忍者ブログ
Admin*Write*Comment
うろほろぞ
[10]  [11]  [12]  [13]  [14]  [15]  [16]  [17]  [18]  [19]  [20
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ぶっきらぼうで照れ屋な愛すべき盟友の
その美しい妻の間に女の子が生まれたと聞いたのは
図らずもGR計画も軌道に乗り始め、春の日差しがふんわりと温かな風を運んでくる
そんな、私にとってはなんとも絵に描いたように麗らかな午後だった。
その知らせを受けたときの事は今でも良く覚えている。

盟友殿とはかなりの古い仲になるが
女性関係において面と向かってちゃんと紹介されたのは後に妻になった彼女だけで
その名を聞いたとき中東育ちの私の耳にはなんとも聴き馴染みの無い音だったが
はじめて対峙した時、まず彼女のとても整った容貌に細身の身体、
ただそこに在るだけで花が綻ぶ様な風雅さを兼ね備えたその存在自体に興味を引かれた。
次に意志の強そうな目。
白い肌に黒曜石のように煌めく髪がなんとも女らしく、なよやかであるのに
ちっとも女らしい弱々しさを感じないのは、おそらく彼女の黒い瞳に強固な意志の力と、
なんとも言えない抜け目のなさというか思慮深さを感じたからに他ならないだろう。

「どうぞよろしく」
「お初にお目にかかりますお噂はかねがね…」

どちらからとも無く所見の挨拶を交わし
どちらからとも無く握手を交わすために手を差し伸べた
私は彼女の手を取り握手をして
外見どおり彼女の手は小さくて白く、その指は細い。
低めの体温がなんとも手に心地よかった

「貴女の手にキスをしても?」
彼女は品良く小声で笑ってから
「ええ、かまいませんよ」

と私に手を差し出し
本人の承諾を得たので、その後ろで盟友があまり良い顔はしていないようだったが
あえて無視して口付けた。
この瞬間、突如私は彼女を手に入れた盟友の事がとても羨ましくなったのを覚えている。
たった女一人の事で長年付き合ってきた盟友と争ったりするほど私は無粋な人間ではないけれど
このとき確実に私はひと目で彼女に恋をしていたのだろう。
私が先に彼女に出会っていればという言葉が一瞬脳裏を掠めた事は言うべくもない。
いくら私が他の人間より多少惚れっぽいからといってそうそう一目ぼれという
体験をしたためしがないが、これは確実に出会った瞬間に好意を持てた女性であった。
見目が良い女だけなら飽きるほど出会ったが単に美しいだけの女ではなかったのだ盟友の妻は。

それから彼らは結婚し、春に子も出来たと言う。
そのとき彼らに対して心の底からおめでとうと思える自分に少しほっとしたが
同時にあの美しい女性がもう母かという感慨深さもあった。

さておき、我が盟友殿に子が出来たからには
それは念を入れてプレゼントを選ばねばならないだろう。
私は子供が大好きなのだが私には子がない。
だがその分、その子にありとあらゆる贈り物を用意してやろうと思い
選定して気に入りそうな品物を買い求めて。
産後の調子は順調と言う便りを聞きつけしばらく経ってから挨拶にいった。

なんと懐かしい思い出だろう。
ほんの十数年前の事なのに、前世の記憶のようにひどく懐かしい。





ふと、紅茶の香りで目が覚めた。

いつの間にか長椅子に上半身だけ身体を寝せただらしない状態で肘を突いてうたた寝していたのだ。
のそりと身を起こすとテーブルに入れたばかりの紅茶があり
その向こうにティーポットからもう一つの器に紅茶を注ぐ少女が座って居て
私が起き上がると驚くでもなく静かに声を掛けた。

「お目覚めになりましたか?」
「うん、良い匂いだねぇ。」
「こんなところで寝ては風邪を引いてしまいますわ。」

ソーサーの部分を掴んだ白い指が私に紅茶を差し出すのでお礼を言いながらそれを受け取る。
一口含むとなんとも言えず良い香りが口の中に広がって良い気分だった。

「美味しい。そういえば君のお母さんもお茶を入れるのが上手かったなぁ」
「わたしは母に入れ方を教わりましたから」

そう言と小さく微笑んだ生まれた時から知っている目の前の少女は、
知らない間にいろんなことを教わって成長している。
なるほど。
生まれたときには赤ん坊だった彼女も今や『少女』で
もう少しすれば『女性』になってしまうのだろう。
ソーサーからカップを持ち上げる仕草がなんとも上品で様になっている。

カーテンから漏れる午後の日の光が茶器を照らしたその風景はまるで絵の様な繊細さだ。
私は思わず少女のソーサーに添えられた形の良い指ををそっと手に取ると
彼女の指は小さくて白く、少し低めの体温が触れたところから心地よくて
なんとも言えないデジャヴュを覚えた。

「…もう少し…」
不意に
「え?」

「もう少し大人になったら私のところにお嫁においで。」
不意に思いが先走って口を付いて出た。

「…」
「大事にしてあげるよ」
「叔父さま…そんなことを言っていただいてはわたしが父にしかられてしまいます。」

私の手を振りほどくような事はせず、少し困ったように笑っていた。
こうしてみるとどう考えても今の私より彼女のほうが大人びているようだ。
彼女の複雑な生い立ちがそうさせたのか元々がこういう気質なのかはわからないが、
同年代の少女達と比べると明らかに物静かで、とても落ち着いている。
何より邪気が無く、なんとも安心できる。

「あの親父殿は私が説得しよう、そしたら考えてくれるかね?」
「それは…考えておきますわ。」

今度はクスクスと笑ってくれた。
人形のように完璧に美しい彼女の母親とは打って変わった
鈴の鳴るようなかわいらしい声と仕草で。
彼女は彼女の母親とは決定的にどこか違う。
でも、だからこそこんなにも愛しく、
だからこそ一生涯を掛けてでも彼女の側に居たいと思った。

「では誓いの印に…手にキスをしても?」
彼女は小さく小声で笑ってから
「ええ、かまいませんよ」

言葉はあの時とまるきり一緒だったが
口付ける手はあの時の小さい手よりもっと小さく
女性と言うには無邪気な彼女と私のあまりにも稚拙な誓いではあったが
この穏やかな感情から生まれる愛情もある。

今はまだ小さな手の指先に口付けるだけで
私にとっては充分であるのでそれで満足

…と言う事にしておこう。

私たちのこれからのことを考えると
我知らず口元が緩んだ。



PR
なんだかぼんやりしてしまう。

先程給仕係に持ってこさせた紅茶は香りばかり強くてあまりいただけなかった。
ぼんやりして頭の中の思考が冴えない。

窓を開け放っているのでその香りは疎か適度に調節されていたであろうティーポットの温度すら
今は冷えてしまってきっともうおいしくないだろう。

頭の中がぼんやりすると
心臓と肺の間くらいからムクムクと
なんだか訳のわからない嫌な感情がもやもやとわき出てきて不快だ。
だから何か考えようとする。

アンティークガラスのカップをつまみ上げて口に運ぼうとすると、
その紅茶の冷たさときつめの香りが鼻についた。

とにかく喉を潤すためにカップ傾けたとたんに唇に付いた
冷たいガラスの感触がなんだか不快で
結局口をつけずにカップをソーサーにもどした。

季節は移ろい、涼しげな風が柔らかくほほを撫ぜて行く。
円形のルーフテラスに植えられた美しい花々と愛らしい少女を愛でながら、
ガラス張りの扉を全開にして明るい日差しにゆったりと手触りの良いお気に入りのカウチに腰掛けて
『ああ、この地上に今の私ほど幸せな気分な人間がどれくらいるだろうか?』

