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 牀榻の広い天井と太い柱は、はっきり言ってしまえば、寝室の意匠としては重苦しい
ほどの彫刻で埋め尽くされている。特に、真上に配された四神(しじん)などは、慣れ
るまで目が合うたびにぎょっとするほどの、精巧な出来である。
 いま、天井に彫られた、見事な芙蓉の花を挟んで互いに向き合う東西神の輪郭は、帳
の中で、薄く白んだかすかな朝の光線に、ぼんやりと浮かび上がっている。
 ほんの少し前に、それらがいまだ闇に沈んだままであることを確かめて、安心して息
をつき、瞼をまた閉じたばかり――の、つもり――であった李斎は、青龍と白虎の姿が
目に入ると、途端に顔を引きつらせて息をのみ、弾かれたように跳ね起きた。
 そのまま気色ばんで振り返り、隣の枕を確かめる。
 そこには、可笑しそうにした良人(おっと)の顔が、あった。
 聞こうとした李斎に、先に言う、
「…大丈夫だ。まだ早い」
 ちょっと落ち着いた李斎だが、すぐまた不安げに外をうかがった。
 確かに薄暗く、人の立ち働く気配も感じないが……。
「たったいま一番鶏が鳴いたところだ。官たちも、やっと起き出した時分だろう」
 のんびりと枕に頭をつけたまま、驍宗が言う。
 ようやく、李斎はほっと息をついた。

 朝議は、夜明けに始まる。とはいえ、北東の極国は日出がたいへんに早い。そのうえ、
極寒の冬がある。いわゆる「一番鶏で参集、日の出前開始」を遵守しては、官の眠る時
間などはなくなるし、冬は、最も冷え込む時間帯にあたるので、暖房がまだ効いていな
い広い議堂では、報告にも質問にも、しゃべるだけで苦労する事になる。
 先代の王は、それでもその時刻に固執して官を集めていたが、早い時間から入れられ
る暖房の燃料は毎冬、莫大なものについたし、それも温まるまで質疑はしばしばおざな
りになった。
 能率を尊び、臣として前王の朝議にも長年出席した驍宗は、登極してすぐに、朝議の
開始時間を、いまの時刻に改めさせていた。
 夏場は夜明けに始めたが、冬は官の集合を、夜が明けてから、とした。これによって
官の負担は軽減して、朝議自体の時間も短くなった。暖房費は以前よりも削られたが、
睡眠が十分な上、簡単な朝餉をとって参内するもの、軽い運動で温まってから来るもの
などが増え、ために、議事の進行はいつも円滑であった。

 驍宗は枕の上で可笑しそうに笑う。
「毎日、大層な勢いの寝覚めだな」
 李斎は顔を赤らめた。
「申し訳ございません。お起こししましたか…?」
 驍宗はいや、と首を小さく振った。
「先に鶏一声で目が覚めた。そなたもそれで起きたのだろう。ああ鳴いたかと思ったら、
跳び上がったからな」
 驍宗はまた思い出し、くっくっと笑いを漏らした。
 李斎は、笑えない。
 確かに滑稽なほどの慌てぶりだったかもしれないが、それには、十分な理由があるの
だ。
 この一週間ばかり前の朝、二人は揃って、見事に寝過ごした。
 華燭から、かれこれ四週間がすぎ、新たな生活にもようやく少し慣れてきたところで
あった。さしものこの二人にも、気の緩みが出たのだろう、としか言いようがない。
 もっとも李斎は当初、驍宗も寝過ごしたとは、知らずにいた。
 日がすっかり顔を出し、明るくなった牀榻の中で目を覚ました李斎は、交代直前の夜
番の女官たちから、主上がもうだいぶ前にお出ましになったことをきいた。彼女らは驍
宗に『お疲れゆえ、かまえてお起し申し上げぬよう』命じられ、李斎を起さなかったの
だ。女官たちはそれ以外、なにも耳に入れなかったし、李斎も、聞かなかった。
 だから、その日まもなく日勤で参内してきた、この国の新しい形態の後宮――あえて
この名称を使うならば、ここは正寝の中の後宮、ということになる――の主席監理官た
る、かの女官長も、その朝は后妃がいつもよりは遅くお起きになられたのだ、としか知
っていなかった。
 女官長が、――そして李斎が――知ったのは、二日過ぎてからだった。


