繁華街で娘さんを保護しました。
そんな電話がかかってきたのは桐生が丁度家にいる日の、昼頃だった。
平日のこの時間ならまだ学校に行っているはずなのに…桐生は驚きつつも、呼び出された警察署へと足を運んだ。
警察の世話には二度となりたくなかったが…まさか遥絡みのことで足を運ぶ事になるなんて、人生は分からないものだと思う。
複雑な気持ちで署内に入ると、受付で青少年科なるものの場所を聞く。昔は錦山と揃って世話になった場所は、いい思い出でもあるが…
「おじさん…」
来客用ソファで婦警からお菓子を頂いている遥を見つけ、思い切り渋い顔になる。
「遥…」
しゅんとうなだれる遥に、桐生はため息をつく。
相手をしていてくれた婦警に頭を下げ、遥の隣へ座った。
「学校はどうしたんだ?」
うなだれたまま何も答えない遥に、婦警も苦笑する。
「さっきから何も話してくれなくて…お宅の電話番号は名札のお陰でわかったんですけど」
どうやら、桐生が来るまでも同じ状態だったらしい。
貝のように黙り込む遥は固く拳を握り締め、簡単に話してくれそうにない。
桐生は今は遥と話すのを諦め、婦警の方を向く。
真剣な眼差しに婦警の頬が微かに朱に染まったが、遥の事が心配でしかたない桐生が気づく筈もなく。
「どこで見つけたんですか?」
「あ、は、繁華街のゲームセンターでガラの悪い青年たちに絡まれているところを巡回中に…」
「ゲームセンター?遥が、こんな時間に?」
「はい」
「他に友達とかは…」
「いえ、一人でした」
その事実に桐生は目を見張った。
学校が好きだと毎朝嬉しそうに出かけていたのに、一体何故。
確にここ数日は朝、家を出る時間が遅かったが…
「もしかして、今日だけじゃなかったりするか?」
沈黙が、桐生の問いを肯定していた。
険しくなる桐生の顔に、婦警はまぁまぁとなだめ、遥はさらに拳を握り締める。
「と、とにかくお嬢さんの話をよく聞いて。それから、ね?」
「…わかりました。どうも、お世話をおかけしました。…遥、帰るぞ」
ランドセルを持つと、桐生は嫌がる遥の腕を引いて警察署を後にした。
帰りのタクシーの中でも、遥は一切口を開く事なく…家に帰りつくなり、部屋に鍵をかけて閉じ籠ってしまった。
いつまでたっても出てくる気配のない遥に、桐生は痺をきらし…強めにドアをノックする。
「遥、話さないと何もわからないぞ!」
何も、返ってこない。
「遥!怒らないから、出てこい」
枕を投げつける音すらしないそれに、桐生は諦める。
これは、今までで最大の難関かもしれない。
こうなったら持久戦だが………夕方になっても出てこない遥に、流石の桐生も焦っていた。
正直、腹も減ってくるこの時間。家事は遥に任せっきりな桐生は困ってしまう。
遥だって腹が減るだろうし、誰かおさんどんをしてくれる相手がいない今…どうしたものか。
こんな時こそ、あの飄々とした男が遥を口説き落とせばいいのに…と、真島を思い浮かべるあたり、末期な桐生。
「はるかぁ…」
情けない声が、静かなリビングに響いて消えた。
「ん、寿司買ってきたで。桐生ちゃんから呼び出して貰えるなんて光栄やなぁ~vv」
末期も末期になった桐生はとうとう、真島を呼び出して事情を説明し、助けを求めた。
遥相手だと異様にヘタレな桐生を愛しく感じつつ、真島は任しときと桐生の頭を撫でた。
かなり心配なのだが、何度自分が呼びかけても返事をしてくれないため、藁にもすがる気持ちなのだ。
ドアを蹴破る…以外の事なら目を瞑ろう。
と、思っていたのだが。
「よっしゃ…いくでぇ!!」
助走を始めた真島に、桐生は頭を抱えながら飛びつく。
「大家に怒られますから!!」
「あかんか?」
「当たり前です!」
猪突盲進を具現化したような男は、さよか、とソファに座った。
「でもなぁ、一日二日学校をサボったとこで。小学校は義務教育やから留年せぇへんやろ?」
ビールを飲みつつ寿司をつつく真島は無責任なことを言う。
桐生はもちろんくってかかって反撃した。
「遥には全うな道を進んでもらいたいんです。普通に学校に行って、高校大学と進学して、なりたい職業について。それで遥を大事にしてくれる優しい人と結婚する…それが俺の夢なんですよ。俺が掴めなかった普通の人生を、遥には」
いつもより酒の回りが早いのか、饒舌な桐生に真島は目を細める。
わからない話でも、ない。
只でさえ今まで普通の幸せを知らなかった子だ。
桐生にとってもそれは心苦しく、辛い事だったろう。
だからこそ“普通”の幸せを願うのは当然の事で。真島も似たような心境を最近は持っている。
無器用な桐生の、酔いに任せた本音をドアの向こうの遥は聞いているだろうか?
