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kj

歌彫

「どこにいくの?」
何も言わず、物音も立てず、ひっそりと部屋を出て行く桐生を遥は呼び止めた。広いとは言いがたい部屋で彼女の視線を潜り抜けて
出て行くのは、さすがに難しかったようだ。桐生は難しい顔をして振り向き、口ごもった。
「……その、煙草を買いに」
「煙草あるよ。おじさん、前にまとめて買ってたじゃない」
遥の指差す方には、桐生が好んで吸っている煙草が積んである。それを見て彼は小さく呻き、視線を泳がせた。
「あ、違う。そうだ、あれだ……夕食の買い物をしてやろうと思ってな」
「そんなの私が行くよ。おじさんは休みの時くらいゆっくりして」
桐生のことをいつも第一に考えている遥には、逆効果だったらしい。困ったように宙を眺める彼を、遥は訝しげに見上げた。
「もしかして、私に言えないような所にいくの?」
ぎくりと桐生は身を引く。元来嘘は上手な方ではない彼を知っているのか、不審に思った彼女は更に追及する。
「この時間だし……飲み屋じゃないよねえ」
「あ、あのな遥……」
どうにか言い訳しようとする桐生に、遥は手を叩いた。
「わかった!神室町でしょ!ずるーい!私も行きたーい!」
予想できた遥の反応に、彼は観念したように溜息をついた。


数時間後、二人は電車に乗り神室町へと向かっていた。桐生は困り果てた顔で遥に諭す。
「あのな、本来なら神室町は子供が遊びに来るような街じゃないんだぞ」
「はいはーい」
彼の言うことなど全く気にしていない様子の遥に、桐生は頭を抱える。酒場や風俗店が軒を連ね、その筋の人間が闊歩している街に
少女を度々連れて行くことは、教育上好ましくないことはわかっていた。桐生自身くだらない小競り合いに巻き込まれることも
しょっちゅうだったし、遥を連れていてもそれは変わらない。
 彼女の情操教育に危機感を覚えたのは、出会った頃からだった。以前行動を共にしていた時、数人の男を相手に大立ち回りを
やらかした。その時さすがに遥が心配になり視線を向けると、ギャラリーの中でも一番はしゃいで『やっちゃえー!』と声援を送っていた
のは他でもない遥だったのだ。しかもその後に、頼んでもない金銭の授受なども見られているのだから、彼女の頭の中の善悪は
どんなことになっているのか考えるだに恐ろしい。遥には普通の女の子として一生を送ってもらいたい。少なくとも必要最低限の
モラルを持っておいてほしいと望むのは、保護者として当然だろう。
 今から桐生が向かおうとしている場所は、違法ではないが神室町の中でもアンダーグラウンド的な場所だ。そこに子供を連れて行く
人間はまずいない。さて、用が済む間、遥をどうしたものか。桐生は難しい顔で目を閉じた。横では遥は嬉しそうに窓の外を眺めている。

「今から用を済ませてくるから、ここで待っててくれるか?」
この街で一番安全と思われるスマイルバーガーの片隅で、二人は向かい合わせに座っていた。家を出る前と違い、今度は素直に
頼んでみる。すると意外に素直に遥は頷いた。
「いいよ。待ってるから」
桐生は安心したように息を吐くと、忙しなく立ち上がった。
「すぐ戻る」
「うん、後でね!」
遥が小さく手を振り、桐生は店を出て行った。それを見送ると、彼女は退屈そうにシェイクを飲みながら足をぶらぶらさせる。
「なんで神室町に来るのに嘘つくんだろ、変なの」
ぽつりと呟き、遥は頬杖を付く。平日のファーストフードは人も少なく、みんな退屈そうだ。彼女はその辺りにあるもの全てに目を
通してしまうと、飽きたように溜息をついた。ふと、思い出したように遥は携帯を取り出す。そして退屈しのぎにどこかへメールを打った。

 ピンク通り裏の、更に裏路地。地下へと続く階段の先にそれはある。龍神会館と呼ばれるその場所は、桐生の背中の龍を彫った
歌彫という彫師がいる。
「お久しぶりです」
桐生は事務所に入り、深々と頭を下げる。奥にいた初老の男は彼を静かに見つめた。
「おう、桐生じゃねえか。一年ぶりか?」
「はい。ご無沙汰してます」
彼は申し訳なさそうに苦笑を浮かべる。歌彫とは、かつて錦山と対峙する際、色を入れなおしてもらった以来の対面となる。
歌彫は椅子に座ったまま、桐生を促した。
「まあ、座れや」
桐生は歌彫に言われるままに、手近な椅子に座る。薄暗く静かな事務所は、ほんのり染料の香りがした。
「……錦山とのこと、聞いたぞ」
ふいに話を切り出され、桐生は顔を上げる。歌彫は頬杖をつきながらにやりと笑った。
「あいつ、最後の最後で龍門を抜けやがったみてえだな」
「そう、思われますか」
桐生は思い詰めたように視線を落とす。あの日、タワーでの死闘を経て全てのケジメをつけるため、錦山は100億と共に散った。
その最後の笑みが、桐生の頭から離れることは決してなかった。錦山の背に描かれていたのは鯉、鯉は龍門を経て龍となる。
あの時、彼は龍となり、天へと上ったのか。
だとしたなら、俺は、最後の最後であいつに負けたのかもしれない。わずかに表情を歪める桐生に、歌彫は小さく笑った。
「お前の顔見りゃあ、だいたいわかる。しかし、死んじまっちゃあ…勝ち逃げみてえなもんだな。悔しいだろう、桐生」
桐生は苦笑を浮かべると、ゆっくりと首を振った。
「いや、俺は満足でした。それまで、何もかもが偽られているような状態で、あいつと拳を交わした時だけが真実だった。
 あの時、錦の考えていることが、口に出さなくても全て伝わってきた。あいつも同じだったでしょう。その上で、負けたのなら
 俺は何の後悔もありません」
「……そうか」
呟いたきり、歌彫は何も言わなかった。老巧な目を細め、何か思い出している風でもあった。桐生は少しずつ、思い出すように
話し始める。
「関西の龍にも……会いました」
「その件、東城会のもんから聞いてるよ。郷田とか言ったな、あいつの黄龍もすごかったろう」
さすがに歌彫は彫師らしく、彼の刺青のことが気になるようだ。桐生は微笑み、椅子の背もたれに身をゆだねた。
「やっぱりその話ですか」
「あたりまえだろう、俺はカウンセラーじゃねえ、彫師だぞ。風彫さんの黄龍と言やあ、名を継いだ者しか彫れねえ別格よ。
 あの爺さん、あれを彫り上げるなんざ、まだまだ現役だな」
嬉しそうに話す歌彫を眺め、桐生は表情を曇らせた。
「郷田龍司の黄龍は、4代目の仕事じゃないと聞きました」
「……なんだと?」
驚きのあまり目を丸くする歌彫に、桐生は頷いた。
「もう、4代目は手が動かないと。あれは、次期風彫のお嬢さんの手によるものだそうで」
桐生の話を聞き、歌彫は落胆の色を隠せない様子で呟いた。
「そうか、そりゃあ無念だったろうなあ……しかし、お嬢さん?次期風彫は女なのか?!」
「ええ、まだ若いお嬢さんでした」
歌彫はしばらく考えこみ、呻くように呟いた。
「小娘があの黄龍をなあ……にわかに信じがたいが、まあ、才能があれば自然と名が聞こえてくるだろうよ」
桐生が頷いた時だった。事務所の扉の向こうが何やら騒がしい。不審に思い、桐生が扉に近付いた瞬間、それがけたたましく開いた。
「桐生チャン、やっぱりここやった~!な、遥チャン。ワシの言うた通りやろ?!」
「真島のおじさん!ご挨拶もしないで入ったらダメだよ~!」
彼は言葉を失い、目の前に飛び出した真島と遥を眺めている。遥は桐生の視線に気付くと、申し訳なさそうに頭を下げた。
「えと、その…ごめんなさい……」

