた。最大最強、伝説の妖魔。すう虞狩りに蓬山公を誘って出かけた
二人の将軍は、公が饕餮を使令に下したことで救われた。主の命もよくもあったものだ
が、それは目の前の男とて同じなのだ。…無傷で戻ったことを恨んでは酷だ。
 李斎の師帥は初めて表情を少し緩めた。
「将軍。お戻りになって休まれたがよろしいでしょう。気がつかれたら、お見えになら
れたことは、お伝え申します」
 瞬間、男が顔を上げた。師帥はたじろぎ、あやうく後退(じさ)るところであったの
を、かろうじて踏みとどまったが、全身に震えが走った。
 低い声が静かに漏れ出る。
「お会いせぬうちは、休めぬ」
 その眼光に射すくめられ、師帥はわれ知らず唾を呑みこんだ。冷や汗が、背を流れた。
「すぐ、お暇(いとま)致す。何卒」
 なぜ頷いたのか、自分でも分らない。

 狭い天幕の中は簡素な臥台でほぼ一杯だった。
 師帥は将軍の後ろから入っていき、戸を閉めた。
 振り返ると、大きな背中が黒々と突っ立っている。その背から、息を呑む音が微かに
聞こえた。
 それからおもむろに影は、床の敷物に跪き、意識のない相手に丁寧に拱手した。
 腕を下ろした後も、ただ黙って臥台を見やっている。微かに震えているのが、足のせ
いなのだと師帥は気が付いた。
 跪いている両脚が、疲労に耐えかねて痙攣しているのだ。どれほど消耗しているのか
知れない体を引きずって、この男は蓬山まで戻ってきたのだ、と思った。
 師帥は自分もその隣に立った。主の様子を見、将軍の横顔を見る。予想したようない
かなる表情も、そこにはなかった。ゆるぎない目がひたと見据える先に、主の白い顔が
ある。
 彼はなおも動かない。
「あなたの責ではない。それはよくご承知のはず。先ほど女性だと申し上げたのは、あ
くまで許可なくお通しすることについてで、お怪我についてではありません」
「そんなことは思っておらぬ」
 言葉に、師帥が振り向くと、将軍は仄かに微笑した。
「噂にたがわぬ、立派な将であられる。…お怪我させ申したなどと、そのようなこと思
っては非礼に過ぎよう」
 師帥はその顔を見、ええ、と小さく頷いた。
 そのとき、失礼します、と声がかかった。
 振り返ると随従のひとりだった。手にしたものを師帥に見せる。
「蓬山の女仙が見えられ、劉将軍にこれを、と」
「なんだ」
 気をつけて下さいよ、と渡されたのは銀の盆、片手にすっぽり納まるほどの小さな蓋
つきの容器が載っていた。
「お傷と痛みに効くそうです。一刻も早く差し上げてくれ、との口上でした」
 それを聞くと師帥は複雑な笑みを浮かべた。
「なるほど。蓬山公がご無事に戻ったので、ようやく手当てする気になられたか」
 実際、酷い一日だった。
 彼はじれて殺気立った女仙から、公に変事あれば主も彼らも生かしておかぬ、とまで
言われたのだ。
 蓬山公の女怪とかいうあの人妖が、血まみれの主を抱えて夜明けの黄海から駆け戻っ
てきて、そして何も言わぬまま、再びどこかへと消えた。
 駆け付けたとき横たわる主のまわりでは、すでに土が赤黒くなっていた。天幕に運び、
手当てをしようと皮甲をとれば、無数の深手に目を覆いたくなるありさま、傷を拭って
止血はしたものの、手持ちの薬は、妖魔の毒には効かなかった。
 蓬山公を抱えた驍宗が、乗騎の背後に飛燕を曳いて戻って来たのは、夕暮れ近く。
 今の今まで、主は意識のないまま放置され、苦しみ通した。
「ともかく、すぐにお飲ませしよう」
「でも…先ほども」
「そうか」
 師帥は眉を寄せた。先刻、何とか水を飲ませようと試みたのだが、飲んでもらえなか
った。結局、水に浸した布で、かろうじて水分を摂らせた。同じ方法をとるしかあるま
い。
 ですが、とその随従は水差しを見やる。
「こんなちょっぴりですよ。布になぞ沁ませてたら、ほとんど無駄になりませんか」
 もっともな言に、師帥は嘆息した。
「致し方ないだろう。なにか清潔な小布を探してきてくれ。急げよ」
 師帥は枕上の台に、その盆を一度置く。そして、彼らの遣り取りを黙って聞いていた
見舞い客に声をかけた。
「失礼致しました。取り込んでおりますので、そろそろお引き取りを…」
 師帥は自分の言葉を最後まで言えなかった。
 立ち上がった男は、盆の上と、師帥の顔を瞬時に見やり、そして盆に目を戻した。
 師帥は驚愕の目を開いた。止める暇がなかった。
 目の前を、長い腕が伸び、水差しを掴むや、中身を一息にあおったのだ。
 なにをなさるか、と気色ばんだ彼を、大きな手が無言で止めた。その苛烈な眼差しに
気圧されて師帥が黙ると、男は臥台に向き直った。そして、熱に浮かされ浅い呼吸を繰
り返す主の首を、下から支えたようだった。黒い鎧の大きな背中が臥床に面伏せて、し
ばらくののち、背は再び起きると、深い息をついた。
 呆然と立つ師帥を男は振り返り、安堵したように微笑んだ。
「全部、お飲みになられた」
 なおも呆然としている師帥に丁寧に頭を下げ、客は出て行く。
「あの」
 言いかけて、師帥は瞬いた。言葉が見つからない。礼を言うべきなのか、それすら分
からなかった。
 呼びとめられた男の方が静かに言った。
「今日私がお訪ねしたことは、申し上げないで頂けるか」
 言った将軍の顔を見つめた。噂にたがわぬ将、それは目の前のこの男もそうである。
やはり立派な男なのだ、と思っていた。師帥は頷き、主を見た。
 土気色だった顔に微かに生気が戻り、呼吸がずっと楽になっている。
「他言致しません」
「かたじけない」
 さらりと言い置いて、禁軍の将は幕屋を出て行った。


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