『天国のお母さん、お元気ですか。私はまた誘拐されてしまったようです』
遥の長い一日
『どうして私、ここにいるのかな』
遥は神室町にある空きビルの一室でぼんやり思った。
老朽化のためテナントとして入ってる店はない。電気も入ってないのか、薄暗くすすけた室内の詳細はわからない。
入ってきた時にカウンターが見えたので、元々バーだったのかもしれない。椅子に座らされたまま縛られているため、身動きが取れない。
彼女は、視線だけ動かした。
目の前には挙動不審の男が三人、先程から言い争いを続けている。一人は三人のリーダー格らしい、上からものを言うスーツの男。
もう一人は派手な柄シャツに茶髪の若い男。あと一人は、でっぷりと太った目の優しい男。まるでアニメに出てくるような三人組だと
遥は思った。
「な、な、なんで子供攫っちまうんだよ!お前は!」
スーツの男が柄シャツの頭を殴った。柄シャツは頭を押さえてうずくまると、情けない声を上げた。
「だって急にガキが声かけるから驚いちまって…気がついたら車に押し込んでたんすよ」
どうやら彼女を攫ったのは不測の事態らしい。遥が困ったように眺めていると、太った男が彼女にチョコを差し出した。
「お嬢ちゃん、これ食う?」
時間をさかのぼることにする。遥は東城会本部で細々とした雑用をやらせてもらっていた。特に誰が命令したわけでもないのだが
彼女は生来働き者らしく、自然とやっている。最初は構成員達も戸惑いを覚えたり彼女を疎ましく思っていたが、今や彼女なしでは
組織の台所事情は回らないほどだ。この日も遥は小さな仕事を見つけつつ、いつもの日々を過ごしていた。
今日は桐生も関東に戻る日だった。遥は夕方に桐生に会えるのをうきうきしながら待ちつつ、本部の門前を竹箒で掃いていた。
「遥さん、えらく機嫌がいいですね」
門を守る男が彼女に声をかける。遥は笑顔で答えた。
「うん、今日おじさんが帰ってくるんだ」
「それじゃ、遥さんはまた当分こちらにこないんですね。残念だな」
がっかりしたように男が肩を落とす。ここに通う間に構成員達と仲も良くなった。遥は堂島の家に世話になっているからか、皆彼女に
かしこまったように話すのが不満だが、とてもいい人ばかりだ。遥は掃除の手を止め、彼の方を見た。
「またすぐ来るよ。約束」
「はは、約束」
男はそう言って、他の男と何やら仕事の話を始めた。遥は門の外を掃除しようと外に出たときだった。少し離れたところで見慣れぬ
三人組の男がなにやら密談を交わしている。服装もばらばら、東城会の人間ではないようだ。彼女は彼らのそばに近寄ってみた。
「おい、行ってこい」
「やや、ここは親父がひとつ」
「馬鹿、俺が先に行ったら威厳もなにも…」
「腹減った」
なんだかよくわからない。遥は首をかしげつつ声をかけることにした。
「おじさんたち、どうしたの?」
「ぅわーーーー!」
三人のうち二人がひどく驚いたのか、叫び声を上げる。一人は遥を珍しそうに眺めた。
「え、どうしたの?何かここに御用ですか?」
スーツの男はうろたえながら何度も首を振る
「いいいいいやその、なんでもないこともねえがなんでもあるっつうか、でもまだ心の準備がないこともないような」
全く要領を得ない。彼女はすっかり困ってしまい、先程言葉を交わした構成員を呼ぶことにした。
「おじさん!なんかよくわからないけど用がありそうな人がいる……」
その瞬間、彼女の口がふさがれる。若い男が彼女を近くの車に押し込んだ。
「ストップ!ストーーーーップ!親父、ここはいったん引きましょう!」
「お、おう!」
彼女の声を聞きつけ、構成員が出てきた頃には、車は門の前を通り過ぎて行くところだった。車内では遥がぽかんとした顔をしている
のが見えた。こういったことに慣れているのか、構成員は手早くナンバーを控え、深刻な顔で建物に入っていった。
