髪のブラッシングはいつも以上に念入りに。
リップクリームはほんのり色づくピーチの香り。
角度を変えながら鏡の前で気が済むまで自分をチェック。
軽やかにその場でターンを決めれば、サニーは「いざ」とばかりに部屋から出て行った。
一週間ぶりに本部に帰還した残月に今から会いに行く。
サニーの軽い足取りは、まるで雲の上を歩いている様だ。
残月のところへ行く理由はこれといって無い。
だから「本を貸して欲しい」という理由で来た・・・・もし「何の御用かな?」と訪ねられれば答えようとサニーは考えていた。
彼の執務室をノックしてみたが返事が無く鍵もかかって完全に不在のようだった。
帰還しても残務処理や結果報告、また各支部への指示に他の十傑との連携会議、施設の視察に下級エージェント育成などサニーがまだよく知らない仕事は山のようにある。多くの構成員を束ね、またその頂点に君臨する幹部としてやるべきことは実際多すぎるくらい。執務室で執り行う仕事はそのほんの一端でしかない。
サニーも幼少からこの組織で育ってきたので十傑たちが忙しい身であることくらい十分知っている。だから彼らの仕事の邪魔になるようなことはしないように気をつけているつもりだ。
------残月様まだかな・・・・
10分ほど執務室のドア前で彼の到着を待ってみたが、気持ちがどうも落ち着かない。1分ごとにキョロキョロと周囲を見回すが帰ってくる気配は無い。
「おや、お嬢ちゃんどうしたんだい」
その様子に気づいたのはたまたま通りがかったヒィッツカラルド。サニーは少し慌てて「い、いえあの別に・・・」と濁してみる。しかしヒィッツカラルドにはピンとくるモノを感じたらしく
「奴なら一時間前に帰還したが、つい先ほど指令が降りてね。今度はモスクワだよ、たぶん二週間は帰ってこないかもなぁ」
「え!・・・・そ、そうなんですか?・・・二週間・・・・・・・・」
「奴に何か用事があったのかい?」
「いえ!その・・・・いいんですごめんなさいっ」
サニーは走ってその場から立ち去った。ヒィッツカラルドはその背中を見送ったが、「ふむ」と肩をすくめて彼もまたその場から立ち去った。
息を切らすサニーは本部の屋上にある飛空挺の離発着場にいた。
わずかな期待は裏切られ、残月が搭乗した飛空挺は既に飛び立った後だった。
その晩、サニーはもやもやとした気持ちのままベッドに入った。朝はあんなに「ふわふわ」していたのに今は「もやもや」。この大きな気持ちの揺れはいったい何なのか。
------あと二週間も・・・・・
一週間でもひどく長く感じたのに、今度はその倍。
自分がどうしてこんなに彼に会いたいのかは分からない。
本を借りたいために会いに行くわけじゃない。
理由が無いのにじゃあ何故?
------何故だろう・・・・
「ふわふわ」に「もやもや」にと心が忙しく揺れ動く。
前は会えなくてもこんな想いににならなかったはずだ。
サニーは枕をギュっと抱きしめて「もやもや」が収まるのを待ってみた。
そして二週間。
モスクワでの作戦をつつがなく終了させて本部に帰還した残月は、ようやく執務室で一息入れていた。チェアに深く腰を沈めて身体を背もたれに預け、軽く反らして
「・・・・・・・・・・・・」
長い紫煙を吐いてみたもののいつもの刻み煙草の味は何故か物足りない。鋭く煙草皿に煙管を打ちつけ、火皿から燃えカスを落として彼は残る紫煙を全て吐き出した。それに・・・紅茶を淹れてみたがどうも口をつける気にならないらしく、それはデスクの上で香りだけ放っていた。
誰かを待つわけでもないのに誰かを待っているような。
------ふむ・・・
彼はデスクの上で手を組み、そんなハッキリとしない自分の感覚を探ってみた。ふと、物足りなさを感じ執務室を見回してみる。相変わらず整然と埋め尽くされている書棚。来客用のソファにテーブル。目の前にあるのは口をつけられないままのロイヤルミルク。
鼻をくすぐるのは高貴であるが甘やかな香りで、彼は「ああ」と納得した。
軽やかなノックの音はその後すぐだった。
「どうぞ」と言えばサニーが少しモジモジした様子で入ってくる。
残月は無表情の覆面の下で少しばかり目を見張った。
「何の御用かな?」
「・・・あ、えっと・・・お邪魔でなければ本を貸していただけないかと・・・・」
目を見張ったのはたった三週間しか会わなかったのに
少しだけ背が伸び、少しだけ大人に近づき
「本を?ああ良いとも。私はちょうどサニーに会いたかったところだ」
「え?私にですか?」
赤らめる『少女』が少しだけ綺麗になっていたため。
「そう思ったのは確かだ、特に用も無いのに何故であろうな」
おかしいものだ・・・とデスクで指を組む残月がいたって真剣にそう言うので、顔を赤くしたまま思い切り首を横に振ってみた。
「わ、私も・・・残月様に『会いたいから』会いに来ました!」
『ふわふわ』と『もやもや』の狭間で三週間もの間心を揺らし、それを受け入れてきた少女は確信をもって口にしてしまう。
「あ、いえその・・・!」
彼が目を丸くしてしまったのがわかって慌てたが
「そうか」
覆面の下にある男の顔は、すぐにほころんだ。
少々温くなったロイヤルミルクは今が飲み頃かもしれない。
残月は一気に呷り、少しだけ綺麗になった少女を丁重に出迎えるべく腰を上げた。
END
リップクリームはほんのり色づくピーチの香り。
