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うろほろぞ
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「…これなに?おいしいけど」
 丈のある磁器で出されたその琥珀色の飲み物は、琅燦の知らない味だった。李斎は火
炉にかけた鉄瓶の様子を見ながら、微笑んで答えた。
「松葉酒です。たしか、熱いお茶はお好きでなかったと存じまして。いま、ぬるめのお
茶もご用意しますので」
「ああいいよ、これだけで」
 李斎の記憶どおり、実は琅燦は、相当な猫舌である。公の席などで湯茶を供されても、
冬場ですら、冷めるまで手をつけないほどだった。
「でも酒なの、これ」
 もう一度、匂いを嗅いでみる。
「いえ名前だけです。体に良いので、郷(くに)では大人も子供もよく飲みます。承州
ハイマツ(這松)で作るのですが、ないので鴻基の松で試してみたら、ちゃんと出来ま
した」
「李斎が作ったの?」
 ――では、これが噂の『后妃のお手作り』か。琅燦は改めて器の中を眺めた。
「作るといっても、葉を氷砂糖といっしょに瓶子に入れて、水をそそいで醗酵させるだ
けですから。三月もすれば飲めます」
「氷砂糖か。よくあったね」
 青竹の筒で固められた、透き通った玉のような砂糖の加工品は、もともと戴では高価
で菓子の扱いであった。現在の戴では、さらに珍しい。
「ええ。でも琅燦殿が思われるような上等なものではありません。茶色の、兵糧にも使
われるような品なんです。それなら割と手に入りますし、こういうものには十分です」
「主上も飲むの」
 李斎はうなずいたが、ちょっと笑った。
「つんとした風味を、あまりお好きでないようですが。体にはとても良いので、少し削
り砂糖を足して、召し上がっていただいてます」
「私はこのままで好き。作り方をあとで書いて、官邸の方に届けさせて。うちの者にも
作らせよう」
 よほど気に入ったと見えそう言うと、すすめられるままに、おかわりを頼んだ。
 待つ間に、器に盛られた小さな飴菓子をひとつ、口に放り込む。
「ねぇひょっとして、こっちの糖蜜の飴も、お手作り?」
「はい。あの、粗末なものばかりお出ししまして。お口に合わないようなら…」
 恐縮した李斎に、琅燦は手を振った。
「とーんでもない。おいしい、おいしい。これ、まだあるんでしょ。だったら、少し持
って帰らせてよ」
「はい。――喜んで」
 世辞など決して言わぬ客から、こうまで喜ばれれば、もてなす女主も本懐というもの
である。李斎は、喜色満面で料紙をとりだすと、いそいそと残りの菓子をその上にあけ
た。
「なんだか、意外だねぇ。あんたって、こういうことしそうにない女に見えたけど。昔
から男どもと野っぱら駆け回ってばっかりだったのかと」
 野っぱら駆け続けてきた李斎は、肩を竦めた。
「もちろん忙しいときは、何年でも全部、ひとまかせでしたよ。こちらに上がる前から
さほど仕事もなくなって、つい暇にあかせて、思い出すままにあれこれと。…実を申せ
ば、自分が食べたくて、熱心になっただけなんですが」
「私なんか、作ろうたってできないよ。やったことないもん。ふぅん、ちゃんと小さい
時からいろいろやってきてたわけだ」
「やってきた、と言うより…、やらされた、が正しいかもしれません。本当に、男の子
と暴れる方がよほど好きな子供で、母親からは叱られてばかりでした」
 へぇ、と感心し、厳しかったのと聞いた琅燦に、李斎は笑った。
「ええ。それはもう。姉たちと比べると特に不出来でしたから、いつも、こんなでは嫁
げない、と母を嘆かせ、よく罰に甲豆を剥かされたものです。内心、嫁になど行かぬか
らいいと、反発しながら、いやいややっておりました。……こうなってみて、母の言う
ことをもっとよくきいておけば良かった、などと、後悔しております」
 李斎はちょっと首を竦めながらも、懐かしそうに笑んだ。その表情に悲しみはない。
李斎にいま思い出せるのは、彼女を叱りまわした、まだ若い時の母だけなのだろう。
 口やかましい母親と、むくれながら豆を剥くお転婆娘を思い描いて、琅燦も笑った。
「いい育ち方したんだな、李斎は」
「恐れ入ります。でもいたって普通の、退役兵士の家でしたよ。琅燦殿の方が、よほど
ご立派なお家だったのではありませんか」
 琅燦はちょっと吃驚した顔をしたが、あっさり頷いて、認めた。
「うん。親は確かに二人とも国官だったけど、自分のことに忙しいひとたちだったから。
勉強してりゃなんの文句も言われなかったなぁ…」
 と、李斎よりまだ遠い昔を振り返って、首をひねる。
