「おおさかのおじいちゃん?さつき、あってみたいの!」
民代から『大阪のお爺ちゃん』の存在を知らされてからと言うもの、皐月はこの調子だ。遥の体を揺すり、懸命にお願いをする。
「待って、待って。急にそんな事を言われても。ママだって、誰が『大阪のお爺ちゃん』か分らないよ」
かたや、遥は真剣に悩んでいる。
大阪に知り合いなんていない筈だ。否、いる事はいるが、あれは『大阪のお爺ちゃん』と可愛らしい言葉で片付けられる者ではない筈だ。
しかし……。
思い付くものは全て思い付き、そして結論に行き当たる。
まさか!という思いが当然の如く込み上げて来たが、自分の推測と民代が言っている事が外れている事を願いつつ、恐る恐る顔を上げ民代を窺う。
視線があうと、民代はニヤリと笑った。
その瞬間、遥は声にならない声を上げて、カウンターの机に突っ伏したのである。
『行って、顔見せて来ぃや。きっと、喜ぶで』
民代の言葉に背中を押され、遥は皐月と連れ立ってある場所へと向かう。
皐月は『大阪のお爺ちゃん』に期待に胸を膨らましているらしく、向かう足取りも軽やかだ。
遥は一つ息を落とした。
そして、その場所が近付くに連れ足が鉛の様に重くなる。
遥だとて、会いたくない訳ではない。否、寧ろこれを口実に会いたい。何といっても、久し振りだし。六代目姐(自分はそういった気はサラサラないが)になってしまってからは、正直会い難い。こう、精神的に。
それに、問題は皐月だ。チラリと視線を動かせば、皐月は鼻歌交じりでご機嫌だ。この皐月の口の軽さが、心配なのだ。
いつもは素っ気無い態度の大吾だが、その裏、皐月を溺愛しているのを遥は知っている。それなのに、その皐月が彼と会った事をベラベラと喋ったりなんかしたら……。考えただけで、遥はゾッとする。
その目的の場所に着くという時になって、遥は突然立ち止まり皐月と視線を合わす為、しゃがみこんだ。
そして、出来る限り怖い顔をして、
「い~い?皐月。これから会う人の事、パパやおばあちゃんに言っちゃダメだからね?」
「どうして?」
「いいから、ダメなの!『うん』ってしないと、連れて行かないからね」
「うん、わかった。さつき、しゃべらない」
あっさりと皐月は承諾したが、果たしてその約束は、帰るまで覚えててくれるのか?一抹の不安を胸に抱きつつ、遥は扉を開けた。
「こんばんは、会長さんいらっしゃいますか?」
遥が扉を開けると、中にいる男達が一斉に振り返った。
普通の女だったら、否、男だって、その迫力に身を竦ませ、踵を返し、死に物狂いで走り去るという状況なのだが、遥はニッコリと笑って一歩中へと足を踏み込んだ。
事務所の中をクルリと一周見渡す。
――困ったな。
遥は、見渡した中に自分を見知っている組員がいない事に、僅かに落胆していた。
自分がお邪魔していない間に、新しい人間がかなり入ったらしい。彼の人となりを思えば、それは当たり前の様にも感じるが。こういった時は、そのカリスマ性を呪いたくもなる。
「会長は、出とりますが。会長とはどういったご関係で」
一人の男が遥に近付く。
その言葉は柔らかいが、声音は厳しい。
――どういった、ご関係?
そこで遥は頭を悩ます。
誰か一人くらい、顔見知りがいると高を括っていただけに、そう尋ねられるとは思いもしなかった。どうやって、返答したらいいのか分らない。
昔の知人です。は余りにも陳腐だし、妹です。は明らかに嘘だとばれる。
遥がどう答えようかと悩んでいると、足元から元気な声がした。
「さつきのおじいちゃんなの!!おじいちゃんにあいにきたの!!」
遥はギョッとして視線を落とす。
皐月は大人同士のもどかしい遣り取りに痺れを切らしたのか、トテトテと軽い足音を立て、一直線に奥の扉へ小走りに駆け寄る。
「お、おい!ちょ、待てや。こんガキ!!」
「さ、皐月!戻りなさい!」
「会長に孫?つー事は、テメー……いえ、貴方様は会長の娘さまで?」
「ち、違います!」
慌てて遥は首を振った。
『いい子にしてること』と約束したのに……。体中から力という力が抜けて行くのが分る。
皐月は、こういった所は詳しいのか。そういった人がいるのは大抵、奥の部屋と知っているらしく、迷うことなく会長室と書かれた部屋の扉を勢い良くノックする。俄かに騒ぎ立つ後ろを尻目に皐月は声を張り上げた。
「おじいちゃん、おおさかのおじいちゃん。さつきだよ、あそびに来たよ。あそぼーよ!」
「うっさいんじゃ!ボケェ!!」
瞬間、扉が勢い良く開かれ、中から金髪で体格のいい男が現れた。
「しかも、誰や!わしの事、『おじいちゃん』なんぞ呼ぶアホは!!」
一瞬で、静まり返る事務所内。
が、やはりその中でただ一人、
「おじいちゃん、かくれんぼしてたの?」
無邪気な声を上げる者がいた。
頓狂な声に、そこで始めて男は皐月の存在に気付いたらしく、その小さな存在を認めた。
「あ?」
「さつきが見つけたから、つぎはおじいちゃんがおにさんね?」
「さ、皐月!」
慌てて声を掛ける遥。と、またそこで始めて遥の存在に気付く。
「……遥、か?」
「あはは、ご無沙汰してます」
「つーことは、このガキは……」
そこでマジマジと男は皐月を見つめた。
皐月はニコリと笑い、
「さつき、かくれるから。十かぞえてね」
そう言って、いそいそと近くにある机の下に隠れた。
隠れるも何も、もう見てるっつーの!という皆の視線を浴びながら、皐月はウキウキと男が十数えるのを待っていた。
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