…などと悦に浸っているだろう普段なら。
元々私はそう不幸な人間でもないのだ、今特にこれと言ったせっぱ詰まった悩みはないし、
現在置かれている立場上そうそう不快な気分になることも無い。

こう言い切れるのも自分自身が楽しむときは腹の底から楽しみ、悲しむときは勢いよく悲しんで
翌日にはさっぱりするタイプの人間であるのも起因していると思う。
普段なら腹の底から笑いが止まらないほど楽しい時間をすごしている。

なのに・・・・・


・・・おもしろくない。

これほどまでにおもしろくない気分を味わうのは久々の感覚で
何ともおもしろくない気分を十二分に味わっていた。

触り心地の良いカウチにだらしなく肩肘を預け頬杖をついてぼんやりしている。
良い色に馴染んださわさわしたベルベットの感触が手の平に触れるがそれすらもなんだか今は煩わしい。
気ぜわしく足を組み替えたり紅茶のカップをかちゃかちゃといじってみたりする。

そうそう、この際何でこんな気分になるのかは自分でも何となくわかっているのだけれども
ここは敢えてそのことは考えない事にする。

楽しくないことを考えるのはきっと体にも頭にもよくない。

楽しいことを考えよう。

自分の今の状況を払拭できるような打開策もしくはこの気持ちの改善策だ。

目を瞑り考え出すと知らずに眉間に皺が寄ってしまう。


・・・・・・・・・。


そもそもどうして私はこんなに不満な気持ちになったのか?

ちらりと目を開けると楽しそうに笑いながら花束を作る少女と
その傍ら、正確には自分がいるべきスポットになぜか、どうしてこうなったのか
不器用な笑みを浮かべる髭面にピンクのマントを羽織った長身の男…

「あ、これだ」

なぁ~んだそうだったんだ、考えてみれば簡単なことだった。
揺れる暗雲を太陽の光が白い剣となって切り裂くように、
さっと視界が開けてなんだか頭がクリアになった。

絡まった糸が解けてしまえば後は簡単だ。
自分が好きなように、思うように、気の済むように結び直せばいい。

ぐぃと勢いよく手触りの良いカウチから身を起こすと
子供のように駆けていった、愛しい少女の元へ。


花びらを舞い散らしながらダダダッと少女の元へ駆けてくるや否や
そのスピードを落とさないまま走りより、不意を突いて魔王を勢いよく肘で突き飛ばし花の海へ沈める、
セルバンテスは満足げににっこりとした笑顔のままサニーの傍らに座って言った。
「ねぇねぇ、私にも花の冠を作ってくれないかな?」

花の海に沈んで全身花びらと花粉まみれになりながら
セルバンテスを見る目が半眼の魔王がむくりと起き上がる。
「いったいなんだ、不機嫌そうにしていたかと思ったら見境無くはしゃぎだしたり・・・」
少女を奪われたせいで、手持ちぶさたの両腕を組みしかめっ面でもっともな不満を述べる。

「君の意見はいつも正論だと思うよ。」
でも何でせっかくの休日にサニーちゃんを誘ったら君まで付いてくるのかがわからない。
今日家の扉を開けた時の私の絶望感と言ったら!

魔王ににらまれても動じないセルバンテスは心の中でそうつぶやいた。
サニーの花輪の作成を手伝う彼の表情は先程と打って変わって朗らかで
いささか恐ろしい表現ではあるが今にも歌でも歌いそうなくらいだ。

「そんなことはどうでも良いんだよ。私はサニーちゃんと遊びたいだけなんだから。」

「君には用はないの」

わけがわからん等とブツブツ言いながら魔王は手早く花びらを取り払うと
不機嫌そのものの顔でテラスの奥に引っ込んでいった。

サニーちゃんは面倒見の良い「後見人」が不機嫌そうにテラスを出て行ったことで
不安そうに私の顔とピンクのマントの背中を交互に見ていたけれど。

少しの我慢もできない大人げない大人でごめんねサニーちゃん

でも、これだけは、いつか君にわかってもらえると良いなぁ。
どれだけ私が君のことを思っているのか。

一緒に暮らしているわけでもない私と君の少ない逢瀬を
私がどれくらい、どれくらい楽しみにしているのか。

そして、この気持ちを解ってくれるのはいつの日になるだろうか
私の廃れた心に巡る紅い炎の様なこの…

ティーポットにお湯を注いで、砂時計の砂が落ちるのを眺めているうちに、何もなかっ
た筈の茶几の上に何時の間か、季節の花を挿した花瓶、ふんだんに盛り付けられ茶請けの
菓子や果物が並べられていている事に、小さな女の子はいつも驚いたものだった。
 茶器や食器にテーブルクロスのみならず、茶几や椅子といった一切の調度品に至るまで、
すべてが母の見立てであり、それも季節や気候のみならず、茶の種類や茶請けによって容
易く替わった。特に招く客によって著しく違っていて、少女も入れ替わる茶器の模様から、
今日はどんな客が来るのか見当がつくようになった頃には、母を手伝って花を活けたり、
一生懸命に背伸びして棚から食器を取ろうとしたりした。
 そんな娘を母は優しく微笑みながら見守りながら、多忙の合間を縫って一緒に御菓子を
作ったり、絵本を読んだり、母の生まれ故郷に伝わるという古い歌を教えてくれたりもし
た。父は母以上に忙しく、一家団欒等は有り得様筈もない家庭環境ではあったが、別段寂
しくもなかった。少女にとって家族とは両親だけでなく、血が繋がっておらずとも可愛がっ
てくれる大人達が大勢いたからだ。