「だから、遥が学校に行きたくない理由があるなら、何としてでもそれを叩き潰しますよ。俺は遥が笑顔でいられる日常を、命賭けて守るんですからね!」
ガンッ!と缶をテーブルに叩きつけ、宣言すると…そのまま、桐生はテーブルに崩れ落ちた。
何も食べないでビールだけを飲むから…と真島は苦笑し、箸を置く。
「は~るかちゃ~ん!聞いとったやろ?桐生ちゃんを泣かしたら、いっくら遥ちゃんでも許さんで?」
トゲのこもらない脅しに、遥の部屋のドアが数センチ開く。
ちょっぴり覗いた目が桐生の背中を見て、また数センチ。
「寝てもうたから。ワシにサシで相談するチャンスやけど?」
こそりと首が出て、遥は迷ったあげく…ブランケット片手に姿を現す。
寝てしまった桐生にアニメキャラのプリントの入ったブランケットをかけると、申し訳なさそうに真島の隣に座った。
「サボった理由は、桐生ちゃんに言われえん事か?」
「…うん」
「お前の父ちゃんヤ~クザ~…とか、アホな男子に言われたんやろ」
「………うん」
遥の両目に涙が溜り、真島の拳に力が籠る。
可愛い遥がいじめられているなんて、許せない。
だが…
「簡単な事やな。遥ちゃん、今度そない言われたら無視したり。男子が女の子いじめるんは、好きな子ぉ相手の時だけやからな」
「……そんな事ないよ。絶対」
「アホやなぁ。好きな子ほどいじめたいんは、男の本能やで?」
真島と桐生をみくらべ…遥はそうかもしれないと思った。
だとしたら、男の子は本当にガキだ。
「相手するからあかんねん。無視しとったらすぐ止めよるから。そしたら…遊ぼて、声かけたり?」
いたずらっ子な笑みに、遥は力が抜けた。
そんな簡単な話ではないような気もするけれど…実例が目の前にあったりするから。
桐生から歩み寄ったら、途端にフレンドリーになった真島のように…うまくいくかもしれない。
「わかった。ありがとね、真島のおじさん」
「桐生ちゃんが起きたら、同じ事言ったり」
「……わかってる。桐生のおじさんの本音、嬉しかったからvちゃんと明日から学校も行くし、男の子も何とかしてみるよ」
「それで、ええ」
真島はにかっと笑うと腰をあげ、遥の頭を撫でた。
「腹減っとるやろ。寿司あるから食っとき」
「うん。ありがとう」
真島は安心して帰っていき…遥は寿司を食べながらそっと桐生に身を寄せた。
酔っているせいでいつもより熱い体から溢れる自分への愛情が嬉しかった。
それが別の意味の愛情だったらいいのにな…なんて思ったのは、まだ当分の秘密だ。
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