遥は太った男にチョコを食べさせてもらい、足をぶらぶらさせた。正直とても退屈なのだ。
「おじさんたち、私を誘拐してどうするの?東城会さんと喧嘩するの?」
スーツの男は東城会の名前を聞いた瞬間震え上がり、手を振った。
「めめめ、めっそうもない!あ、そういやてめえガキか。ちょっと黙ってろ!」
「だって、退屈なんだもん。ロープも手加減してくれてゆるゆるだし。ちょっと取るね」
遥は言いながら拘束していたロープをはずして伸びをした。その大胆な態度に三人はあっけにとられたように彼女を見た。
「大丈夫だよ。逃げないから」
「逃げないって、そういう問題じゃねえ!お前攫われたんだぞ!普通泣いたりわめいたり…!」
「おじさんたち、そんなに怖い人じゃないから。本当に怖い人だったら、私こんなことしないよ」
けろっとした顔で言い放つ遥に三人は驚かされっぱなしだ。柄シャツは我に返って彼女に詰め寄った。
「てめえ、生意気言ってんじゃねえぞ!怖くねえだ?強がんな。じゃ、誰が本当に怖いって言うんだよ!」
「最近だったら、近江の…千石さんところとか。虎さんが二匹もいてね、あ、虎さんは可愛いんだけど、お城の中には鎧来た人が
いるんだよ」
スーツの男が駆け寄ってきた。
「近江…近江連合か!?」
「そうだった…かも。でも千石さん、龍司お兄ちゃんに殺されちゃった」
龍司の名を聞き、柄シャツは情けない声を上げた。
「龍司?そ、それ郷田龍司…『関西の龍』って言われてる奴だよ親父!」
「あ、それ言うとすごく怒られるみたいだよ。気をつけたほうがいいよ」
遥がこともなげに話すのを聞き、スーツの男は力が抜けたように座り込んだ。隅の方では、太った男がひたすら菓子をつまんでいる。
我関せずといったところか。
「お前、何者なんだ?本部にいるってことは、関係者なんだろうが」
「関係者…かなあ。よくわかんない」
「だってなんで近江の奴のこと知ってんだよ!ただのガキが、おかしいだろうがよ!」
「だって攫われちゃったんだもん。助けてもらったけど」
スーツの男は力なく彼女を見ると、両手で顔を覆った。
「てことは会長の縁戚かそういう関係か……もう駄目だ。こんなことしちまって、俺はおしまいだ……」
「おじさんたち、何しに本部まで来たの。教えて」
太った男がそれを聞き、笑顔でやってきた。
「俺達東城会に入りたいんだ」
「東城会に?」
思わず聞き返す遥に柄シャツが溜息をついた。
「そ。一念発起してきたけどもう駄目だな、消されるわ。俺達」
スーツの男が顔を上げた。
「ワシらは地方の小さな田舎町で、やくざまがいなことをやってきたんだ。といっても、映画や本の見よう見まねみたいなことばっかりで
要するに町からはみだした乱暴者の集まりというやつでね。でも、いつか組を大きくして、故郷の奴らを見返してやりたくて、こっちに
出てきたんだ。杯ってんだっけ?それを交わしたくてよ」
「誰と?」
「誰とって…か、会長さ!どうせ杯交わすんなら東城会の頭しか考えられねえな!」
遥は開いた口がふさがらない。組織のことはよくわからないが、それがいかに無謀なことかは誰にだって分かる。
「そんで、杯の申し入れをしたくてあそこにいたんだけどな…こんなことに」
「そうだったんだ……」
柄シャツが煙草に火をつけ、カウンターに寄りかかる。
「あとな、神室町にも来てみたかったんだよな。なんせここは俺達みたいな人間には伝説の地だから」
「伝説?」
彼を見つめると、柄シャツは煙を吐いた。
「『関東の龍』桐生一馬が守った街だからな。一度は破門されたのに腕っ節だけで四代目にまでなった男だぜ、しびれるよなあ!
今はカタギになってるみたいだけど、俺にとっちゃどんな人より憧れてんだ。あと、『嶋野の狂犬』真島吾朗って知ってっか?
知ってるよな、関係者なら。あの人も尊敬してんだよ!近江との抗争で、一人で何十人もの兵隊達をちぎっては投げ、ちぎっては投げ!