「今日もセルバンテスの小父さまがいらっしゃいますのね」

 選ばれた茶器から少女は容易く客を言い当てた。

「ええ、小父さまは今日は何を持って来て下さるかしら」
「何でもいいわ。小父さまはいつだって素敵な物を下さいますもの」

 殊に父の盟友は、父以上にお茶会の常連で、少女への土産を欠かした事は一度としてな
かった。

「やあ、ラ・プティット・ビジュー(小さな宝石)、今日もパパは不在みたいだね」
「いらっしゃいませ、小父さま!」

 サニーは駆けて行ってクフィーヤの男を出迎えた。

「ほら、お土産だよ。今日は可愛い君に似合うと思って、これを選んで来たよ」
「まあ、綺麗なお花!」
「髪飾りだよ。下を向いて御覧、付けてあげるよ」

 そう言ってアラブ人の男は膝を落として少女の柔らかな茶色い髪に土産の髪飾りをつけ
た。そして娘に遅れて現れた盟友の妻を見上げた。

「ほら、どうだい、扈夫人」
「ええ、とても似合っているわ」
「ありがとうございます、小父さま」

 しゃがんだままの男の頬に、サニーはいつものようにお礼のキスをした。

「いえいえ、どういたしまして」

 小さな唇の触れた頬を撫でながら、セルバンテスはにやにやしながら立ち上がり、席に
着いた。

「小父さま、今日はサニーがお茶を御淹れしますわ」

 子供用の脚の高い椅子に立って、サニーは自分用の小さなティーポットを両手で持ち上
げた。

「おや、ありがとう」

 丁寧に注がれたお茶をセルバンテスは恭しく受け取った。

「パパに会ったのは、いつかな? ラ・プティット・ビジュー」
「ええっと…、二ヶ月前ですわ、小父さま」

 指折り数えて思い出すサニーに、セルバンテスは愉快そうに笑った。そしてチェリーパ
イを切り分ける扈三娘を見た。

「君も大変だね、あんな偏屈者の亭主を持って」
「あら、あれでも可愛いところもあるのよ。こうして貴方がお茶に来たと聞く度、苦い顔
をするんだから」

 くすくすと笑う賢婦に、オイルダラーは受け取ったチェリータルトを行儀悪くフォーク
で突付きながら言った。

「そろそろ下があってもいいんじゃないか」
「それは私一人ではどうにならないわ」

 セルバンテスは斜め右側の席に座る少女に笑みを向けた。

「ねえ、ラ・プティット・ビジュー、君は弟か妹が欲しいかな」
「いいえ、小父さま、サニーは弟や妹はいりませんわ」
「おや、いらないのかい?」
「ええ、お父様がいらないって仰ってたんですもの。だったらサニーもいりませんわ」

 セルバンテスは目を丸くしてみせた。

「アルベルトが? 本当にそう言ったのかい?」
「あら、そんなに騒ぐ事かしら」

 扈夫人が不思議そうに言った。

「私達の子は、この子一人で充分だと思うけれど。特にあの人にしてみれば、ね…」
「そりゃ、たしかにアルベルトらしいといえば、そうなんだが…」

 得心行かぬセルバンテスに、サニーが聞いた。

「小父さま、どういう事ですの?」
「んん、それはね、――とても素晴らしい事なんだよ。特にラ・プティット・ビジュー、
君は一番、この世で最高に素晴らしい存在なんだ」
「でも、お父様はいつも御自分こそ一番だって思っていらっしゃいますわ」
「あれは偏屈なだけだよ。君はいつでも素直で可愛らしいから、お父様より素晴らしいん
だよ。ましてや君はお母様の娘なんだから」
「素直で可愛らしいと、お父様より素晴らしいの?」
「そうだよ! 君のお父様はいつでも素直じゃないからね」

 アルベルトが同席していればとんでもない事になるような発言をするセルバンテスに、
扈三娘はくすくすと笑うだけだ。

「――私の娘…ね…、たしかに素晴らしいわね」
「お母様?」
「いらっしゃい、サニー」

 招かれるままに、サニーは母の膝に抱かれた。優しく髪を撫でる袖口から、焚き染めら
れた薫香が零れてきて、幼子は心地好く瞼を落とした。

「――扈夫人、そろそろ療養の申請でもしたらどうだい?」
「そうね…、でも、あともう少しだけ此処にいたいの」
「アルベルトが帰って来なくても、かい?」
「あの人は関係無いわ。むしろ、待っているのは向こうよ」

 海棠の花とも称される麗姿でありながら、甲冑に身を包み、鞍に跨れば日月両刀を自在
に操る豪傑なこの女人の、一体何があの男を選ばせたのだろうか。

「私も叶う事なら、君のような御婦人に出会いたかったよ」

 セルバンテスは跪き、艶やかな裳裾を手にとり、恭しく口付けた。扈三娘は応えなかっ
た。けれども静かに囁くように言った。まるで、娘の眠りを邪魔してしまわないようにと
気遣うように。

「あの人をお願いね。多分、…御互いに見届ける事はできないでしょうけれど」
「大丈夫さ。この子がいる」

 セルバンテスは躊躇せずに返した。

「そう、君の娘がいるじゃないか」
「そうね…、この子が…」

 幼子の寝顔を見詰める黒真珠の双眸には哀憫が溢れていた。
 だからこそ、あの男は帰りたがらないのだ。
 この光景を、セルバンテスは一生涯忘れる事はないだろうと思った。

「――お茶が冷めてしまったわね。淹れ直してきましょうか」




「――扈夫人が終に…か……、淋しくなるな」

 葬儀らしい葬儀もなく、二度と微笑む事のない女が永遠に眠る廟所の前で、セルバンテ
スは独り呟いた。廟所の壮麗さに、見上げながらついつい笑ってしまった。今も平然と職
務に励んでいるのだろうが、これがあの男の直情なのだ。
 当人の扈三娘も、見ればきっと笑ってしまうだろう。笑いながら、こう言うに違いない、
『あの人ったら、タージ・マハールでも気取るつもりなのかしら。あんなに莫迦にしてた
のに』と。そしてそこがまた可愛いのだと。あの男を可愛いと言って笑える人間は、自分
が最初で最後だと海棠の花は知っていたのに、何故散ってしまったのか。
 ふと聞こえて来たのは、静かな雨音だった。

 ――泣いているのかしら、似合わないわね

 そんな優しい声が聞こえた気がして、セルバンテスはふっと微笑んだ。

「小父さま…」

 廟内から、静かな足音で現れた少女は、母の国の古い仕来り通り、白い服を着ていた。

「――ああ、これは失礼したね。まだ服喪中だったね」
「いいえ、構いませんの。小父さまがいらっしゃったとなれば、母も喜びますわ」
「ありがとう」

 セルバンテスは案内されるままに、故人がよく焚き染めていた香が漂う最奥の堂に踏み
入った。控え目ながらも華やかさを含んだ上品な薫香に満ちた堂内で、位牌の前に並べら
れた夥しい供物は真新しい物ばかりだった。

「なんだか具合が悪いけれど、これでいいかな」

 セルバンテスは持ってきた花を手向けた。豪勢な、色取り取りの巨大な花束だった。墓
前に相応しいといえる花達ではなかったが、脇を飾る役には丁度いい。

「全部、違う花ですのね」
「君の母上は美しい、聡明な女性だったよ。淑徳豪傑にして賢夫人、このすべての花がそ
れぞれに持つ美徳を体現しているような、素晴らしい女性だったんだ…」

 セルバンテスのなかで走馬灯が駆け巡っていた。浮かぶ思い出は、どれも決して失いた
くはないものばかりだった。けれども、二度と帰る事はないのだ。

「ねえ、小父様」

 不意に母親を失った少女は微笑んだ。

「母は幸せでしたわ」
「ああ、この世の誰より、ね」

 二人の声は確信に満ちていた。
 この豪奢な廟に独りで久遠の眠りにつく事を、それでも幸福といえるのか。セルバンテ
スは考えたくなかった。放っておいても人間は死ぬ。自分も、アルベルトも、何れは消え
る。だが、それまでに果たすべき事がある。それは、この少女も同じだ。

 ――La Petite Bijou

 この小さな宝石を愛しんだ白い手は、もう蘇らないのだ。
 セルバンテスは瞼を閉じた。濃厚な薫香のなかから、降り頻る雨音に交ざって無音の慟
哭達が聴こえてくる。

「これからは君が私をお茶会に招いてくれるかい? サニー」
「ええ、勿論ですわ」

 肯きながら、サニーは解っていた。自分が『ラ・プティット・ビジュー』と呼ばれる事
は決してないだろうという事を。そして、傍らの男と母について語り合う事も決してない
だろうという事も。