「遥と一緒だなんて、しかもここに連れてくるなんて、どういうことなんですか、兄さん!」
事務所外で、桐生は真島に詰め寄る。しかし、彼はけろっとした顔で楽しそうに笑った。
「遥チャンが寂しそうにしとったからやないか~。可愛い女の子がな、メールで
 『桐生のおじさんがいないから、アタシ寂しいの』
 なんて送って来てみ、居ても立ってもおれへんやないかい。しかもワシがどこにでも連れてったるで、て言うたら遥チャン何て言うたと思う?」
問われ、桐生は嫌な予感を感じつつ黙っている。真島はわざとらしく遥の仕草を真似して桐生を見つめた。
「『気にしなくていいよ。でも、できるなら、おじさんがどこに行ったのかだけ、知りたいな』
 やて!もう、ワシそのいじらしさに感動してもうて。涙で前が見えへん!即行遥チャンを小脇に抱えて賽の河原にゴーや!
 優しい花屋のオッサンに(無理やり)探してもろて、やっとここまで連れて来てやったんや。ほれ、ワシ、人情派やから!」
桐生は頭が痛そうに額を押さえ、その場にしゃがみこむ。あんなに気を遣っていたのに、よりにもよって遥に一番関わってほしくない
人間と会い、行ってほしくない場所に連れて行かれている。だいたい、遥のメールアドレスを何故真島が知っているのだろう。
その間にも、真島は今までのことを寸劇仕立てでまくしたてている。これは長くなりそうだ。

