迎え火は、死者が道を迷わない為に焚かれる。
お盆最初の日、弥生は一人だけ朝早くに墓参りを済ませ、門の前で焙烙の上でおがらを燃やした。
あの人が道に迷わないよう。
どうか、一時の安らぎをこの家で得られますよう。
そう願っているのかどうか分からないが、おがらの煙を追い掛けるその横顔はどこか寂しげだ。煙はどこまでも高く昇って行く。まるで、天上に真っ直ぐ伸びる白い道の様に。
「今日は、いい子にしているのよ?ママ達はお客様の相手をしなくちゃいけないんだから」
遥の言葉に皐月は心外だと言わんばかりに、ぷぅっと頬を膨らます。
「さつき、『きょうも』いい子だもん!」
「はいはい。皐月はいつもいい子よね?」
「そうなの」
ややぞんざいに相槌を打つも、皐月はさして気にしない様子で大きく頷いた。
「冷蔵庫にね、麦茶もジュースもあるから。あ、でも飲み過ぎはダメよ。お腹痛い痛いになっちゃうんだからね?」
「きょうの朝のパパみたく?」
大吾は昨夜、関係する組同士の付き合いとかで夜遅くまで飲んで帰って来た。そんな彼は只今、二日酔いの真っ最中である。布団に潜り、うんうん唸っている。暫く、出て来る気配はない。
遥は皐月の言葉に苦笑いを零しながら、小さく頷いた。
「ええ、そう。皐月はパパみたくなりたい?」
「なりたくない」
間髪入れずに返事をする。
「そうね、皐月はいい子だもんね?」
頭を優しく撫でると、皐月はくすぐったそうに目を細めた。
言われた通り、皐月はいい子で一人で遊んでいる。
折角の天気がいい日に家の中で遊んでいるのも勿体無くって、つい先日、大吾にデパートで買って貰った麦藁帽子を被って外で遊んでいる。
「ああ、ここだ。ここだ」
皐月が家の前で遊んでいると、俄かに前が騒がしくなった。ついさっきまでは、人の気配はおろか車だって一台も見当たらなかったと言うのに。
皐月はキョロキョロと辺りを見渡した。
やっぱり、人の気配はしない。が、声だけはざわざわと複数の人数が話し合う声が聞こえる。
そして、その声は間違いなく皐月の家の前を目指している。
「少し、遅くなっちまったが」
「仕方ありません。この時期はどこも混んでいるんですから」
はっきりと声が聞こえた。
その瞬間、皐月の目に7人の男の姿が飛び込んで来た。見た事のない人達だった。
『お客様が来たら、ママ達に教えるのよ?』言われた事を思い出し、持っていた石を放り投げて皐月は眼前に迫る男達へと向かって行った。
「こんにちは、なの」
皐月は礼儀正しく、お辞儀をする。その瞬間、男達は話をピタリと止めた。そして、皐月に聞こえない様、ヒソヒソ話を始める。
「まさか……」
「見えているんでしょうか?」
「そんな訳あるか、ガキが驚かせやがって」
「おじいちゃん達、おきゃくさまなの?おきゃくさまは、ママに言わないといけないの。どちらさまですか?」
男達はまたもや黙った。が、皐月は特に不審がるわけでもなく、屈託ない笑顔を向けて返答を待っている。
「おいおい、マジでワシらん事見えてるらしいで。このガキ」
「どこのガキだ?」
「ガキ?ガキじゃないの。さつきなの!」
男達の話が耳に入ったのか、皐月は頬を膨らませ猛然と抗議する。どうやら、洩れ聞こえて来た『ガキ』という自分を卑下する言葉に、不快感を覚えたらしい。
可愛らしい顔に、眉間の皺をグググッと寄せ、男達をキッと睨み据える。 ギュッと握り締めた拳は、怒りの為か微かに震えている。
「……悪かったね」
顔を見合わせていた男達の一人が動いた。
皐月の前まで出て、膝を折り目線を合わせる。皐月の眉間の皺はそれでも取れそうにない。
「そうだね、君にはちゃんとした名前がある。それを『ガキ』だなんて言うのは失礼だったね」
物腰柔らかな男の言い方に、僅かに溜飲を下げたらしく、皐月は握っていた拳を下げ大きく頷いた。
「そうなの。とってもしつれいなの。さつきには『さつき』っていうおなまえがあるのよ。おばあちゃんが付けてくれたんだから!」
「そうかい。とっても素敵な名前だね」
その言葉に、皐月の顔が輝く。
「そうなの!!とってもとってもすてきなのよ。おばあちゃんのなまえからもらったんだって、ママが言ってたの」
「それじゃあ、皐月ちゃんのおばあちゃんはとっても素敵な人なんだね?」
「とってもとってもすてきなの!おまけに、すっごくびじんさんなんだから」
エヘンッと小さな胸を反らして、得意気に皐月は言い切った。家族の事を褒められ、悪い気がしないのだろう。眉間の皺もいつしか、綺麗に消えてしまっていた。
「……それで、おじいちゃん達はどちらさまなの?おなまえきかないと、ママに怒られちゃうの」
その問いに、男達は顔を見合わせた。
正直に言って良いものかどうか、悩む。が、正直に言って、その事を皐月が家族に言ったところで信じては貰えないであろう。それは、皐月が可哀相だった。
どうしようかと思案気にしている中で、男達の一人が皐月の前に立った。
周りの男達よりは幾分柔和な面差しな彼は、優しい笑みを浮かべ、口許に指を当てた。
「……実は、私達は遠い国から来たんだけどね。ここの家の人達をビックリさせようと思って、内緒で来たんだよ。だから、私達の事はママやおばあちゃんには内緒にしておいてくれないかな?」
「じゃあ、シィーッしないとダメなのね?」
「ああ、そうだな。シィーッしてくれるかい?」
「うん、さつきいい子なの。だから、できるよ」
そう言って神妙に頷く。その様子が、大人ぶっていて男は思わず苦笑いした。
皐月の案内で、男達は静かに門を潜る。
門の隅で、もう消えてしまったおがらの屑が音もなく、崩れた。
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