「テーブルにも椅子にもティーカップにも、全部に花をたくさん飾ってね、あの庭園のだ
けでは足りないくらいに」
「ええ。――でも、あの花の季節までは、待って下さいますわね」
「勿論だよ、サニー」

 セルバンテスは位牌を見詰めながら言った。雨音が聞こえる。失うという事は、矢張り
残酷だ。

「でも、待たなくても、君のお母様は笑ってくれるよ」



                                     終

さて、所変わって、こちらBF団本部でも、新生シズマドライブの完成は重大であった。
地球上の大半の動力であるだけに、世界征服を目指すBF団でも必要不可欠なものであった
が、地球静止作戦による世界破壊で国警ともども殆ど本来の活動を停止せざるをえなかっ
たのだが、真正シズマドライブが発表された今、冬眠から目覚めたように早速世界征服活
動を再開している。
 十傑集も相変わらず、眩惑のセルバンテスの死後、いまだに末席を埋める者はいない。
肝心のビックファイアもバベルの篭城戦が勃発しないことが判ると再び眠りについてしまっ
たため、その意思をすべて把握している策士・諸葛亮孔明がボスに代わって指揮権の大半
を掌握することになったことは、当然、十傑集の反感を買っている。しかし、これも首領
の思し召しとあればどうにもできず、白羽扇を片手に本当かどうかも判らない『ビックファ
イアの意思』で黙らされていることにストレスを感じている者も多いが、
「おじ様方、お茶がはいりました」
 ワゴンを押してきたサニーの愛らしさに疲れも吹っ飛ぶのは、父親であるアルベルトよ
りも庇護者の樊瑞である。十傑集のリーダーとして多忙な身として、どんなに嫌な事や腹
立たしいような事があろうとも、サニーの顔を見れば上機嫌になるのだから自分でも不思
議である。しかし、これは何も樊瑞一人だけの効能ではなく、いわばサニーは十傑集の癒
し系アイドルのような存在であった。
「ありがとう、サニー」
 サニーのいれてくれたお茶に至福を感じながら、樊瑞は息を吐いた。安らぎの吐息であ
る。その隣で、カワラザキも好々爺に変わり果て、陰気な幽鬼も普段の不気味な表情が何
となく違っているのも、すべてサニー効果である。
「カワラザキのおじい様、御替りは如何ですか?」
 サニーの差し出すティーポットに、
「おお、これはすまんな」
 カワラザキがカップを差し出すと、
「「「私にも」」」
 日頃は息の合わぬ連中が見事にハモって数個のカップがサニーの前に突き出されるが、
サニーは驚き戸惑うどころか、
「はい」
 にっこり微笑んで喧嘩にならないように順々にお茶を注いでゆく。お茶汲みOL以上にむ
さ苦しい親父たちに囲まれながら、こんなに幸福でいる少女はこの世でサニーくらいのも
のだろう。
「それにしても」
 と、口を開いたのはアルベルトであった。私的な十傑集の会合だけにイワンの姿はない
が、いつも隣室で控えているので、サニーはそこにもお茶を持って行くことにしている。
「今度の作戦を、どう思う?」
「今度の作戦というと、上海直接襲撃作戦のことか」
 煙管を片手に残月が受けた。そうだ、とアルベルトが頷いた。
「いくら何でもふざけているとは思わんか」
「たしかに」
 これには一同が頷いた。
「タイトルそのままだもんな」
「上海直接襲撃ったって、要するに国警の北京支部を潰してこいってこととしか考えられ
んのだが……」
「それを、わざわざ何故上海なのかが解せん」
「まさか、孔明の独断ではあるまいな」
「しかし、この程度の独断とはなあ……、孔明らしくもない」
「作戦名もふざけているとしか思えんな。こう、もっと具体的に言ってもらわんと、どう
にもならんぞ」
「要するに、徹底的に破壊してくればいいってことか?」
 喧喧囂囂としているが、作戦のあまりの単純さに真面目に顔を突き合わせているのが馬
鹿らしくなってきて、
「で、畢竟、誰が行くのだ? 上海へ」
 と、ここはリーダーらしく樊瑞がまとめにかかった。
「わしが行く」
 真っ先にアルベルトが葉巻を片手に名乗り出た。
「まあ、北京支部が相手とあれば、当然だな」
 誰もが納得したが、アルベルトの仇敵は一人しかおらず、他にも九天王がもう一人でい
るので、一応、
「他に、誰か行くか?」
 樊瑞が見回すと、アルベルト以外は黙っている。
「まさか、アルベルト一人に任せるわけにはいくまい。ここは、リーダーのわしが……」
 そう言い掛けた樊瑞に、
「何を言うか。リーダーだからこそ、お主が動くことはならん」
 古老・カワラザキが制止した。隣で幽鬼や残月が頷く。
「じゃあ、じいさまが行ってくれるのか?」
 爪の手入れをしていたヒィッツカラルドが口を出すと、
「いや、じい様にはいてもらわねばならん。もしもの時、孔明を牽制するには、激動のじ
いさまがいなくては困る」
 と、今度は樊瑞が止める。もともと、孔明に対抗するための参謀役なのであるから、カ
ワラザキの不在時に何事かないとは限らない。
「では、誰か、他にいないか? 自薦他薦は問わないぞ」
 樊瑞の呼び掛けに、
「……あの、」
 おずおずと可憐な声音が響いた。全員の眼差しがそちらに集中する。隣室から戻ってき
たサニーが、扉に寄り添うように立っていた。
「サニー、どうした?」
 樊瑞の言葉に、
「あの、私では、……駄目でしょうか?」
「駄目でしょうか、とは何がだ?」
「ですから、今度の作戦に、私を出撃させてはいただけませんか?」
 サニーの不意の申し出に、部屋の空気が揺れた。
「サニー、自分が何を言っているのか解っておるのか? 遊びに行くのではないのだぞ」
 慌てる樊瑞に、
「解っています」
 と、サニーは毅然と返した。
「確かに、私の能力はまだ未開です。足手纏いになることくらい、承知しています。でも
……、」
 サニーは小さな手をぎゅっと握って、
「私も、早く、おじ様方のお役に立てるようになりたいのです。ですから、どうか、私を
上海に随行させて下さい! お願いします!」
 頭を下げて懇願した。これには十傑集も動揺である。戸惑いざわめく中から、
「駄目だ」
 冷静に一蹴したのは、アルベルトであった。
「お父様…っ」
「未だに己の能力の使いこなせぬお前など連れて行っても、邪魔なだけだ」
「アルベルト、」
 取り付く島もないアルベルトの物言いに、正論とはいえども、樊瑞も流石に気が咎める。
いくら生まれた時から親子の縁を切っているとはいえ、それでも父娘であることに変わり
はないのである。ましてや、強力なテレパシーで結ばれているとなれば尚更であろう。
 しかし、アルベルトは気にする風もなく、
「事実を言ったまでだ」
 と、新しい葉巻を取り出した。
 だが、サニーは、
「お父様、いえ、アルベルト様」
 常になく瞳に強い光を宿して父を見た。
「先程も申し上げましたように、それを重々承知の上で嘆願しているのです。私もBF団
の一員です。ですから、どうか、上海へ連れて行って下さい。もしも、本当に邪魔になっ
た時は、私を殺して下さっても構いません」
「サニー、お前……」
 少女の覚悟のあまりの強さに、樊瑞は絶句した。
 アルベルトは顔色も変えず、ただ、サニーを一瞥し、
「……よかろう。だが、自分の身は自分で守れ」
 と、だけ言うと、
「樊瑞、これで決定だ」
 反論しようとする面々を押し黙らせた。サニー自身の覚悟と、サニーの父の決断である
だけに、誰も彼も、何も言えなくなってしまったが、
「……サニー、アルベルトの他に、オロシャのイワンも参加することになるだろうから、
お主はただ、初陣で手柄をたてようなどと焦る事はないのだぞ」
 無事に帰って来ることだけを考えろ、とカワラザキが皆を代表するように忠告すると、
「はい、ありがとうございます」
 サニーは高揚した頬に、清楚な笑みを浮かべて頷いた。