一方、遥は事務所の中で頭を下げていた。
「お話の邪魔をしてごめんなさい」
「気にすんな、お嬢ちゃん。別にこれといって深刻なことを話はしてねえから」
優しく告げられ、遥はほっとしたように辺りを見回す。壁に掛けられた下絵、刺青の関連書籍、中央の施術用の台など、彼女にとっては
見た事のない物で一杯だ。
「お爺さんは、刺青を彫るの?」
「知ってるのかい」
遥は微笑んで手を後ろに組んだ。。
「さっき、花屋のおじさんに聞いたの」
「そうかい」
歌彫は微笑んで遥に椅子を勧めた。彼女は先ほどまで桐生が座っていた所にちょこんと座る。
「お爺さんは、歌彫さんて言うんだよね」
「ああ、そうだ。それも聞いたのかい?」
遥は頷き、ふと問いかけた。
「歌彫さん、『月下美人』を覚えてる?」
歌彫は驚いて彼女に身を乗り出した。
「『月下美人』……刺青かい?」
「……うん。あのね、私のお母さんは胸に花の刺青を入れてたの。それが『月下美人』なんだって。それを彫ったのが歌彫さんだって
 前に聞いたの」
歌彫は押し黙り、遥を見つめた。かつて、ここに刺青を施して欲しいと来た女がいた。その女は、大切な人を忘れないためにこれを
彫るのだと言っていた。よくよく見れば、遥にその女の面影がある。彼は苦笑を浮かべた。
「あの女が、お前のお袋さんだったのか」
「覚えてるの?」
驚く遥に、歌彫は目を細めた。
「ああ、強い目をした綺麗な女だった。彫ってる間中、呻き声ひとつ上げなくてなあ、よく覚えてるよ」
「やっぱり、お母さんここに来たんだ」
遥は部屋を見回す。まるでどこかに母の痕跡が残っているか、探すかのように。彼は小さく笑い、遥に問いかけた。
「お母さんに、会いたいのかい」
「……ううん。だって、もうお母さんいないもん」
死んだのか、歌彫は眉をひそめる。元々、命など惜しくないという雰囲気を持った女だったため、気にはなっていたが。
遥は彼の表情を見て、慌てたように手を振った。
「あ、でもね、たった一晩だけ会えたの。だからもういいの」
「たった一晩、か。月下美人があだになっちまったなあ……」
歌彫は遠い目をする。下絵の段階で、彼女の雰囲気もあってか、そんな刹那的な花はやめておけと言った事があった。
しかし、女はこれでいいのだと笑っていた。結果的にこんな小さな女の子に寂しい思いをさせてしまったのは、たとえ刺青が関係なくとも
気分のいいものではない。悲しげに呟いた歌彫に、遥は素直な笑顔を向けた。
「そんなことないよ。ちゃんと会えたんだもん。それにね、あの刺青、すごく綺麗だった!お母さんによく似合ってたよ」
小さいのに、いっぱしの口を利きやがる。歌彫は俯いて微笑んだ。
「ねえ、歌彫さん」
ふいに問いかけられ、歌彫は遥に視線を向けた。彼女は真剣な顔で彼を見ている。
「頼んだら、私にも刺青彫ってくれる?」
それは困った申し出だ。歌彫は宙を睨み。考え込んだ。
「駄目だな」
「なんで?!」
「未成年には彫れねえんだよ。お嬢ちゃん」
「あ、そうか……」
彼女が見た方向には「未成年お断り」との張り紙がある。歌彫は声を上げて笑った。
「それに、たとえ成人しても、俺はお嬢ちゃんには彫りたくねえなあ」
彼女は首を傾げる。歌彫は穏やかに彼女を見つめた。
「何で彫りたいのかは知らねえが、お袋さんの真似だったら、やめときな。あれは、時に彫った人間を縛り付けるものだからよ」
「縛り付ける?」
「刺青はな、彫った時点で社会の一定のラインから外れちまう。そして、彫った時に抱いた信念や思想なんてもんを、見るたびに
 思い知らされるんだ。いざ忘れようと思っても、決して忘れる事を許さない。桐生も、あんたのお袋さんも、時にはそれに押しつぶされ
 そうになっただろうよ。覚悟して刺青入れた奴は、みんなそうやって社会からはみ出しながらも、歯あ食いしばって生きて
 死んでいくんだ。そんな人生、お嬢ちゃんには似合わねえ。だから俺はごめんだね、他を当たりな」
遥は真剣な顔で歌彫の話を聞いている。やがて、しばらく考えていた彼女は納得したように頷いた。
「そっか。うん、なんとなくわかったよ。ありがとう、歌彫さん!」
歌彫は満足そうに頷いた。
「賢い子だ。お嬢ちゃん、名前は?」
「遥だよ。澤村遥!」
微笑む彼女の頭を撫で、歌彫は席を立った。彼は扉を開くと、まだ外で騒いでいる二人を叱り付けた。
「いいかげんにしてくれ!うちは託児所じゃねえ!桐生、遥はお前のガキだろ、さっさと連れて行け!」
「あ、すみません!」
桐生は慌てて遥の下へ行く。そして深々と頭を下げた。
「ご迷惑おかけしました」
「おう、まあしっかりやれや。また来い、色入れてやる」
「いえ、俺はもう……」
堅気になったのに、刺青の色を気にするわけにはいかない。桐生が言おうとした時、歌彫は口の端に笑みを浮かべた。
「待ってるぞ」
それだけ言って歌彫は二人を事務所から出した。閉まった扉の前で、桐生は複雑な表情をする。
「おじさん?」
心配そうに覗き込む遥に、桐生は苦笑した。
「……行くぞ」
先に立って階段を上がっていく桐生を遥は慌てて追いかける。その先では真島が姿勢良く立っていた。
「遥チャン、長い間あの爺さんと何話してたんや?もしかして、刺青入れてもろたんか?」
その言葉に、桐生は驚いて遥を見る。しかし、彼女はゆっくり首を振った。
「一生駄目だって、断られちゃった」
ということは、遥は歌彫に刺青をせがんだという事になる。二人は顔を見合わせ、目を丸くした。
「そらごっついわ。遥ちゃん、刺青したかったんかいな!言うてくれれば腕のいい彫師紹介したるのに!」
桐生はひどく狼狽して、声を上げた。
「兄さん!そんなこと教えないでください!遥も、本気か?俺は許さんぞ!」
「大丈夫、もうそんな気ないから!」
遥は二人の先に立って歩き出す。その清々しい表情は、なにか吹っ切れたようにも見える。彼女は振り返り、素直に微笑んだ。
「行こ!三人で遊ぼう!」
「お、おい遥……!」
情けなく声を上げる桐生を、真島は豪快に笑った。
「そらええなあ、遊ぶでー!今日は遥チャンにとことん付き合うたるわ!」
「やったー」
遥ははしゃぎながら真島と手を取り合って歩いていく。桐生は必死の形相でその後を追いかけた。
追いつき追い越し、じゃれあうように歩いていく奇妙な三人組を、街行く人々は不思議そうに眺めていた。

「遥と一緒だなんて、しかもここに連れてくるなんて、どういうことなんですか、兄さん!」
事務所外で、桐生は真島に詰め寄る。しかし、彼はけろっとした顔で楽しそうに笑った。
「遥チャンが寂しそうにしとったからやないか~。可愛い女の子がな、メールで
 『桐生のおじさんがいないから、アタシ寂しいの』
 なんて送って来てみ、居ても立ってもおれへんやないかい。しかもワシがどこにでも連れてったるで、て言うたら遥チャン何て言うたと思う?」
問われ、桐生は嫌な予感を感じつつ黙っている。真島はわざとらしく遥の仕草を真似して桐生を見つめた。
「『気にしなくていいよ。でも、できるなら、おじさんがどこに行ったのかだけ、知りたいな』
 やて!もう、ワシそのいじらしさに感動してもうて。涙で前が見えへん!即行遥チャンを小脇に抱えて賽の河原にゴーや!
 優しい花屋のオッサンに(無理やり)探してもろて、やっとここまで連れて来てやったんや。ほれ、ワシ、人情派やから!」
桐生は頭が痛そうに額を押さえ、その場にしゃがみこむ。あんなに気を遣っていたのに、よりにもよって遥に一番関わってほしくない
人間と会い、行ってほしくない場所に連れて行かれている。だいたい、遥のメールアドレスを何故真島が知っているのだろう。
その間にも、真島は今までのことを寸劇仕立てでまくしたてている。これは長くなりそうだ。

