『超ディープなこれが大阪やっちゅーもんを皐月に嫌って言うほど味あわせたる!!』
そう、龍二が大見得切ったのは、一時間前の事だった。
『これが大阪』だと言う。関東生まれで、家から遠くに出掛けた事のない皐月にとって、違う土地の様々な文化に触れる事は、とても心浮かれる事だった。
瞳を輝かせ、龍二の肩に乗りながら、『きゃあっ』と黄色い歓声を上げたのも無理はない事だった。
しかし、龍二の言う『これが大阪』を前に、皐月は押し黙る。
口をへの字にし、眉間には沢山の皺を寄せ、不満気な顔で隣に座る龍二を見上げた。
「どないしたんや、皐月。食わんのか?」
皐月は、小さく頭を振る。
目の前には、ホカホカの湯気を上げる球体の食べ物が8つ、竹の皮で出来た船に行儀良く並んでいる。
その上には、鰹節と青海苔が色よく飾られていた。
「ここのが大阪でいっとう、美味いんや。遠慮せんと食べや」
別に遠慮をしている訳ではない。暫くそれを眺めていた皐月だったが、意を決し、一つ口に放り込んだ。
瞬間、口の中が大火事に見舞われた。
口を金魚の様にパクパクと忙しなく動かし、口の中に新しい空気を入れようと頑張る。まさか口の中に入れた物を出す訳にもいかず、皐月は文字通り七転八倒する。
その様子を隣で眺めていた龍二は、腹を抱えて哄笑する。
遥から水を手渡され、水を飲む事で熱いその物体をようやく腹の中へ収める事が出来た。皐月の目は涙目だ。
口の中は、大火傷で物凄く痛い。
自分の事を見て笑った龍二を恨みがましい目で睨みながら、皐月はコップに入った残りの水を飲み干す。
「どうや?美味いやろ?」
龍二はどこか得意気だ。目に溜まった水を拭いながら、満面の笑みで尋ねる。
「おいしくないもん!あついんだもん!!」
「そりゃ、皐月が悪い。熱いもんを食べる時は、ふうふうせんとあかんやろ。それをせんかった皐月の失敗や」
龍二はそう言って、皐月の額を小突く。
こんな時、皐月の周りの大人達は、黙っていても熱いものは冷まして、食べ難い物は食べ易いようにして皐月に食べさせてくれる。それがごくごく、当然のものと思っていた皐月は、龍二の馬鹿にした物言いにあからさまに不機嫌になる。
「……大吾はえらく甘やかしておるんやな」
「え!?」
「自分の事位、自分で出来んなんてな。まだ小さいからそれもまたしょうがないかもしれんが……」
龍二は不意に声を落とした。
「警戒心もまるでない。自分とこの周りの大人は皆、味方やと思うとる。これは、ちぃっと危険やな」
遥は静かに頷いた。
それは、遥も大吾も弥生も危惧していることだ。
言葉にこそ出さないが、面と向かって言葉に出されて言われるとその不安は途端に色を帯び、真実味を増す。
皆が皆いい人ばかりでないのが、世の常だ。
皐月は確かに警戒心がない。まるで、生まれて来る時にどこかに落として来たかのようだ。人懐こいと言えば聞こえはいいが、その実、それは大変に危ういと言う事を遥は嫌と言うほど知っている。
「それは……」
「おじちゃん、はい。こんどはちゃんとふうふうしたよ。おじちゃん、あーんしてなの」
「わしに食わせてくれるんか?」
「そうなの。はい、あーん」
爪楊枝の先にたこ焼きを一つ付けたものを、龍二に突き出す。
こんな事、して貰った事は当然なく少しだけ躊躇する。が、柔らかいたこ焼きは、爪楊枝の先にやっとの思いで乗っている状態だ。
少しだけ恥ずかしく思いながらも、龍二は差し出されたたこ焼きを口に入れる。
その瞬間、ニヤリと皐月が子供らしからぬ笑みを浮かべたのを龍二は見逃さなかった。
――何や?
思った時には既に遅かった。口の中が大火事だ。
皐月は嘘を吐いたのだ。冷ましてなんか、いなかったのだ。
おまけに、口の中が痛い。熱のせいの痛みではなく、物理的に痛いのだ。
龍二は慌てて水を飲みながら、皐月の側にある薬味入れに目を向けた。そこに、蓋が開いてある薬味入れが一つだけあった。
よくよく、目を凝らして見てみれば『一味』と書かれた文字が目に飛び込んで来た。
どうやら、一服盛られたらしい。
「皐月、おんどれ……」
「おじちゃん、どうしたの?あついものを食べる時は、ふうふうするのよ。あついあついなんだから」
龍二の頬が微かに痙攣を始める。
先程の龍二の言葉が、皐月の小さな矜持を傷付けたのか、彼女なりのそれは復讐であったようだ。
皐月は、知らん顔で残りのたこ焼きをきちんと冷ましながら食べている。その横顔が、小憎たらしい。
龍二は、飲み干したコップを勢い良くテーブルに叩き付けた。
「遥!」
「は、はい」
「前言撤回や。皐月、ええ根性しとる」
大吾にそっくりや。と忌々しそうに言い放ち、龍二は皐月の小さな頭をまた小突いた。
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