 BF団が早速動きを見せ始めたことは、国警側にもすぐに知れた。とはいえ、ヨーロッ
パ圏における勢力はBF団の方が強いだけに、よって情報収集能力もどうしても低下せざ
るをえない。
「しかし、よりによって上海とはなあ……。何考えてんだ?」
 上海に向かう飛行船グレタガルボの中で、鉄牛が唸った。
「取り敢えず、活動再開の景気付けに、って、とこじゃねえのか?」
 戴宗が酒を呷る。その隣で、
「新シズマドライブも完成したばかりだからねえ……。でも、だからってねえ……」
 流石に楊志も疑問視せざるをえない。何故なら、襲撃してくるというだけで、敵の目的
がはっきりとしていないからである。
「まあ、BF団の世界征服が最終目的とはいっても、確かにおかしいわよね」
 と、銀鈴も首を傾げる。
「だが、どちらにしろ、戦うことに変わりはない」
 幻夜だけは引き締まった表情をしている。それをまた、大作が隣から見惚れているもの
だから、余計に鉄牛も戴宗も不満そうだ。
「ま、どっちにしろ、わざわざ上海まで来るんだ。……やってやるぜ」
 そのせいか、戴宗は両手をぼきぼき鳴らした。
 衝撃のアルベルトが出撃してくるであろうことは、誰もがほぼ確信していた。右目と盟
友を奪われた屈辱から、戴宗を仇敵と狙うアルベルトとの決着は、今日こそ着くのか。そ
うなった時、無事であるのはどちらなのか。上海での戦いということで、前回の事から、
楊志の表情が思わず複雑になる。だが、
「心配するな、俺を信じろよ」
 そう、直接言葉にせずとも、瞳で語り掛けられて、楊志も力強く頷く。目と目で語り合
う夫婦の絆も、またひとつの愛の形であった。
 その時、いよいよ上海エリア上空に突入したという艦内放送が響き渡った。誰もが臨戦
態勢の準備に入る。
「じゃあ、こっちも景気付けに勝つとするか!」
 が、戴宗の台詞は最後まで言い終えることはできなかった。何故なら、グレタガルボを
突然の衝動が襲ったからである。あまりの唐突さに、全員が床に打ち付けられそうになり
ながらも、何とか体勢を持ち堪える。
「まさか、これは……!」
 うわあっ、とよろめく大作を腕に抱きながら、幻夜は襲撃してきた方角を見る。と、
「二発目、来ます!」
 報告よりも早く、グレタガルボが騒音とともに大きく揺れる。何んとか避けたものの、
飛行船を打ち落とそうとする一筋の波動に、
「衝撃波か!?」
 戴宗の瞳が、遥か彼方に仁王立ちする男の姿を捉える。ニヤリと笑ったモノクルの右目
が、太陽を受けて光った。
「あの野郎!」
 叫ぶと共に、甲板から一気に地上へと飛び降りる。地上では、すでにBF団の戦闘体勢
がすっかり整い、戴宗の降下に合わせるように攻撃が開始された。が、それを物ともせず、
戴宗はただ仇敵のもとへ急ぐ。
「あんた!」
「兄貴!」
 それに続いて、楊志や鉄牛も降下し、次々とBF団の戦闘員を薙ぎ倒して行く。銀鈴も
他のエキスパートらと共に上空からBF団に銃で応戦し始め、グレタガルボも急ぎ避難す
るためにスピードをあげる。
「ジャイアントロボ!」
 幻夜の腕の中から、大作が腕時計に向かって叫ぶ。父の遺した巨大ロボットを操縦する
大作の表情はいつもの子供とは全く違う。ロボの腕が求めるように差し出され、大作は幻
夜から離れると、そのまま甲板からロボに飛び乗った。
「幻夜さん、いってきます!」
 そう言いながら、大作はロボの堅牢のような掌から腕を振った。この子は、戦場を怖い
と感じたことはないのかと今更ながらに思いながら、幻夜は大作を見送った。ロボがつい
ていれば大丈夫だろうと思いながら、ふと、つい静止作戦へ記憶が遡ってしまうのは仕方
のないことなのかもしれない。
「……ここで、私は大作を初めて直に目にしたというわけか…」
 まさか、あの時は、この少年を心底から愛するような日が訪れるとは、全く予想だにし
なかった。そんな運命の不思議さを感じながら、幻夜はBF団の怪ロボットに立ち向かっ
ているジャイアントロボを見下ろした。順調に戦っている。が、どうあれ、不安は消えな
い。
 そんな幻夜に、
「兄さん、何しているの!?」
 危ないわよ! と銀鈴が叫び、銃を的確に乱射している。と、そこへ、
「今日こそBF団の勝利だ!」
 巨大な二つの爛々とした光眼が眩しく視界に飛び込んできた。
「ウラエヌス!?」
 銀鈴を背後に隠し、咄嗟に幻夜も身構える。
「ほう、面白いところで出会ったな、幻夜」
 ウラエヌスの中から、甲高い声が響いた。
「オロシャのイワンか」
「よくもBF団を利用した挙句に国警なんぞに鞍替えできたものだな。だが、もう貴様も
これで終わりだ!」
 大笑いしながら、イワンがウラヌエスの中から止めのボタンを押そうとした時だった。

 ドオン!!!!!

 上海全土を揺らしかねないような大爆音が轟き渡った。
「なんだ!?」
 音の方角を見ると、巨大な黒煙が丸くもうもうと噴き上がっている。先程、ジャイアン
トロボが戦っていた場所である。
「大作!!」
 イワンを無視して、青くなった幻夜がグレタガルボから飛び降り、大作を目指して修羅
の巷を一瞬一瞬で移動してゆく。
「幻夜!!」
 裏切り者の成敗をと思ったイワンであったが、今度はウラエヌスが大いなる衝撃に揺れ
た。
「なんだ!?」
 グレタガルボからの砲撃であった。フィールドが間に合わなかったものの、不幸中の幸
いともいうべきか、命中とまではいかないが、それでも内部で警報が鳴り響いた。
「くっ、くそっ!」
 こうなっては撤退するしかないとイワンは退いたが、再び遠方から轟いた大爆音に、
「まさか、サニー様!?」
 初陣の少女を救うために駆け付けようとしたものの、ウラエヌスは最早ただ落下してゆ
くことしかできなかった。
「大作!! 何処だ!?」