一方、遥は事務所の中で頭を下げていた。
「お話の邪魔をしてごめんなさい」
「気にすんな、お嬢ちゃん。別にこれといって深刻なことを話はしてねえから」
優しく告げられ、遥はほっとしたように辺りを見回す。壁に掛けられた下絵、刺青の関連書籍、中央の施術用の台など、彼女にとっては
見た事のない物で一杯だ。
「お爺さんは、刺青を彫るの?」
「知ってるのかい」
遥は微笑んで手を後ろに組んだ。。
「さっき、花屋のおじさんに聞いたの」
「そうかい」
歌彫は微笑んで遥に椅子を勧めた。彼女は先ほどまで桐生が座っていた所にちょこんと座る。
「お爺さんは、歌彫さんて言うんだよね」
「ああ、そうだ。それも聞いたのかい?」
遥は頷き、ふと問いかけた。
「歌彫さん、『月下美人』を覚えてる?」
歌彫は驚いて彼女に身を乗り出した。
「『月下美人』……刺青かい?」
「……うん。あのね、私のお母さんは胸に花の刺青を入れてたの。それが『月下美人』なんだって。それを彫ったのが歌彫さんだって
 前に聞いたの」
歌彫は押し黙り、遥を見つめた。かつて、ここに刺青を施して欲しいと来た女がいた。その女は、大切な人を忘れないためにこれを
彫るのだと言っていた。よくよく見れば、遥にその女の面影がある。彼は苦笑を浮かべた。
「あの女が、お前のお袋さんだったのか」
「覚えてるの?」
驚く遥に、歌彫は目を細めた。
「ああ、強い目をした綺麗な女だった。彫ってる間中、呻き声ひとつ上げなくてなあ、よく覚えてるよ」
「やっぱり、お母さんここに来たんだ」
遥は部屋を見回す。まるでどこかに母の痕跡が残っているか、探すかのように。彼は小さく笑い、遥に問いかけた。
「お母さんに、会いたいのかい」
「……ううん。だって、もうお母さんいないもん」
死んだのか、歌彫は眉をひそめる。元々、命など惜しくないという雰囲気を持った女だったため、気にはなっていたが。
遥は彼の表情を見て、慌てたように手を振った。
「あ、でもね、たった一晩だけ会えたの。だからもういいの」
「たった一晩、か。月下美人があだになっちまったなあ……」
歌彫は遠い目をする。下絵の段階で、彼女の雰囲気もあってか、そんな刹那的な花はやめておけと言った事があった。
しかし、女はこれでいいのだと笑っていた。結果的にこんな小さな女の子に寂しい思いをさせてしまったのは、たとえ刺青が関係なくとも
気分のいいものではない。悲しげに呟いた歌彫に、遥は素直な笑顔を向けた。
「そんなことないよ。ちゃんと会えたんだもん。それにね、あの刺青、すごく綺麗だった!お母さんによく似合ってたよ」
小さいのに、いっぱしの口を利きやがる。歌彫は俯いて微笑んだ。
「ねえ、歌彫さん」
ふいに問いかけられ、歌彫は遥に視線を向けた。彼女は真剣な顔で彼を見ている。
「頼んだら、私にも刺青彫ってくれる?」
それは困った申し出だ。歌彫は宙を睨み。考え込んだ。
「駄目だな」
「なんで?!」
「未成年には彫れねえんだよ。お嬢ちゃん」
「あ、そうか……」
彼女が見た方向には「未成年お断り」との張り紙がある。歌彫は声を上げて笑った。
「それに、たとえ成人しても、俺はお嬢ちゃんには彫りたくねえなあ」
彼女は首を傾げる。歌彫は穏やかに彼女を見つめた。
「何で彫りたいのかは知らねえが、お袋さんの真似だったら、やめときな。あれは、時に彫った人間を縛り付けるものだからよ」
「縛り付ける?」
「刺青はな、彫った時点で社会の一定のラインから外れちまう。そして、彫った時に抱いた信念や思想なんてもんを、見るたびに
 思い知らされるんだ。いざ忘れようと思っても、決して忘れる事を許さない。桐生も、あんたのお袋さんも、時にはそれに押しつぶされ
 そうになっただろうよ。覚悟して刺青入れた奴は、みんなそうやって社会からはみ出しながらも、歯あ食いしばって生きて
 死んでいくんだ。そんな人生、お嬢ちゃんには似合わねえ。だから俺はごめんだね、他を当たりな」
遥は真剣な顔で歌彫の話を聞いている。やがて、しばらく考えていた彼女は納得したように頷いた。
「そっか。うん、なんとなくわかったよ。ありがとう、歌彫さん!」
歌彫は満足そうに頷いた。
「賢い子だ。お嬢ちゃん、名前は?」
「遥だよ。澤村遥!」
微笑む彼女の頭を撫で、歌彫は席を立った。彼は扉を開くと、まだ外で騒いでいる二人を叱り付けた。
「いいかげんにしてくれ!うちは託児所じゃねえ!桐生、遥はお前のガキだろ、さっさと連れて行け!」
「あ、すみません!」
桐生は慌てて遥の下へ行く。そして深々と頭を下げた。
「ご迷惑おかけしました」
「おう、まあしっかりやれや。また来い、色入れてやる」
「いえ、俺はもう……」
堅気になったのに、刺青の色を気にするわけにはいかない。桐生が言おうとした時、歌彫は口の端に笑みを浮かべた。
「待ってるぞ」
それだけ言って歌彫は二人を事務所から出した。閉まった扉の前で、桐生は複雑な表情をする。
「おじさん?」
心配そうに覗き込む遥に、桐生は苦笑した。
「……行くぞ」
先に立って階段を上がっていく桐生を遥は慌てて追いかける。その先では真島が姿勢良く立っていた。
「遥チャン、長い間あの爺さんと何話してたんや?もしかして、刺青入れてもろたんか?」
その言葉に、桐生は驚いて遥を見る。しかし、彼女はゆっくり首を振った。
「一生駄目だって、断られちゃった」
ということは、遥は歌彫に刺青をせがんだという事になる。二人は顔を見合わせ、目を丸くした。
「そらごっついわ。遥ちゃん、刺青したかったんかいな!言うてくれれば腕のいい彫師紹介したるのに!」
桐生はひどく狼狽して、声を上げた。
「兄さん!そんなこと教えないでください!遥も、本気か?俺は許さんぞ!」
「大丈夫、もうそんな気ないから!」
遥は二人の先に立って歩き出す。その清々しい表情は、なにか吹っ切れたようにも見える。彼女は振り返り、素直に微笑んだ。
「行こ!三人で遊ぼう!」
「お、おい遥……!」
情けなく声を上げる桐生を、真島は豪快に笑った。
「そらええなあ、遊ぶでー!今日は遥チャンにとことん付き合うたるわ!」
「やったー」
遥ははしゃぎながら真島と手を取り合って歩いていく。桐生は必死の形相でその後を追いかけた。
追いつき追い越し、じゃれあうように歩いていく奇妙な三人組を、街行く人々は不思議そうに眺めていた。