角度を変えながら鏡の前で気が済むまで自分をチェック。
軽やかにその場でターンを決めれば、サニーは「いざ」とばかりに部屋から出て行った。
一週間ぶりに本部に帰還した残月に今から会いに行く。
サニーの軽い足取りは、まるで雲の上を歩いている様だ。
残月のところへ行く理由はこれといって無い。
だから「本を貸して欲しい」という理由で来た・・・・もし「何の御用かな?」と訪ねられれば答えようとサニーは考えていた。
彼の執務室をノックしてみたが返事が無く鍵もかかって完全に不在のようだった。
帰還しても残務処理や結果報告、また各支部への指示に他の十傑との連携会議、施設の視察に下級エージェント育成などサニーがまだよく知らない仕事は山のようにある。多くの構成員を束ね、またその頂点に君臨する幹部としてやるべきことは実際多すぎるくらい。執務室で執り行う仕事はそのほんの一端でしかない。
サニーも幼少からこの組織で育ってきたので十傑たちが忙しい身であることくらい十分知っている。だから彼らの仕事の邪魔になるようなことはしないように気をつけているつもりだ。
------残月様まだかな・・・・
10分ほど執務室のドア前で彼の到着を待ってみたが、気持ちがどうも落ち着かない。1分ごとにキョロキョロと周囲を見回すが帰ってくる気配は無い。
「おや、お嬢ちゃんどうしたんだい」
その様子に気づいたのはたまたま通りがかったヒィッツカラルド。サニーは少し慌てて「い、いえあの別に・・・」と濁してみる。しかしヒィッツカラルドにはピンとくるモノを感じたらしく
「奴なら一時間前に帰還したが、つい先ほど指令が降りてね。今度はモスクワだよ、たぶん二週間は帰ってこないかもなぁ」
「え!・・・・そ、そうなんですか?・・・二週間・・・・・・・・」
「奴に何か用事があったのかい?」
「いえ!その・・・・いいんですごめんなさいっ」
サニーは走ってその場から立ち去った。ヒィッツカラルドはその背中を見送ったが、「ふむ」と肩をすくめて彼もまたその場から立ち去った。
息を切らすサニーは本部の屋上にある飛空挺の離発着場にいた。
わずかな期待は裏切られ、残月が搭乗した飛空挺は既に飛び立った後だった。
その晩、サニーはもやもやとした気持ちのままベッドに入った。朝はあんなに「ふわふわ」していたのに今は「もやもや」。この大きな気持ちの揺れはいったい何なのか。
------あと二週間も・・・・・
一週間でもひどく長く感じたのに、今度はその倍。
自分がどうしてこんなに彼に会いたいのかは分からない。
本を借りたいために会いに行くわけじゃない。
理由が無いのにじゃあ何故?
------何故だろう・・・・
「ふわふわ」に「もやもや」にと心が忙しく揺れ動く。
前は会えなくてもこんな想いににならなかったはずだ。
サニーは枕をギュっと抱きしめて「もやもや」が収まるのを待ってみた。
そして二週間。
モスクワでの作戦をつつがなく終了させて本部に帰還した残月は、ようやく執務室で一息入れていた。チェアに深く腰を沈めて身体を背もたれに預け、軽く反らして
「・・・・・・・・・・・・」
長い紫煙を吐いてみたもののいつもの刻み煙草の味は何故か物足りない。鋭く煙草皿に煙管を打ちつけ、火皿から燃えカスを落として彼は残る紫煙を全て吐き出した。それに・・・紅茶を淹れてみたがどうも口をつける気にならないらしく、それはデスクの上で香りだけ放っていた。
誰かを待つわけでもないのに誰かを待っているような。
------ふむ・・・
彼はデスクの上で手を組み、そんなハッキリとしない自分の感覚を探ってみた。ふと、物足りなさを感じ執務室を見回してみる。相変わらず整然と埋め尽くされている書棚。来客用のソファにテーブル。目の前にあるのは口をつけられないままのロイヤルミルク。
鼻をくすぐるのは高貴であるが甘やかな香りで、彼は「ああ」と納得した。
軽やかなノックの音はその後すぐだった。
「どうぞ」と言えばサニーが少しモジモジした様子で入ってくる。
残月は無表情の覆面の下で少しばかり目を見張った。
「何の御用かな?」
「・・・あ、えっと・・・お邪魔でなければ本を貸していただけないかと・・・・」
目を見張ったのはたった三週間しか会わなかったのに
少しだけ背が伸び、少しだけ大人に近づき
「本を?ああ良いとも。私はちょうどサニーに会いたかったところだ」
「え?私にですか?」
赤らめる『少女』が少しだけ綺麗になっていたため。
「そう思ったのは確かだ、特に用も無いのに何故であろうな」
おかしいものだ・・・とデスクで指を組む残月がいたって真剣にそう言うので、顔を赤くしたまま思い切り首を横に振ってみた。
「わ、私も・・・残月様に『会いたいから』会いに来ました!」
『ふわふわ』と『もやもや』の狭間で三週間もの間心を揺らし、それを受け入れてきた少女は確信をもって口にしてしまう。
「あ、いえその・・・!」
彼が目を丸くしてしまったのがわかって慌てたが
「そうか」
覆面の下にある男の顔は、すぐにほころんだ。
少々温くなったロイヤルミルクは今が飲み頃かもしれない。
残月は一気に呷り、少しだけ綺麗になった少女を丁重に出迎えるべく腰を上げた。
END
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