 一方、二度目の大爆音に、現場に辿り着いた幻夜は黒煙の中からロボを見つけ出し、一
旦は安堵したものの、周囲を見回したが大作の姿は何処にも見当たらない。

「大作!! 私だ!! 何処にいる!?」

 晴れ切らぬ黒煙の中に躊躇なく飛び込み、大作を探し出す。ロボの頬には勿論、掌の中
にもおらず、幻夜は絶望した心地で必死に大作を探索した。白いスーツがたちまちに色を
変えた。と、

「……う、ん……」

 こんな時でもなければ聞き逃して当然のような微かな唸り声に、もしやと思い、

「大作か!?」

 幻夜は危急と瓦礫を掻き分けたが、黒煙のせいで大作であるのかも判別できず、それで
も小柄な感触に少年かと抱き上げたが、大急ぎで日の下で見ると、全く別の人物であった。
しかも、その顔には見覚えがある。

「……まさか……、」

 それに反応したかのように、幻夜の腕の中で、閉じられていた瞳が、微かに動いた。

「サニー・ザ・マジシャン……!」

 見間違う筈がない。衝撃のアルベルトの娘である。無から有を生み出す能力は未開花で
あるために、十傑集候補のまま、空席を埋めることのできていない少女である。本来であ
れば、このような戦場に来ることなどない筈の人物である。それが、

「何故、こんなところに……!?」

 驚愕する幻夜の前で、少女の瞳が、すうっと開いた。

「………あ、」

 サニーの意識が、徐々にはっきりしてくる。痛みは殆ど感じてはいないが、爆発のショッ
クから、それだけ感覚がどうかしたというわけなのだろうか。それとともに、ぼやけた視
界も次第に輪郭線を取り戻してゆく。誰かが、自分を助けてくれているらしいことが解る。
だが、それがアルベルトやイワンでも、覆面のBF団員でもないことはぼんやりと理解し
た。では、まさか国警だろうか。自分は捕らえられたということなのか。サニーの中で、
恐怖や不甲斐無さが涙になって込み上げて来る。

「……大丈夫か」

 だが、問い掛けられた声音に、サニーは敵意を感じられなかった。初めての戦場という
せいもあったのだろう、心弱さからか、

「は、は…い…」

 思わず、頷いていた。

「……そうか」

 幻夜はサニーを抱えたまま立ち上がると、

「大作を知らないか、何処にいる!?」

 必死の形相で薄汚れた少女を揺さぶった。

「さ、さあ……?」

 サニーにも、大作が何処へ飛ばされたのかなど、全く検討も付かない。
 そもそも、偶然にもジャイアントロボに倒された怪ロボットの近くにいたために、大作
に見付かったものの、サニーを知らない大作は民間人がいたのかと驚き助けようとしたの
だが、動転したサニーの能力が暴走し、大爆発を起こしてしまったのであった。
 しかし、今度も、

「頼む!! 大作は何処にいる!? 答えてくれ!!」

 恐ろしいような形相で懇願してくる幻夜に、

「い、いやー!!」

 サニーが動転と恐怖から思わず叫ぶと、二人の背後で、またも大爆音が轟いた。

「何!?」

 これには幻夜も驚くが、ともあれ逃げ去るしかない。仕方なくサニーを横抱きにしたま
ま、余波の届かないような位置へと急いで逃れる。と、その一瞬の間に、黒く長い髪が広
がって鼻孔を掠めた香りに、サニーは知らず息を止めていた。そして自分を抱えている人
物を見上げる。この白皙黒髪にはサニーにも見覚えがある。たしか、幻夜という、十傑集
である父を差し置いて地球静止作戦のリーダーであったエージェントで、今は国警に鞍替
えした男であることは知っていた。地球静止作戦の折、アルベルトが上海で行方不明になっ
たことから、サニーは樊瑞のもとに身を寄せていたのであったが、それ以外にもアキレス
に捕まってビックファイアの身代わりをさせられたりと、原因はすべてこの男にあったの
だが、サニーの性質からして別に幻夜を恨むなどといった感情を持つことはなかったが、
かといってどう思っていたわけでもない。だが、その白皙を見詰めているうちに、サニー
は急に胸がドキドキしてくるのを感じて、戸惑った。これまでサニーは十傑集に囲まれて
成長してきただけに、こんな動悸は初めてだった。

「流石にここまでは……」

 立ち止まった幻夜は、腕の中のサニーの様子がおかしいことには気付かなかった。それ
よりも大作は何処へ行ってしまったのかの方が遥かに重大であった。よって、

「立てるか?」

 困惑しているサニーを地上に降ろし、

「待っていろ、大作!」

 そのまま大作を救出に向かおうとした幻夜の前に、

「待てい!!」

 問答無用に衝撃波が飛んで来て、幻夜は慌てて飛び退き逃れた。が、あまりにも突然だっ
たために、衝撃波を避け損なって瓦礫の中に派手に落下した。

「お父様!」

 サニーが咄嗟に叫ぶ。父の登場による安堵よりも、幻夜が殺されるのではないかという
無意識の恐怖から今度は青褪めていたが、サニー自身、これがどういった感情であるのか
は理解できていないため、強力なテレパシーで結ばれているとはいえ、アルベルトにも伝
わりきらず、またアルベルトにしてみればそれどころではなかった。

「…うっ……」

 なんとか起き上がった幻夜を、正面から見下ろしながら、

「貴様、よくもわしの娘を……!」

 アルベルトの掌に衝撃波が音をたてる。サニーの瞳が大きく見開く。

「お父様、待って下さい! その方は……!」

「黙っていろ!!」

 アルベルトの怒声に、サニーがびくりと震えた。

「ええ、幻夜、この前は、よくも我々BF団を愚弄してくれたな。しかも、よりによって
わしの娘に触れるとは……、今度こそ貴様の息の根を止めてくれるわ!!」

 アルベルトの衝撃波が幻夜に向かって放たれる。だが、それは幻夜の息の根を止めるこ
とはなく、むしろ、

「衝撃のー!! そこかー!!」

 上空からの噴射拳がアルベルトを吹き飛ばした。

「お父様!?」

 が、サニーの心配も余所にアルベルトは即座に体勢を立て直す。

「戴宗!」

 スタッ、と戴宗が地上に着地する。互いに相当やりあってきたらしく、よく見ればアル
ベルトも戴宗も無傷ではない。

「へっ、俺との勝負をいきなり放棄したかと思いきや、てめえみてぇなおっさんにこんな
可愛らしい娘がいたとはなあ……。こいつはちょっと驚きだぜ」

 戴宗は酒瓢を呷り、口許を手の甲で拭う。

「うるさい! 貴様、よくも邪魔してくれたな!」

「ええ、意外に子煩悩らしいな、衝撃の。てめえの娘も心配だろうがな、こちとら大事な
大作が心配なんでな……、幻夜!」

 戴宗は振り返らずに、幻夜を呼んだ。

「判っている」

 すでに復活していた幻夜の腕には、いつの間にやら大作が抱きかかえられていた。

「おお、いたか!」

「丁度、この瓦礫の下にな。……息はあるから、大丈夫だ」

 そう言い、愛おしそうに大作を見詰めた。怪我はないが、汚れた頬が痛々しい。

「あ……」

 大作を見詰める幻夜の眼差しが、傍目にもサニーの小さな胸をちくりと刺した。だが、
それも一瞬の出来事であり、誰も気付く筈もない。

「無事なら無事で、大作を連れてさっさと逃げろ!」

 衝撃のは俺に任せとけ、と戴宗が身構え豪語する。アルベルトも当然受ける構えである
が、

「サニー、早く逃げんか」

 それまでの娘への激情が嘘であったかのように、今度は打って変わって平静な声音であっ
た。は、はい、とサニーも立ち上がろうとするが、うまくいかず、

「一人じゃ立てねえみてえだぜ、あの嬢ちゃんは」

 からかうような戴宗に、

「うるさい! 黙れ!」

 と、アルベルトが衝撃波を放った。

「るあー!!」

 戴宗も負けじと噴射拳で対抗する。二つの強大な力がぶつかり合い、戦場が一瞬、目映
く照らし出される。廃墟と化すしかない上海の地を、二つの力が衝突しては離れ、離れて
は衝突する。どれも一瞬の出来事であるが、拮抗故に決着はいまだにない。