「遥と一緒だなんて、しかもここに連れてくるなんて、どういうことなんですか、兄さん!」
事務所外で、桐生は真島に詰め寄る。しかし、彼はけろっとした顔で楽しそうに笑った。
「遥チャンが寂しそうにしとったからやないか~。可愛い女の子がな、メールで
 『桐生のおじさんがいないから、アタシ寂しいの』
 なんて送って来てみ、居ても立ってもおれへんやないかい。しかもワシがどこにでも連れてったるで、て言うたら遥チャン何て言うたと思う?」
問われ、桐生は嫌な予感を感じつつ黙っている。真島はわざとらしく遥の仕草を真似して桐生を見つめた。
「『気にしなくていいよ。でも、できるなら、おじさんがどこに行ったのかだけ、知りたいな』
 やて!もう、ワシそのいじらしさに感動してもうて。涙で前が見えへん!即行遥チャンを小脇に抱えて賽の河原にゴーや!
 優しい花屋のオッサンに(無理やり)探してもろて、やっとここまで連れて来てやったんや。ほれ、ワシ、人情派やから!」
桐生は頭が痛そうに額を押さえ、その場にしゃがみこむ。あんなに気を遣っていたのに、よりにもよって遥に一番関わってほしくない
人間と会い、行ってほしくない場所に連れて行かれている。だいたい、遥のメールアドレスを何故真島が知っているのだろう。
その間にも、真島は今までのことを寸劇仕立てでまくしたてている。これは長くなりそうだ。

一方、遥は事務所の中で頭を下げていた。
「お話の邪魔をしてごめんなさい」
「気にすんな、お嬢ちゃん。別にこれといって深刻なことを話はしてねえから」
優しく告げられ、遥はほっとしたように辺りを見回す。壁に掛けられた下絵、刺青の関連書籍、中央の施術用の台など、彼女にとっては
見た事のない物で一杯だ。
「お爺さんは、刺青を彫るの?」
「知ってるのかい」
遥は微笑んで手を後ろに組んだ。。
「さっき、花屋のおじさんに聞いたの」
「そうかい」
歌彫は微笑んで遥に椅子を勧めた。彼女は先ほどまで桐生が座っていた所にちょこんと座る。
「お爺さんは、歌彫さんて言うんだよね」
「ああ、そうだ。それも聞いたのかい?」
遥は頷き、ふと問いかけた。
「歌彫さん、『月下美人』を覚えてる?」
歌彫は驚いて彼女に身を乗り出した。
「『月下美人』……刺青かい?」
「……うん。あのね、私のお母さんは胸に花の刺青を入れてたの。それが『月下美人』なんだって。それを彫ったのが歌彫さんだって
 前に聞いたの」
歌彫は押し黙り、遥を見つめた。かつて、ここに刺青を施して欲しいと来た女がいた。その女は、大切な人を忘れないためにこれを
彫るのだと言っていた。よくよく見れば、遥にその女の面影がある。彼は苦笑を浮かべた。
「あの女が、お前のお袋さんだったのか」
「覚えてるの?」
驚く遥に、歌彫は目を細めた。
「ああ、強い目をした綺麗な女だった。彫ってる間中、呻き声ひとつ上げなくてなあ、よく覚えてるよ」
「やっぱり、お母さんここに来たんだ」
遥は部屋を見回す。まるでどこかに母の痕跡が残っているか、探すかのように。彼は小さく笑い、遥に問いかけた。
「お母さんに、会いたいのかい」
「……ううん。だって、もうお母さんいないもん」
死んだのか、歌彫は眉をひそめる。元々、命など惜しくないという雰囲気を持った女だったため、気にはなっていたが。
遥は彼の表情を見て、慌てたように手を振った。
「あ、でもね、たった一晩だけ会えたの。だからもういいの」
「たった一晩、か。月下美人があだになっちまったなあ……」
歌彫は遠い目をする。下絵の段階で、彼女の雰囲気もあってか、そんな刹那的な花はやめておけと言った事があった。
しかし、女はこれでいいのだと笑っていた。結果的にこんな小さな女の子に寂しい思いをさせてしまったのは、たとえ刺青が関係なくとも
気分のいいものではない。悲しげに呟いた歌彫に、遥は素直な笑顔を向けた。
「そんなことないよ。ちゃんと会えたんだもん。それにね、あの刺青、すごく綺麗だった!お母さんによく似合ってたよ」
小さいのに、いっぱしの口を利きやがる。歌彫は俯いて微笑んだ。
「ねえ、歌彫さん」
ふいに問いかけられ、歌彫は遥に視線を向けた。彼女は真剣な顔で彼を見ている。
「頼んだら、私にも刺青彫ってくれる?」
それは困った申し出だ。歌彫は宙を睨み。考え込んだ。
「駄目だな」
「なんで?!」
「未成年には彫れねえんだよ。お嬢ちゃん」
「あ、そうか……」
彼女が見た方向には「未成年お断り」との張り紙がある。歌彫は声を上げて笑った。
「それに、たとえ成人しても、俺はお嬢ちゃんには彫りたくねえなあ」
彼女は首を傾げる。歌彫は穏やかに彼女を見つめた。
「何で彫りたいのかは知らねえが、お袋さんの真似だったら、やめときな。あれは、時に彫った人間を縛り付けるものだからよ」
「縛り付ける?」
「刺青はな、彫った時点で社会の一定のラインから外れちまう。そして、彫った時に抱いた信念や思想なんてもんを、見るたびに
 思い知らされるんだ。いざ忘れようと思っても、決して忘れる事を許さない。桐生も、あんたのお袋さんも、時にはそれに押しつぶされ
 そうになっただろうよ。覚悟して刺青入れた奴は、みんなそうやって社会からはみ出しながらも、歯あ食いしばって生きて
 死んでいくんだ。そんな人生、お嬢ちゃんには似合わねえ。だから俺はごめんだね、他を当たりな」
遥は真剣な顔で歌彫の話を聞いている。やがて、しばらく考えていた彼女は納得したように頷いた。
「そっか。うん、なんとなくわかったよ。ありがとう、歌彫さん!」
歌彫は満足そうに頷いた。
「賢い子だ。お嬢ちゃん、名前は?」
「遥だよ。澤村遥!」
微笑む彼女の頭を撫で、歌彫は席を立った。彼は扉を開くと、まだ外で騒いでいる二人を叱り付けた。
「いいかげんにしてくれ!うちは託児所じゃねえ!桐生、遥はお前のガキだろ、さっさと連れて行け!」
「あ、すみません!」
桐生は慌てて遥の下へ行く。そして深々と頭を下げた。
「ご迷惑おかけしました」
「おう、まあしっかりやれや。また来い、色入れてやる」
「いえ、俺はもう……」
堅気になったのに、刺青の色を気にするわけにはいかない。桐生が言おうとした時、歌彫は口の端に笑みを浮かべた。
「待ってるぞ」
それだけ言って歌彫は二人を事務所から出した。閉まった扉の前で、桐生は複雑な表情をする。
「おじさん?」
心配そうに覗き込む遥に、桐生は苦笑した。
「……行くぞ」
先に立って階段を上がっていく桐生を遥は慌てて追いかける。その先では真島が姿勢良く立っていた。
「遥チャン、長い間あの爺さんと何話してたんや?もしかして、刺青入れてもろたんか?」
その言葉に、桐生は驚いて遥を見る。しかし、彼女はゆっくり首を振った。
「一生駄目だって、断られちゃった」
ということは、遥は歌彫に刺青をせがんだという事になる。二人は顔を見合わせ、目を丸くした。
「そらごっついわ。遥ちゃん、刺青したかったんかいな!言うてくれれば腕のいい彫師紹介したるのに!」
桐生はひどく狼狽して、声を上げた。
「兄さん!そんなこと教えないでください!遥も、本気か?俺は許さんぞ!」
「大丈夫、もうそんな気ないから!」
遥は二人の先に立って歩き出す。その清々しい表情は、なにか吹っ切れたようにも見える。彼女は振り返り、素直に微笑んだ。
「行こ!三人で遊ぼう!」
「お、おい遥……!」
情けなく声を上げる桐生を、真島は豪快に笑った。
「そらええなあ、遊ぶでー!今日は遥チャンにとことん付き合うたるわ!」
「やったー」
遥ははしゃぎながら真島と手を取り合って歩いていく。桐生は必死の形相でその後を追いかけた。
追いつき追い越し、じゃれあうように歩いていく奇妙な三人組を、街行く人々は不思議そうに眺めていた。

