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うろほろぞ
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 輿は路門を通り抜けて、路寝へと向かう。 
 そびえる門殿にかつての壮麗さはない。それでもこの辺りは、瓦礫がすっかり片付け
られており、通行の多いところだけに、瓦はすべてが葺き替えられ修理されている。
 白く滑らかな石の床だけがいまも昔と変わらない。門外からの陽光を受けて、輿の影
が粛々と滑る。李斎は日に光る床石と、その影とを見ていた。
 あの日、小さな麒麟が姿を消したあの真昼、この同じ床の上に両の手をついて顔を上
げた彼女は、生まれて初めて蝕の空をこの門越しに見た。禍禍しい赤色の空。周囲に夥
しく重なる割れた瓦。たちこめる土煙。隣にいた若い地官長の、埃にまみれた青い顔…。
――あの宣角は、阿選によって処刑された。

 輿が止り、李斎は我に帰る。
 正寝の門殿で、新任の天官長が叩頭で出迎えた。李斎の輿は下ろされず、彼女は輿の
上からやや緊張してその口上を聞く。
 その後、天官長自らの先導で門殿を抜け、彼女の居宮に向かった。李斎の居宮、と言
っても、建物を与えられるわけではない。彼女が住まうのは、まさに現在王の住まう殿
舎内であり、使われていなかったその数室に急いで手が入れられたに過ぎなかった。
 面積だけを言えば、後にしてきた将軍官邸の方が広いことになる。
 これは本来、後宮の最奥に位置する広大な北宮の建物とその園林全てを与えられるの
が通例の王后としては、考えられない待遇であった。当然ながら、天官はこぞって猛反
対した。
 天官は王宮内諸事を管轄する。即位と時を隔てての立后は、天綱にはあるものの例は
さして多くない。戴国では、国氏がまだ代であったとき以来であり、ほんの数例である。
 とはいえ天官としては、立后は即位と崩御に次ぐ一大事、疎かにできようはずもない。
 ところが、前例の全ては、後宮に予め侍っていた寵妃が立后して北宮に移ったもので
あり、李斎の場合の参考にはなり得ず厄介なところへ、驍宗が彼女を後宮ではなく正寝
に住まわせるのだ、と言い張った。
 驍宗は後宮を嫌っており、即位後も即座に閉めたし、今回玉座を奪還した後も、後宮
の荒れた個所を基本的には放置していた。なんとか旧態に戻っているのは祭祀に関わる
西宮の建物群のみである。
 妻――驍宗は伴侶のことを必ずそう呼んだ――はひとりしかいらぬので正寝でよい、
と言う王と、ひとりといえども後宮に迎えてもらわねば困る、と主張する天官側とで、
激しく対立した挙句、驍宗が「経費削減」という伝家の宝刀を抜いて、収まった。
 削減どころか使おうにもない、というのが、新生戴国の偽らざる実情であったのだ。
 天官は折れた。
そして後宮に一度も入らずに立后するという事実から、李斎は、既婚の王が即位した
際と同じ扱いで王宮に迎えられる、ということで決着したのだ。

 即位前に王と婚姻していた者は、最初から王の配偶者として王宮に上がる。そのとき
の慣例に従い、李斎は今日、天官長自らの出迎えを受けたのである。
 ほんの五六日前まで閣議の席で顔を合わせていた同じ天官長から、平伏して言祝(こ
とほ)ぎを述べられても、公式の場ではもはや直接に言葉を交わせない。輿に従う女官
に、白絹を張った優美な團扇の陰で、小さな声で返事を伝えるのだが、これが全て、予
めこう言えと教えられた内容である。
「大宰に御言葉で御座います…」
 その都度、歌う様に女官が前置いて、李斎の言葉が天官長へ伝えられる。

 ようやっと輿は長楽殿に辿りついた。現在、正寝の中で殆ど唯一、昔日の白圭宮の面
影を偲ぶことのできる宮殿である。
 建物のほぼ中央を南北に貫く御影石の大廊下を下り、東に折れて、以前は花殿と互い
の園林を隔てて向き合っていた一画の、庭院に面した廻廊に入ったところで、天官長は
再び膝をついた。
「これより先がお住まいでございますれば、私どもはこちらで失礼申し上げます。幾久
しく御健勝であらせられますよう」
 本来、後宮門殿前での口上であるそれを述べ、これも定型の口上を女官伝えに聞いた
後、天官長は辞去するために、中腰のまま、後ろへ下がった。
 廊下に出迎えた女官長が案内を引き継いで、李斎に挨拶を述べるのが聞こえる。
 これで今日の、公の行事は終了したのだ。
 そのとき、女官長に返事を返した李斎が、やおら向き直った。
「大宰」
 天官長ははっと顔を上げた。こちらを向いている李斎とまともに目があった。
「今日は、ありがとう。今度ぜひ、奥様とお茶でも飲みに来てください」
 はっきりと伸びやかな声が告げて、にこりと笑いかけた。
 周囲の天官はほぼ一斉に目を剥いたが、当の天官長だけが、この日初めて、なんとも
愉快そうな光を目に宿して李斎を見た後、実に素早い微笑を一瞬浮かべ、折り目正しい
拱手をした。