「気にするな。私はもう忘れた。日常のささいな失敗などいちいち覚えていては、身が
もたぬ」
「はぁ」
 驍宗は、気持ちの切り替えが素晴らしく早い。武人としての優れた気質であろう。李
斎だって、立ち直りは早い。これも素質と長年培った有能な武将としての素養だった。
――けれど。
 口をつぐんだ李斎の顔を、驍宗は柔らかな表情でのぞきこむ。
「女官長あたりが、厳しい事を言ったのだろうが、それがあれの仕事だ。あまり神経質
にならず、迷惑をかけてやってよいのだから」
「はい」
「うん…」
 微笑んで驍宗は、慰めるように妻の髪を撫でた。
 李斎は、発覚後に女官長から諄々と説かれた后妃の心得と責務を、心の中にちらと浮
かべ、夫君の思いやりをありがたく受け取ると同時に、この場合、王としては確かにさ
さいなしくじりであったが、后妃には大事であったのだ、という言葉を後ろにうまく引
っ込めた。そして、撫でている腕が楽になるように、そっと驍宗のすぐ傍らに、寄り添
うようにまた横になった。
 驍宗は嬉しそうに笑んだ。
 肩についた妻の頭に頬をよせ、なおも軽く撫でつけながら、巨大な牀榻の内をひとわ
たり眺めて、満足げに、こう言った。
「――李斎と寝むと、朝が暖かいな」
 李斎は変な顔をし、それから、ちょっと瞬いた。自分も広い天井を見上げ、帳を見回
し、そして、
「……さようでございますね」
 と、答える。
 ――だって、二人なんだから。
 同じ牀榻を使うと、夜中二人分の体温で温められ、部屋がしんと冷えても牀榻の中は
ほっこりと温もっている。いくら牀榻が、規格外に大きいとはいえ、帳の内で二人で寝
めば、暖かくて当然なのだが…。
 昨日の朝も、驍宗は同じ言葉を口にした。
 主上のことだから、なにか意味があって仰っているのだろうか…。
 首を傾けたところへ、固い頬がぞり、とこすり付けられ、我に返った。
「そろそろ参る」
 間近に薄目で言うその顔の睫毛は、光る白色をしている。それを見ながら、
「はい」
 と答えた。
 驍宗の髭は、見た目より濃い。白いから目立たぬだけなのだと、嫁いでから知った。
こうして朝の頬を寄せられて、そのことを認めるたび、李斎はつい笑いをかみしめる。
頬ずりの痛さに亡父を連想した自分を思い出しては可笑しくなるし、夫の髭を、触れる
まで失念していたこと自体も可笑しくて、なにか面映い。
 驍宗が、背を起こした。
 ううんむ、とうなるように声を発しながら伸びをして、腕を巡らせ、ついでに、力い
っぱい大きな欠伸をする。
 李斎ははっとして、驍宗が伸びをし始める前に、それとなく視線を逸らした。
 驍宗だとて、当然、牀榻の内では伸びもするし盛大な欠伸もするのだ。もっと言えば、
尻のあたりもわき腹も痒ければ掻くし、結う前の髪の中を必ず一度、ごしごしと片手で
やってから、着替えに向かう癖がある。
 あって当然なのであるが、ただし、驍宗はそれを、牀榻を一歩出たが最後、絶対にし
なかった。彼のわずかなりとだらしなく緊張を解いている様子というものは、寝室の外
では、けっして見られることがないのだった。
 かくて李斎は、彼女だけが目撃することになったこの稀少な光景に、毎朝、するまい
と思っても、異常緊張するのであった。
 ゆうゆうと欠伸をおさめると、例によって、こめかみの上辺りの髪の中を無造作に掻
いた後、驍宗は笑顔で振り返り、首を伸ばして、愛妻に最後の挨拶のために顔を近づけ
た。
「行って参る」
 軽く頬を寄せて言うと、牀から降り、夜着に一枚衣を引き掛ける。李斎も、大きな枕
机の前の床に降りると、その屈むに十分な広さで足台を避けて礼をとり、帳の外へ主を
送り出した。
「行っていらっしゃいませ」




 初日は間違えて、牀榻を出てお見送りしてしまった李斎だが、夫人は王を、牀榻の外
まで送ってはいけないのだった。化粧し衣服を整える前の姿を、牀榻の外の光で夫君に
見せるのは、つつしみに欠け無礼というものだと、後刻、官からやんわりと、叱られた。












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