「遥と一緒だなんて、しかもここに連れてくるなんて、どういうことなんですか、兄さん!」
事務所外で、桐生は真島に詰め寄る。しかし、彼はけろっとした顔で楽しそうに笑った。
「遥チャンが寂しそうにしとったからやないか~。可愛い女の子がな、メールで
 『桐生のおじさんがいないから、アタシ寂しいの』
 なんて送って来てみ、居ても立ってもおれへんやないかい。しかもワシがどこにでも連れてったるで、て言うたら遥チャン何て言うたと思う?」
問われ、桐生は嫌な予感を感じつつ黙っている。真島はわざとらしく遥の仕草を真似して桐生を見つめた。
「『気にしなくていいよ。でも、できるなら、おじさんがどこに行ったのかだけ、知りたいな』
 やて!もう、ワシそのいじらしさに感動してもうて。涙で前が見えへん!即行遥チャンを小脇に抱えて賽の河原にゴーや!
 優しい花屋のオッサンに(無理やり)探してもろて、やっとここまで連れて来てやったんや。ほれ、ワシ、人情派やから!」
桐生は頭が痛そうに額を押さえ、その場にしゃがみこむ。あんなに気を遣っていたのに、よりにもよって遥に一番関わってほしくない
人間と会い、行ってほしくない場所に連れて行かれている。だいたい、遥のメールアドレスを何故真島が知っているのだろう。
その間にも、真島は今までのことを寸劇仕立てでまくしたてている。これは長くなりそうだ。