 李斎は足を止めた。
 庭院に向かって大きく開口した室内は、既にすっかり調えられていた。
 李斎は首を傾げて、入れられている家具や掛け物、装飾品を見回した。もちろん見覚
えのあるものなど、そこにあろうはずもない。だが奇妙な馴染みのよさがあった。
 贅沢なものばかりなのに、いささかも押し付けがましさがない。このように迎えてく
れる部屋に微かに覚えがある。あれはどこだったか…。
「お召し替えあそばされますか」
 女官長の声に、李斎は振り返った。
「いや、いいです。輿だったから、裾さえ汚れていない。…私の荷物はどこだろう?」
 女官長は僅かの沈黙の後、静かに微笑んだ。
「こちらにありますものは、すべてあなた様のものでございます」
 李斎はちょっと瞬いた。
「官邸より届いたお品でございましたら、後ほど女官が片付けます」
「…有り難いが、それではどこに何が仕舞われているか、分らない」
「その必要はございません。女官がお取りいたします」
 李斎は答えに詰まったが、気を取り直して、とりあえず掛けようと傍らの椅子に手を
かけた。その瞬間、声が飛んだ。
「后妃!」
 ほぼ同時に控えていた女官のひとりが素早く椅子に飛びついた。
「お座りになられるときは、そう仰られて下さいまし」
 李斎は呆気にとられて、言った女官長と椅子を引いた女官とを見比べた。
「…ありがとう」
 声をかけると若い女御は驚いたように一瞬目を上げたが、すぐに伏せ、無言で元の位
置に戻った。
 李斎はそろそろと椅子に座った。
 
「来たな」
 扉口で太い声が放たれた。
 居合わせた全員が即座に叩頭する。李斎もただちに椅子を滑り降り、伏礼をとった。
「立ってよい、李斎」
 は、と答えた李斎はいつものように敏捷な動きで立ち上がろうとして、いつもは纏わ
ぬ領巾(ひれ)を踏み、椅子を掴んで危うく転倒を免れた。
 とっさに腕を伸べかけた驍宗は、苦笑した。
「この部屋で伏礼はしなくてよいぞ、李斎」
 李斎は真赤になった。
「失礼致しました。その…慣れますので、大丈夫でございます」
 驍宗は眉を上げた。
「そうではない。ここはそなたの部屋だ。私が来たからといって、いちいちに叩頭せず
ともよい」
 李斎がそれに答えるより前に、女官長が進み出た。
「畏れながら、主上」
「なんだ」
「主上が後宮にお渡りあそばされれば、伏礼でお迎えするのが慣例でございます」
「そうか。だがここは正寝で、私の住まいでもあるゆえ、これより王后におかれては、
私の入室の際、伏礼あそばされぬ。よろしいな、女官長」
「さようでございますか」
 女官長は静かに微笑した。
 うむ、と答え王は李斎に向き直った。彼女の立姿を眺めてちらりと笑む。
「部屋は気に入ったか」
 李斎は即座に頷いた、
「はい。とても」
 驍宗は機嫌よく言った、
「ほかはもう見たのか」
 いいえ、と答えると、驍宗は李斎の方へ、つと手を伸ばした。李斎は一瞬体を固くし
たが、引き寄せるかに見えた腕は宙を巡って、次の間へと示された。
 李斎は頷き、驍宗に案内されて自分に用意された部屋部屋を見て回った。
 居間の奥には小奇麗な牀榻があり、そこが李斎のための臥室であった。その脇の扉か
らすぐが、異様に大きな部屋で、がらりと雰囲気が違う。どちらかと言えば重厚な壮麗
さは、いかにもこの王宮らしかった。
「大層な部屋だろう」
 驍宗が苦笑するところをみると、王自身、さして気に入ってはいないらしい。
「ここの牀榻だけは北宮から移すと言って、天官が譲らなかったのだ。牀榻が浮かぬよ
うにすると、どうしてもこうなるな」
 驍宗が軽く首を振った訳は、掛けられた房飾りも重々しい帳ごしに、そのどっしりと
巨大な牀榻をちらと眺め、さらに次の部屋をのぞいたときに、よく分った。
 そこが驍宗の臥室だった。
 仕事一途の独身男が眠るだけの部屋、と言えばそれまでだが、よく評して簡素、およ
そ王の自室とは思えぬほど見事に飾りがない。そればかりか牀榻と呼べるものすらない。
ほとんど陣中の幕屋のようだった。
 阿選が、驍宗も含めた歴代の王が自室として使った部屋を血で汚したため、驍宗はそ
の部屋には戻らなかったという。どうやらそれを幸いに、この数月来、武将出身の生活
の好みを通したものらしい。
 再び李斎の居室へと戻り、反対へ抜けると、今度は結構な広さの化粧部屋、入ってす
ぐに衣桁にかけられたものが目に飛び込んできた。李斎は思わず立ち止まる。
「ほぅ…仕立てると一層豪華だな。だが品はよい。どうだ、李斎」
 李斎は瞬いた。
「見事なものでございますね…」
「なんだ、他人事のように。そなたが着るのだぞ」
「はぁ」
 言われても実感はない。大体、自分が花嫁衣装に袖を通す日など、ついぞ想像したこ
とがなかった。まして数日の後、これを着て太廟の祭壇に進香し、王の伴侶として天に
誓約するのが、ここにいる自分だとはとても思えない。
 思えないことに、李斎は当惑した。その戸惑いを隠し、王に笑んで会釈した。
 驍宗は次の部屋に案内した。
 客庁、といっても別棟ではなく隣接しているだけのそこが、后妃が自身の客を迎える
ための部屋であった。この部屋にもやはり行き届いた装飾がなされ、居心地よく道具が
設えられている。
 雲海の上はまだまだ時候がよく、今日はよく晴れ気温も高かったこともあり、庭院を
囲む石の廊下に面した八枚の扉は、全て開け放ってあった。
 日は西に傾き、北国の短い秋の一日は終ろうとしている。
「夕餉を共に出来ようか」
 驍宗が聞く。
「喜んで」
 うむ、と頷き、もう一度部屋とその中に立つ李斎を眺めて、驍宗は笑んだ。


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