「サニー様、ご無事でございますか!?」

 今になって、漸くイワンが駆け付けた。

「イワンのおじ様!」

 慌てて立ち上がり駆け寄ろうとするサニーを、イワンが支える。

「お怪我はございませんか!? さ、今のうちに安全な場所へ……」

 イワンが連れて行こうとするのを、サニーは、

「待って下さい! お父様が……!」

 さっと小さな両の掌に光を集めようとするが、上手くいかない。

「アルベルト様が負ける筈がございません! それよりも、サニー様にもしもの事があっ
たりしたら……!」

「でも、私のせいで、お父様が……!」

 空中でドンパチを繰り広げる父親の姿に、苦渋はない。だが、サニーは父親に一瞬でも
負担を掛けさせたのかと思うと、自分が情けなく、せめて一矢を報いることはできないか
と、もう一度掌に力を集中させてみる。そもそも、もしも戦場という危急に立てば能力も
開花するのではないかと期待して志願したのだ、せめて少しだけでもと歯を食い縛る。

「サニー様!?」

 イワンの目の前で、サニーの手が急速に目映い光に包まれてゆく。と、それはサニー自
身をも包容し、星にも似たきらめきを放ちながら、どんどん輝きを増してゆく。しかし、

「きゃあああ!?」

 これもサニーには扱いきれていないのである。暴走する魔力は使い手である少女にも止
めることはできない。それだけサニーの潜在能力の高さを意味しているのだが、どちらに
しろ器が伴っていないので余計に厄介である。サニーの意思とは関係なく、止め処なく溢
れる光は奔流となって方々へ飛び火してゆく。

「なんだ、ありゃ!?」

 戦闘の最中でありながらも、戴宗やアルベルトも思わず動きを止めて眼を見張る。流れ
る光は淡い輪郭を捨てて唐突に周囲へ襲い掛かり出した。衝突した先で激しい爆発が起こ
る。と、光は二人にも襲い掛かって来た。

「どうなってんだ、衝撃の!」

 器用に避けながら、戴宗が叫ぶ。

「うるさい! ワシが知るか! サニー! いい加減にしろ!」

「で、でも~!」

 サニーも涙ぐんで対応策に懸命に頭をひねるがどうにもできない。

「サニー様!」

 一先ず、イワンがサニーを抱えて現場から離れるが、四方八方も暴走する光によって次
々と塞がれてゆくばかりで、

「ええい、仕方がない!」

 イワンは兎に角開けている方角へ行くしかない。涙で霞むサニーの瞳に、大作を抱える
幻夜の姿が飛び込んで来た。彼も襲来する光から逃れようと彷徨っているが、髪を振り乱
して大作を守護するその有様に、サニーの視界が一気に晴れ渡り、胸の高鳴りが驚くよう
な大きさで身体中に響いてくる。思わずサニーの頬が染まる。と、方々へ荒れ狂っていた
光が、俄かに身を捻らせて方向転換し、幻夜へ集中し始めた。

「何!?」

 光が音をたてて幻夜を取り巻き、抱擁しようと幾筋もの腕を伸ばしてくる。瞬く間に壁
となって幻夜を包み隠す。

「大作!!」

 戴宗が叫ぶ。と、目映い光の壁の隙間から、淡い緑色の輝きが溢れ出し、サニーの光を
撥ね退けて行く。

「何!?」

 テレポートである。大作を抱える幻夜の姿が、緑の光と共に消えた。何処まで移動した
のか。慌てて周囲を見回すが、絶体絶命の危機とはいえ、命を削る能力だけに容易には使
えない筈だが、その行方は解らない。

「あの野郎……」

 しかし、これで大作の無事は保障されたも同然だった。

「戴宗!!」

 戴宗の横を、衝撃波が過ぎる。当たらなかったものの、バランスが崩れた。

「勝負は終わったわけではないぞ!」

「うるせえ!! てめぇの娘の心配でもしてろー!」

 再び衝撃波と噴射拳が激突する。数時間も経たぬうちに、すでにまともに戦っているの
は、この二人だけであった。

「サニー様、こうなっては最早撤退するしかありません!」

 イワンの台詞に、サニーも今度は頷く。サニー自身にもよくは解らないが、サニーの光
は幻夜のテレポートと共に消え去っていた。

「一体、どちらの勝利だったのでしょうか……?」

 サニーの疑問には、イワンも答える術をもたない。ただ、少しでも早くサニーを安全な
場所へと脱出を急ぐだけだ。
 だが、そんなイワンの決死を余所に、サニーは幻夜が一体何処へ消えたのかが気になっ
て仕方なかった。一目遇い見た草間大作を見詰める幻夜の眼差しの意味は、そして、こん
なにも熱く燃える頬の意味は何だというのか。母であれば、知っていただろうか。けれど
も、母はもういない。首を廻らし、遥か後方の父を見る。父は今、戦っているだけだ。サ
ニーは瞳を閉じた。



 一方、幻夜がテレポートした先は、浮遊するグレタガルボのメインブリッジであった。
すでに戴宗以外のエキスパートが戻って来ていた。

「まさか、兄さん!?」

 自身も同じ能力を持つだけに、突然、目の前に出現した淡い緑色の輝きに銀鈴は驚愕の
声をあげた。その腕に抱かれた大作は、うっすらと瞼を開けている。だが、自分の状況に
すぐに気付き、床に屑折れるように降りた幻夜に眼を見開いていた。

「幻夜さん!? しっかりして下さい!!」

 しがみ付き、その白い顔を凝視する。駆け寄る銀鈴たちの不安の表情を一瞥して、幻夜
は、絞り出すように、

「……大丈夫だ……」

 と、乱れた黒髪に手をやった。生色を失った整貌は痛々しく、透けるように白い。

「…それより、大作は……、」

「な、なんともありません! でも、幻夜さんが……、」

 大作の瞳から、みるみる涙が溢れ、頬を濡らしてゆく。幻夜は口許を緩めて、

「……そう、か……」

 よかった…、と唇だけが微かに動いた。

「……兄さん」

 銀鈴の青い瞳が揺れる。漸く、幻夜が頭を上げる。軽く吐いた息は、正常に戻りつつあ
り、銀鈴を安堵させたが、大作は変わらず、

「……幻夜さん!!」

 堪え切れずに抱き付いた。ううっ、と嗚咽が漏れる。そんな大作の髪を撫でながら、

「……大丈夫だ、これくらい」

 幻夜は赤児をあやすように言ったが、

「だ、大丈夫じゃありません!!」

 大作はそれを振り払うように顔を上げ、

「テレポートは命を削るって、僕だって知ってます! だったら、そんな力、もう使わな
いで下さい! もし…、もし幻夜さんに、何かあったりしたら、僕は、僕は……っ、もう
生きてられません!!」