一方、遥は事務所の中で頭を下げていた。
「お話の邪魔をしてごめんなさい」
「気にすんな、お嬢ちゃん。別にこれといって深刻なことを話はしてねえから」
優しく告げられ、遥はほっとしたように辺りを見回す。壁に掛けられた下絵、刺青の関連書籍、中央の施術用の台など、彼女にとっては
見た事のない物で一杯だ。
「お爺さんは、刺青を彫るの?」
「知ってるのかい」
遥は微笑んで手を後ろに組んだ。。
「さっき、花屋のおじさんに聞いたの」
「そうかい」
歌彫は微笑んで遥に椅子を勧めた。彼女は先ほどまで桐生が座っていた所にちょこんと座る。
「お爺さんは、歌彫さんて言うんだよね」
「ああ、そうだ。それも聞いたのかい?」
遥は頷き、ふと問いかけた。
「歌彫さん、『月下美人』を覚えてる?」
歌彫は驚いて彼女に身を乗り出した。
「『月下美人』……刺青かい?」
「……うん。あのね、私のお母さんは胸に花の刺青を入れてたの。それが『月下美人』なんだって。それを彫ったのが歌彫さんだって
 前に聞いたの」
歌彫は押し黙り、遥を見つめた。かつて、ここに刺青を施して欲しいと来た女がいた。その女は、大切な人を忘れないためにこれを
彫るのだと言っていた。よくよく見れば、遥にその女の面影がある。彼は苦笑を浮かべた。
「あの女が、お前のお袋さんだったのか」
「覚えてるの?」
驚く遥に、歌彫は目を細めた。
「ああ、強い目をした綺麗な女だった。彫ってる間中、呻き声ひとつ上げなくてなあ、よく覚えてるよ」
「やっぱり、お母さんここに来たんだ」
遥は部屋を見回す。まるでどこかに母の痕跡が残っているか、探すかのように。彼は小さく笑い、遥に問いかけた。
「お母さんに、会いたいのかい」
「……ううん。だって、もうお母さんいないもん」
死んだのか、歌彫は眉をひそめる。元々、命など惜しくないという雰囲気を持った女だったため、気にはなっていたが。
遥は彼の表情を見て、慌てたように手を振った。
「あ、でもね、たった一晩だけ会えたの。だからもういいの」
「たった一晩、か。月下美人があだになっちまったなあ……」
歌彫は遠い目をする。下絵の段階で、彼女の雰囲気もあってか、そんな刹那的な花はやめておけと言った事があった。
しかし、女はこれでいいのだと笑っていた。結果的にこんな小さな女の子に寂しい思いをさせてしまったのは、たとえ刺青が関係なくとも
気分のいいものではない。悲しげに呟いた歌彫に、遥は素直な笑顔を向けた。
「そんなことないよ。ちゃんと会えたんだもん。それにね、あの刺青、すごく綺麗だった!お母さんによく似合ってたよ」
小さいのに、いっぱしの口を利きやがる。歌彫は俯いて微笑んだ。
「ねえ、歌彫さん」
ふいに問いかけられ、歌彫は遥に視線を向けた。彼女は真剣な顔で彼を見ている。
「頼んだら、私にも刺青彫ってくれる?」
それは困った申し出だ。歌彫は宙を睨み。考え込んだ。
「駄目だな」
「なんで?!」
「未成年には彫れねえんだよ。お嬢ちゃん」
「あ、そうか……」
彼女が見た方向には「未成年お断り」との張り紙がある。歌彫は声を上げて笑った。
「それに、たとえ成人しても、俺はお嬢ちゃんには彫りたくねえなあ」
彼女は首を傾げる。歌彫は穏やかに彼女を見つめた。
「何で彫りたいのかは知らねえが、お袋さんの真似だったら、やめときな。あれは、時に彫った人間を縛り付けるものだからよ」
「縛り付ける?」
「刺青はな、彫った時点で社会の一定のラインから外れちまう。そして、彫った時に抱いた信念や思想なんてもんを、見るたびに
 思い知らされるんだ。いざ忘れようと思っても、決して忘れる事を許さない。桐生も、あんたのお袋さんも、時にはそれに押しつぶされ
 そうになっただろうよ。覚悟して刺青入れた奴は、みんなそうやって社会からはみ出しながらも、歯あ食いしばって生きて
 死んでいくんだ。そんな人生、お嬢ちゃんには似合わねえ。だから俺はごめんだね、他を当たりな」
遥は真剣な顔で歌彫の話を聞いている。やがて、しばらく考えていた彼女は納得したように頷いた。
「そっか。うん、なんとなくわかったよ。ありがとう、歌彫さん!」
歌彫は満足そうに頷いた。
「賢い子だ。お嬢ちゃん、名前は?」
「遥だよ。澤村遥!」
微笑む彼女の頭を撫で、歌彫は席を立った。彼は扉を開くと、まだ外で騒いでいる二人を叱り付けた。
「いいかげんにしてくれ!うちは託児所じゃねえ!桐生、遥はお前のガキだろ、さっさと連れて行け!」
「あ、すみません!」
桐生は慌てて遥の下へ行く。そして深々と頭を下げた。
「ご迷惑おかけしました」
「おう、まあしっかりやれや。また来い、色入れてやる」
「いえ、俺はもう……」
堅気になったのに、刺青の色を気にするわけにはいかない。桐生が言おうとした時、歌彫は口の端に笑みを浮かべた。
「待ってるぞ」
それだけ言って歌彫は二人を事務所から出した。閉まった扉の前で、桐生は複雑な表情をする。
「おじさん?」
心配そうに覗き込む遥に、桐生は苦笑した。
「……行くぞ」
先に立って階段を上がっていく桐生を遥は慌てて追いかける。その先では真島が姿勢良く立っていた。
「遥チャン、長い間あの爺さんと何話してたんや?もしかして、刺青入れてもろたんか?」
その言葉に、桐生は驚いて遥を見る。しかし、彼女はゆっくり首を振った。
「一生駄目だって、断られちゃった」
ということは、遥は歌彫に刺青をせがんだという事になる。二人は顔を見合わせ、目を丸くした。
「そらごっついわ。遥ちゃん、刺青したかったんかいな!言うてくれれば腕のいい彫師紹介したるのに!」
桐生はひどく狼狽して、声を上げた。
「兄さん!そんなこと教えないでください!遥も、本気か?俺は許さんぞ!」
「大丈夫、もうそんな気ないから!」
遥は二人の先に立って歩き出す。その清々しい表情は、なにか吹っ切れたようにも見える。彼女は振り返り、素直に微笑んだ。
「行こ!三人で遊ぼう!」
「お、おい遥……!」
情けなく声を上げる桐生を、真島は豪快に笑った。
「そらええなあ、遊ぶでー!今日は遥チャンにとことん付き合うたるわ!」
「やったー」
遥ははしゃぎながら真島と手を取り合って歩いていく。桐生は必死の形相でその後を追いかけた。
追いつき追い越し、じゃれあうように歩いていく奇妙な三人組を、街行く人々は不思議そうに眺めていた。

「遥と一緒だなんて、しかもここに連れてくるなんて、どういうことなんですか、兄さん!」
事務所外で、桐生は真島に詰め寄る。しかし、彼はけろっとした顔で楽しそうに笑った。
「遥チャンが寂しそうにしとったからやないか~。可愛い女の子がな、メールで
 『桐生のおじさんがいないから、アタシ寂しいの』
 なんて送って来てみ、居ても立ってもおれへんやないかい。しかもワシがどこにでも連れてったるで、て言うたら遥チャン何て言うたと思う?」
問われ、桐生は嫌な予感を感じつつ黙っている。真島はわざとらしく遥の仕草を真似して桐生を見つめた。
「『気にしなくていいよ。でも、できるなら、おじさんがどこに行ったのかだけ、知りたいな』
 やて!もう、ワシそのいじらしさに感動してもうて。涙で前が見えへん!即行遥チャンを小脇に抱えて賽の河原にゴーや!
 優しい花屋のオッサンに(無理やり)探してもろて、やっとここまで連れて来てやったんや。ほれ、ワシ、人情派やから!」
桐生は頭が痛そうに額を押さえ、その場にしゃがみこむ。あんなに気を遣っていたのに、よりにもよって遥に一番関わってほしくない
人間と会い、行ってほしくない場所に連れて行かれている。だいたい、遥のメールアドレスを何故真島が知っているのだろう。
その間にも、真島は今までのことを寸劇仕立てでまくしたてている。これは長くなりそうだ。