これに惚れない男はいないね!どうよ!」
まるで子供がヒーローを語るように柄シャツは興奮してまくしたてる。遥は思わぬところで桐生の名前を聞き、少し驚いた。
「おじさん達、桐生のおじ…じゃない、桐生さんや真島さんをよく知ってるんだね」
スーツの男は大きく頷いた。
「そりゃあそうさ。ワシより年下だが、その二人の名前は地方のやくざでも知らない奴はないんだからな!」
遥は少し嬉しそうに、スーツの男の顔を覗き込んだ。
「それ聞いたら、きっと真島さんは喜ぶよ。あ、でも桐生さんは困っちゃうかも。」
「……へ?」
その時、部屋の扉が激しい音を立てて破壊された。扉の向こうの人物が蹴破ったらしい、古い扉は中央からへし折られている。
「遥!」
「桐生のおじさん!」
そこには息を切らして立っている桐生がいた。桐生?三人は顔を見合わせる。遥は嬉しそうに飛び跳ねながら彼に手を振った。
「おかえりなさーい」
「遥、無事か!?」
「大丈夫だよ。心配かけてごめんなさい」
歩み寄る遥を見、桐生は安心したように笑顔を浮かべた。彼らは二人を眺めると恐る恐る問いかける。
「ま、ま、まさかとは思うが、あなたは…」
遥は二人に歩み寄るとにっこり笑った。
「そう、さっき話してた桐生一馬さんだよ。よかったね、会えて」
「ひええええ!す、すいません!攫う気はなかったんです。ほんとすみません!お前らも謝れ!早く!」
三人は素早く土下座すると、額を床に押し当てて何度も謝る。抵抗するかと思っていただけに、桐生は彼らの意外な反応に驚いて固まった。
その時、もう一人駆け込んできた人物がいる。驚いて視線を移すと大吾だった。
「遥!大丈夫か!?って……どういうことだ?これは」
妙な雰囲気に面食らったのか、大吾は怪訝な顔をする。桐生も首を振った。
「さっぱりわからん」
頭を下げていたスーツの男は新たなる男の登場に思わず問いかけた。
「あ、あのこちらは…」
「あ、大吾お兄ちゃん?お兄ちゃんは…堂島大吾さんで…東城会の会長になる人。だよね?」
遥に話をふられ、状況を分かってない大吾は、ためらいながらも頷いた。
「あ?急に何言ってんだ?俺が跡目になることと今回のことと何か関係あんのか」
三人は卒倒寸前だ。遥は三人の代わりに話し始めた。
「このおじさん達ね、東城会に入りたかったんだって」
「はあ?意味わかんねえ。説明しろ!」
大吾が思わず声を荒げる。遥は彼らが話したことをかいつまんで二人に話した。その話を聞いていくうちに桐生は頭を抱え、大吾は
怒りのあまり顔を真っ赤にした。
「お前らみたいなどうしようもない奴らは、東城会にいらねえー!」
「はい!すみません!」
まあまあ、と桐生は今にも掴みかからんばかりの大吾をなだめ、三人に向き直った。
「わかってるだろうが、お前達に極道は向いてねえよ。悪いことは言わない、故郷に帰って真面目に働け」
「で、ですが…」
「馬鹿にした奴らを見返すのは、別に極道でなくてもできる。いいな」
三人は肩を落としてうなだれるのを背に、二人は部屋を後にした。遥は彼らを覗き込むと、申し訳なさそうな顔をする。
「ごめんね、力になれなくて。あ、そうだ。チョコありがとうね」
小さく手を振り、遥は出て行った二人を追った。
「お、桐生チャンはっけ~ん」
ビルの外に出た瞬間、聞きなれた声がした。
「真島の兄さん」
「いや、大丈夫やとは思ったんやけどな。面白そうやったから見に来たった」
「真島のおじさんまで。心配かけてごめんなさい」
遥は皆に深々と頭を下げる。ええよ、と真島は彼女の頭を撫でた。
「にしても、なんやバトルにしては全く音がしいひんかったけど、なんやったんや?」
真島の問いに、大吾は顔を曇らせた。
「何というか…事故、なのか?」
「どういったらいいのか…」
煮え切らない二人に真島も首をかしげていたが、うん、と大きく頷いた。
「ま、遥チャンが無事やったらええ!そういうことにしとこ!そだ、遥チャン、メシ食おか?なにがいい?」
「えっと、えっと、なんにしようかな。あ、そうだ。真島のおじさん有名なんだって。地方でも知らない人はいないんだって」
「あったりまえやんか。ワシを知らん奴はモグリじゃモグリ」
「そっかー、あたりまえなんだ。すごいね、おじさん!」
「せやろ?で、なに食おか~」
上機嫌で遥を連れて行く真島を、二人は慌てて追った。外はもう夕暮れ、もうすぐ夜になって神室町はいつもの顔を見せることだろう。
四人の後ろでは、あの三人組が残念そうな顔で見送っていた。
「真島さんまで来るとは…あのガキ可愛い顔してあなどれん」
「あ!皆さんに握手してもらえばよかった…まあいいや、口もきけたし、地元の奴に自慢しよ」
「腹へった」
遥のの荷物を取りに行くため、堂島の家まで大吾が乗ってきた車で行くことにした。彼女は車中でふと思い出したように問いかける。
「そういえば、おじさん、なんであそこに来れたの?」
桐生はああ、と遥を挟んで反対側に座る大吾を見た。大吾は疲れたのか窓に頭を寄せ、眠っている。
「攫われた車のナンバーを組員が見てたらしいんだ。それを大吾が知って、即そのナンバーの車を探すように緊急通達を出したらしい。
で、遥の居場所がわかったら、すぐ俺に連絡が入った。こいつ、何度も俺に謝ってたぞ。まさか大吾があのビルまで来るとは思わな
かった。思った以上に心配してくれてたようだな」
遥は驚いたように大吾を見つめ、やがて嬉しそうにそっと微笑んだ。
「ありがとう、大吾お兄ちゃん」
大吾は寝返りをうつように、彼女に背を向ける。窓に映る大吾の顔は少し赤く見えた。
車は一路東城会へ、きっと本部では弥生が心配そうに遥の姿を待っていることだろう。
-終-
(2007・2・6)
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