 感極まって、あわっと泣き出した。

「大作……」

 これには流石に居合わせた誰もが息を呑んだ。当人の幻夜も困惑気味に眉を寄せていた
が、啼泣する大作の背中を優しく撫で、

「大作、もう泣くな。……だがな、もし、お前に何事かあれば、私も到底生きてはいられ
ない。だからこそ、この力を使うのだ」

「でも……!」

「私の存在など、お前の命に比べれば何ということもない。私にとって、お前こそが私の
命であり、心臓なのだから」

「じゃあ、僕にとっても、幻夜さんは僕の命です! だから、もうやめて下さい! もう、
大事な人をなくしたくありません!」

 大作の号泣はやまない。幻夜の腕の中で止め処なく泣き喚く大作を、戻って来た戴宗は、
ブリッジの入り口の脇から、ただ、じっと眺めていた。




 シズマドライブ復帰後のBF団の第一作戦は、BF団と国際警察機構、そのどちらの勝
利ともならずに幕を閉じた。双方の被害もそう大したことはなかったが、もろに被害を蒙っ
たのは決戦の地となった上海であり、よって上海の復興事業はまたしても振り出しに戻っ
たのであった。
 その夜。

「まあ、誰も欠けずに済んだ、ってことでよかったのかねえ」

 夫の奮戦は相変わらずのことなので、楊志は毎度のことながら器用に手当ての包帯を巻
いてやりながら、

「上海には申し訳なかったけどさ」

 と、肩を竦めた。

「まあな……、それにしても、あの野郎、子持ちだったとはなあ……」

 戴宗が顎を撫でる。

「サニーって子のことかい?」

「あの野郎に似ず、可愛い顔してたけどな。……あの能力は、ちっと厄介だな…」

「あの光だろう、グレタガルボからも確認できたけど、なかなか……ね…。けど、扱いき
れていないみたいだったし、次に出撃してくることはないと思うよ」

「ああ……、だが、用心に越したことはねえ」

 戴宗は何事か考えている様子であったが、

「……大作は、どうした」

 と、振り向かずに言った。

「別に、特に大きな怪我はしてないからね、せいぜい掠り傷程度さ。今頃、部屋でぐっす
り休んでいるよ、幻夜に付き添われてね」

「……そうか」

 後は無言で戴宗は上着に袖を通した。
 数分後、秘蔵中の秘蔵の酒瓶を片手に、大作の部屋を訪れる戴宗の姿が目撃された。



 同じ頃、BF団では、

「作戦はともかくとして、サニーに何事もなくよかった」

 カワラザキが少女の無事に安堵すると、他の十傑集も揃って頷いた。

「しかし、肝心のサニーはどうしたのだ、アルベルト」

 訝しがる樊瑞の台詞に、アルベルトは、

「放っておけ」

 と、だけ言うと、背を向けた。ただ、葉巻を咥え、

「……全く、何ということだ……」

 娘の中に芽生えた新たな感情に表情を歪めた。よりによって、あんな男を…、等とぶつ
ぶつ呟いていたが、それを十傑集の面々は、

「何かあったのか?」

「戴宗と勝負が着かなかったから苛々してるとか」

「サニーの能力が暴走して心配したからじゃないか」

 互いに顔を見合わせていた。
 その渦中のサニーはといえば、

「お母様……、私、一体どうしてしまったのでしょうか」

 亡き母・一丈青扈三娘の遺影を見詰めていた。

「今日の、あの方のことを想うと、胸がドキドキして、何も考えられなくて……、どうに
もならなくなってしまうのです。あの方は、我がBF団を利用した、裏切り者だというの
に……。何故でしょう……」

 と、頬杖をついた。

「……もしかして、これを、…恋、というのでしょうか、お母様……」

 写真の中、母は微笑んでいる。まるで、愛する娘の初恋を容認するかのように。

「……幻夜……さま……」

 呟き、サニーは頬を染めた。これまで人間離れした親父たちの中だけで成長したサニー
にとって、これが初恋であった。
 陶然とする娘の感情に、アルベルトが日夜魘されるようになったのは、それから間もな
くのことであった。



                                     終



□02□ 罰






幼い頃、
わたくしは天使の羽に包まれているように、
柔らかな愛と優しさによって育てられました。
この血の色をした眼に映るものはすべて、
この世の美しいものでした。

今でもそれは私の心に残って、それはそれは美しい幻を見せてくれるのです。

母の記憶は一切ありませんが、
父や、おじ様たちの記憶は今も色鮮やかに残っております。
わたくしはわがままで、
何度となく父やおじ様たちを困らせていたようで・・・。

特に思い出深いのは、
父と一緒に地中海の別荘で晩餐を共にしたことでしょうか。
わたくしは樊瑞のおじ様に連れられて、冬の優しい風と戯れていたのですが、そこへ突然父が来てくれたのです。
父は、たまたま任務地だったので寄っただけだと言っておりましたが・・・。
その日は母との特別な日らしく、
晩餐中にも関わらず、父はまるで懐かしむように母との思い出を語ってくださいました。
ふふ、幼いながらに嬉しかったのでしょうね。
その日の父との会話は、今でも温かな血潮となってわたくしの体をめぐっていますもの。
樊瑞のおじ様も、父の饒舌がもの珍しかったのか、上機嫌でわたくしと父の会話を見守って下さいました。
母の記憶がなくても、わたくしに母という優しい存在が分かるように、理解できるように、父が心を砕いてわたくしに語って下さったかと思うと、その思いだけで心が満たされる気がしました。
父と、
樊瑞のおじ様と、
そして父の語る亡き母との思い出が、
家族の団欒というものをわたくしの心へ届けてくださった晩餐は至上の思い出です。

そしてそれは、最初で最後の団欒でした。

父はわたくしへの愛からか、家族との縁を切って孤独に生きておりました。
その愛が、どれほど深く、どれほど高いかなど貴方には到底理解できないでしょう。
父は崇高な方でした。
わたくしの中の父は、背中姿ばかりで、決して弱いところを見せないのです。
最後の時もそうでしたね。
決して己の誇りを失うようなことはしなかった。
最後まで、父は父の意志を貫き通して散っていったのです。

樊瑞のおじ様もそうでした。
幾度となく仲間の死を体験しながらも、
それでもなお、
わたくしに暗いところをお見せにしようとはしませんでした。
何時でも、
明るく照らしてくれるその内面に、
幼いながらもわたくしは何度も救われました。

わたくしは沢山の形ないものを貰いました。

そして、
わたくしから沢山の形あるものを奪っていったのは、貴方でしたね。

今から父と樊瑞のおじ様のところへ送って差し上げます。
お二人とも、きっとお喜びになる事でしょう。
貴方だって、嬉しいでしょう?

だからどうか、そんな顔をなさらないで。

  • ABOUT
うろほらぞ
Copyright © うろほろぞ All Rights Reserved.*Powered by NinjaBlog
Graphics By R-C free web graphics*material by 工房たま素材館*Template by Kaie
忍者ブログ [PR]