一方、遥は事務所の中で頭を下げていた。
「お話の邪魔をしてごめんなさい」
「気にすんな、お嬢ちゃん。別にこれといって深刻なことを話はしてねえから」
優しく告げられ、遥はほっとしたように辺りを見回す。壁に掛けられた下絵、刺青の関連書籍、中央の施術用の台など、彼女にとっては
見た事のない物で一杯だ。
「お爺さんは、刺青を彫るの?」
「知ってるのかい」
遥は微笑んで手を後ろに組んだ。。
「さっき、花屋のおじさんに聞いたの」
「そうかい」
歌彫は微笑んで遥に椅子を勧めた。彼女は先ほどまで桐生が座っていた所にちょこんと座る。
「お爺さんは、歌彫さんて言うんだよね」
「ああ、そうだ。それも聞いたのかい?」
遥は頷き、ふと問いかけた。
「歌彫さん、『月下美人』を覚えてる?」
歌彫は驚いて彼女に身を乗り出した。
「『月下美人』……刺青かい?」
「……うん。あのね、私のお母さんは胸に花の刺青を入れてたの。それが『月下美人』なんだって。それを彫ったのが歌彫さんだって
 前に聞いたの」
歌彫は押し黙り、遥を見つめた。かつて、ここに刺青を施して欲しいと来た女がいた。その女は、大切な人を忘れないためにこれを
彫るのだと言っていた。よくよく見れば、遥にその女の面影がある。彼は苦笑を浮かべた。
「あの女が、お前のお袋さんだったのか」
「覚えてるの?」
驚く遥に、歌彫は目を細めた。
「ああ、強い目をした綺麗な女だった。彫ってる間中、呻き声ひとつ上げなくてなあ、よく覚えてるよ」
「やっぱり、お母さんここに来たんだ」
遥は部屋を見回す。まるでどこかに母の痕跡が残っているか、探すかのように。彼は小さく笑い、遥に問いかけた。
「お母さんに、会いたいのかい」
「……ううん。だって、もうお母さんいないもん」
死んだのか、歌彫は眉をひそめる。元々、命など惜しくないという雰囲気を持った女だったため、気にはなっていたが。
遥は彼の表情を見て、慌てたように手を振った。
「あ、でもね、たった一晩だけ会えたの。だからもういいの」
「たった一晩、か。月下美人があだになっちまったなあ……」
歌彫は遠い目をする。下絵の段階で、彼女の雰囲気もあってか、そんな刹那的な花はやめておけと言った事があった。
しかし、女はこれでいいのだと笑っていた。結果的にこんな小さな女の子に寂しい思いをさせてしまったのは、たとえ刺青が関係なくとも
気分のいいものではない。悲しげに呟いた歌彫に、遥は素直な笑顔を向けた。
「そんなことないよ。ちゃんと会えたんだもん。それにね、あの刺青、すごく綺麗だった!お母さんによく似合ってたよ」
小さいのに、いっぱしの口を利きやがる。歌彫は俯いて微笑んだ。
「ねえ、歌彫さん」
ふいに問いかけられ、歌彫は遥に視線を向けた。彼女は真剣な顔で彼を見ている。
「頼んだら、私にも刺青彫ってくれる?」
それは困った申し出だ。歌彫は宙を睨み。考え込んだ。
「駄目だな」
「なんで?!」
「未成年には彫れねえんだよ。お嬢ちゃん」
「あ、そうか……」
彼女が見た方向には「未成年お断り」との張り紙がある。歌彫は声を上げて笑った。
「それに、たとえ成人しても、俺はお嬢ちゃんには彫りたくねえなあ」
彼女は首を傾げる。歌彫は穏やかに彼女を見つめた。
「何で彫りたいのかは知らねえが、お袋さんの真似だったら、やめときな。あれは、時に彫った人間を縛り付けるものだからよ」
「縛り付ける?」
「刺青はな、彫った時点で社会の一定のラインから外れちまう。そして、彫った時に抱いた信念や思想なんてもんを、見るたびに
 思い知らされるんだ。いざ忘れようと思っても、決して忘れる事を許さない。桐生も、あんたのお袋さんも、時にはそれに押しつぶされ
 そうになっただろうよ。覚悟して刺青入れた奴は、みんなそうやって社会からはみ出しながらも、歯あ食いしばって生きて
 死んでいくんだ。そんな人生、お嬢ちゃんには似合わねえ。だから俺はごめんだね、他を当たりな」
遥は真剣な顔で歌彫の話を聞いている。やがて、しばらく考えていた彼女は納得したように頷いた。
「そっか。うん、なんとなくわかったよ。ありがとう、歌彫さん!」
歌彫は満足そうに頷いた。
「賢い子だ。お嬢ちゃん、名前は?」
「遥だよ。澤村遥!」
微笑む彼女の頭を撫で、歌彫は席を立った。彼は扉を開くと、まだ外で騒いでいる二人を叱り付けた。
「いいかげんにしてくれ!うちは託児所じゃねえ!桐生、遥はお前のガキだろ、さっさと連れて行け!」
「あ、すみません!」
桐生は慌てて遥の下へ行く。そして深々と頭を下げた。
「ご迷惑おかけしました」
「おう、まあしっかりやれや。また来い、色入れてやる」
「いえ、俺はもう……」
堅気になったのに、刺青の色を気にするわけにはいかない。桐生が言おうとした時、歌彫は口の端に笑みを浮かべた。
「待ってるぞ」
それだけ言って歌彫は二人を事務所から出した。閉まった扉の前で、桐生は複雑な表情をする。
「おじさん?」
心配そうに覗き込む遥に、桐生は苦笑した。
「……行くぞ」
先に立って階段を上がっていく桐生を遥は慌てて追いかける。その先では真島が姿勢良く立っていた。
「遥チャン、長い間あの爺さんと何話してたんや?もしかして、刺青入れてもろたんか?」
その言葉に、桐生は驚いて遥を見る。しかし、彼女はゆっくり首を振った。
「一生駄目だって、断られちゃった」
ということは、遥は歌彫に刺青をせがんだという事になる。二人は顔を見合わせ、目を丸くした。
「そらごっついわ。遥ちゃん、刺青したかったんかいな!言うてくれれば腕のいい彫師紹介したるのに!」
桐生はひどく狼狽して、声を上げた。
「兄さん!そんなこと教えないでください!遥も、本気か?俺は許さんぞ!」
「大丈夫、もうそんな気ないから!」
遥は二人の先に立って歩き出す。その清々しい表情は、なにか吹っ切れたようにも見える。彼女は振り返り、素直に微笑んだ。
「行こ!三人で遊ぼう!」
「お、おい遥……!」
情けなく声を上げる桐生を、真島は豪快に笑った。
「そらええなあ、遊ぶでー!今日は遥チャンにとことん付き合うたるわ!」
「やったー」
遥ははしゃぎながら真島と手を取り合って歩いていく。桐生は必死の形相でその後を追いかけた。
追いつき追い越し、じゃれあうように歩いていく奇妙な三人組を、街行く人々は不思議そうに眺めていた。

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