春眠暁を覚えず
桜の季節も終わりかけ、毎日好天が続いている。遥はふと思い立ち、本部の庭園に向かった。そこでは4人の構成員達が
侵入者防止のため見張りに立っている。彼らは遥が庭園に立ち入ったことを咎めもせず笑顔で迎えた。
「こちらまで来られるのは珍しいですね、遥さん」
「うん、和室を掃除しようと思って。ここから上がっていい?」
「どうぞ」
遥は庭に面した縁側から和室に上がる。男達はくるくるとよく働く遥を微笑ましく眺めていた。箒がけ、乾拭き、床の間のはたきがけ…
彼女の小さな体では、たっぷり2時間はかかっただろうか。最後に座布団を陽に当たる縁側に干し、遥は一息ついた。
「ご苦労様です」
近くの構成員が彼女に微笑む。遥は縁側に腰掛け、足をぶらぶらさせた。
「いい天気だね。暖かくてよかった」
「そうですね」
他愛のない会話をしていたが、彼は一旦持ち場を離れる。残された遥はふいに欠伸をした。
「ふかふかの座布団って、気持ちいい……」
よく干された座布団は、彼女が体を乗せると優しく包み込む。掃除で疲れたのか、彼女はいつしか眠り込んでしまった。
「……おい」
離れたところにいた構成員達三人が顔を見合わせ、遥のところにやってくる。彼女は彼らの砂利を踏む足音にも起きることなく
よく眠っていた。
「起こすか?」
「でもなあ、せっかく寝てんのに、可哀想じゃねえか」
「でも、まだ風は少し冷たいぞ」
彼らはひそひそと相談をし、意見がまとまったらしい。彼らは上着を脱ぎ、彼女にかけてやった。やがて、先ほど彼女と話していた
男が帰ってくる。
「お前ら、なにしてんだ」
遥を見ていた一人が人差し指を立てた
「静かにしろよ。起きちまう」
男は遥を見、驚いたように声を潜めた。
「……ああ、すまん」
「じゃ、俺達戻るから」
三人はめいめいに庭園に散る。残された構成員は少し考え、彼女の近くに立った。
風が木々を揺らし、池の水が流れる音が心地よく響く。彼らは遥の様子を気にしながら持ち場を守っていた。すると、突然塀の向こう
から、賑やかな重機の音が聞こえてきた。彼らは驚いて顔を塀の向こうに向けた。
「おい」
一人が手招きすると、構成員達は集まってくる。手招きした男は眉をひそめた。
「外、うるせえな。なんなんだ?」
「そういや、今日は道路工事があるって言ってたな」
「それじゃ、ここも賑やかになっちまうなあ……」
彼らは眠る遥を眺め、溜息をつく。これ以上うるさくなれば、彼女も起きてしまうだろう。
「……俺、ちょっと行ってくる」
「頼んだ」
一人が通用門に歩いて行く。皆はまた持ち場に戻り、心配そうに塀の外を眺めた。
ちょうど庭園の塀を挟んで反対側では、作業員が今まさに工事を始めようとしていた。構成員は彼らに歩み寄ると静かに告げた。
「申し訳ないんだが、ちぃと工事を遅らせてもらえませんかね」
「ええ?困るよ。こっちだって予定があるんだからねえ」
丁寧に頼む男を見もせず、作業員はぞんざいに答える。構成員は作業員の肩を掴むと、自分の方を向かせ、鋭い目を向けた。
「1時間でいいんで……お願いしますよ」
そこで初めて作業員は、誰に頼まれてたかを知る。そういえば、この塀の向こうは東城会だ。彼は冷や汗を流し、上ずった声を上げた。
「い、1時間でいいですか?よろこんで!」
構成員は手を離し、深々と頭を下げる。
「迷惑かけます。では」
颯爽と歩いていってしまう彼を、作業員達は怯えたように見送った。道路工事は作業員の好意(?)で1時間遅れるらしい。
「どうだったんだ?」
心配そうに尋ねる彼らに、外から戻ってきた構成員は親指を立てた。
「問題ない」
「よし、よくやった」
皆は安心したように持ち場に戻る。そしてまた、庭園は静けさを取り戻した。遥は相変わらず安らかな寝息をたてている。
彼らは幾分穏やかな表情で彼女を見守った。
午後の陽光は、春先といえど直接当たれば厳しい。近くにいた男は少し移動した。すると、彼の影が彼女の顔の辺りに伸びる。
それまで少しまぶしそうだった遥の表情は、穏やかに戻った。男はわずかに微笑んだ。
「誰か、いるかい」
遠くで弥生の声がする。その場にいた一人が慌てたように庭から出て行った。彼を見かけると弥生は頷いた。
「遥が見当たらないから、見つけたら伝えて。今から出かけるけど、夕方までには帰るってね。あと、その間大吾がさぼらないように
見張っておいておくれ。それだけ言っておいて」
「はい」
彼は礼儀正しく頭を下げる。弥生はふと構成員を眺め、手に持っていたバッグで彼の頭を叩いた。
「上着はどうしたんだい。見張りだからって気は抜くんじゃないよ。まがりなりにも本部詰めなんだから、いつも服装はしっかりしておきな」
「はい!」
姿勢を正して返事をする男を不思議そうに見つめ、弥生は首を傾げる。男は叱られたのにも関わらず、どこか誇らしげに見えたのだ。
彼女はそれ以上考えるのを止め、襟元を直しながら踵を返した。
「それじゃ、たのんだよ」
構成員は深々と頭を下げ、弥生を送り出す。彼女の姿が見えなくなると、彼は持ち場に戻った。
「姐さん、なんだって?」
そばにいた男が問いかける。帰ってきた構成員は首を振った。
「いや、特になんでもねえ」
皆はまた見張りに戻った。空は晴れ、所々に雲が流れている。時折、池の鯉が水音を立てた。陽光は陰ることなく、暖かく彼らを
照らしている。
構成員達は眠る遥を時折眺める。彼女は黒い上着に包まれて、心地良さそうに見えた。決して褒められたことをして来たわけではない
彼らだったが、今はただ、一人の少女の眠りを守ることができることを、心から誇りに思っていた。
「うん……」
やがて、遥が目を覚まそうとする。近くにいた構成員は慌てて彼女から三人分の上着を取り、体の後ろに隠した。
「あれ…寝ちゃったんだ」
寝ぼけたように呟く遥を、彼らは微笑んで眺めた。
「風邪ひきますよ。中に戻ってください」
「うん、そうするね。また座布団しまいに来るから」
遥は大きく伸びをする。男は優しい顔で首を振った。
「いいですよ、自分がやっておきます」
「でも…」
申し訳なさそうに見上げる彼女に、遠くから男が声をかけた。
「そうだ、姐さんから伝言です。これから出かけるけど、夕方までには帰る、それまで大吾さんをさぼらないように見張っておいて。
だそうですよ」
「はーい。それじゃ、行くね。これ、お願いします」
皆は穏やかに彼女を見送る。彼女は庭を出る前にもう一度振り向き、笑顔で手を振った。男達は手を振り返し、そのうちの三人は
上着を着なおした。それはほのかに日向の匂いがした。
「何やってんだかな、俺ら」
「ガラにもねえことしちまったなあ」
「ま、いいんじゃねえか。たまには」
「ああ、今日は何もなく平和な一日だった」
4人は顔を見合わせ、声を上げて笑う。やがて1時間経ったらしく、工事が始まった。騒がしくなるぞ、と彼らはめいめいに肩などを回し
ながら、また持ち場に戻って行った。その表情は、先ほどとなんら変わりない。しかし、どこか嬉しそうに見えた。
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