 貧しくはないが豊かでもない平均的な庶民のそれだった李斎の実家に比べ、琅燦の育
った家は、非常に裕福だった。それこそ家事を学ばなくとも不自由などないほどに。
 夫の出世に大いに関心のあった琅燦の母は、しかし自身の官吏としての経歴には殆ど
執着がなかった。順当に上の官職を狙っていくならば、夫の転勤先になど、まず役目は
得られない。だが、それまでよりも低い役職でも平気で受けて赴任したから、ずっと夫
婦で勤められた。彼女が官を退かなかった理由は、主に収入にあった。
 夫婦はどちらも若くして官吏になっており、自分の外見に拘りを持っていた。また大
変な体裁屋で、利にさとく、そのために子を願った。本当は子と徳に立証できる因果な
どないと知っている国官たちの間にあっても、実際には、配偶者のある官吏に子がない
と、徳のない人物と評されかねない。――他人の評価は、巡って人事につながるものだ、
と琅燦の母は、むしろ得意げに言っていた。娘も、ふぅん、そうかと納得しただけだっ
た。
 だけどねぇ、と、琅燦は眉を顰めて息を吐いた。
「普通は子供もったら、子育ての間だけは仙籍抜いて齢重ねるもんじゃない。それを十
年ちょっとで復帰して、そのとき私も仙に入れたわけ。大きな子供がいるのが嫌だから。
おかげで私は、そのままで大学行く羽目になったんだけど、まいったわ。弓が引けない
んだよ、体が足りなくて。卒業まで八年仙籍離れて、どうにか成長したけど、でなきゃ
あんなとこ、二年で終わってやったのに。子の迷惑も考えろってのよ。自分勝手な親の
お陰で苦労した。とっくに死んだけどね」
 父親の、ささいな(とは本人の弁であった)収賄が露見し、ために官職を解かれたの
は、琅燦が官になって既に数年が経った頃であった。
 家族の昇仙が許されるのは、本人の新たな婚姻か、独立前の子が成長後に加わる場合
を除いては、本人が初めて昇仙をともなう任官辞令を受けたときの、一度だけである。
 琅燦の両親はこのときの事件がもとで離婚し、まもなく父親は亡くなった。母親は自
らも辞職するや、別の国官と再婚して相手の仙籍に入り直した。以後疎遠となり、会う
機会はなかった。数十年以上も昔のことである。内乱の最中に、妖魔に襲われて死亡し
ていたと知ったが、それさえ、既に五年が経っていた。
「まぁ、親のことは言えないか。私もいざとなると自分の事しか考えない性質(たち)
だから」
 口を尖らせて言う琅燦に、李斎は微笑んだ、
「ご自身のことしか考えないお方が、この戴に戻って来られる道理もありますまい」
「…、」
 琅燦はじろんと李斎を睨んだ。

 琅燦は、範西国にいた。名を変え、範の冬官に能力を売り、それを元に起こした事業
がかなり大きくなっていた。半年前、驍宗帰還の報が伝わるや、彼女はその一切をひと
に譲り、驍宗の元に馳せつけたのだった。
 その前に雁で、彼女が私財を擲(なげう)って購った兵糧と武器とが、延王の援軍を
迎えたときの驍宗軍に、かろうじて一国の王の軍と呼べるだけの面目を施したのだとは、
皆が知っている。
 本人はそれを言われるたびに、ああでもしないことには、形悪くてのこのこ帰れなか
っただけだ、と面倒そうに言う。だが、西の技術超大国で収めた成功、見込めた莫大な
収益と安穏な生活、範国冬官からの熱心な仕官の誘い。彼女がそれらと引き換えたのは、
弱りきって貧しい極国の冬官長職だった。しかも帰参したからといって、現職復帰でき
る保証などは全くなかった……。
 黙っている李斎に、琅燦はふんと鼻を鳴らした。
「なによ。無理やり私を、いいひとに仕立てないでくれる。そういうのって、すっごく
気色悪くて、むかむかするんだよ」
 李斎は神妙にうなずいた。
「分かりました」
「忘れてもらっちゃ困る。私はあんたと違って、主上のことだってあっさり見捨てて逃
げた人間なんだからね」
 うそぶく琅燦だが、それこそ事実でないことは、誰より本人が承知しているだろう。
 琅燦が国外逃亡を決意したのは、まだ驍宗が死亡したと信じられていたときだ。もし
主が生きている事を知っていたなら、彼女は出奔していまい。そしておそらく、いま生
きてここにはいないことだろう。
 それを思うたび、琅燦が知らずに国を出られた事を、李斎は心から天に感謝した。
 あの鳴蝕の翌日、主上が死んだと聞かされた日に、その報告を受けた議堂から出たと
ころで、李斎は琅燦と会っている。日頃の琅燦からは想像もつかない様子であったこと
を、李斎はけっして口にはしないが、覚えていた。
 いつも李斎のことを――実際にうんと年下とはいえ――子供のようにあしらっては
ばからない彼女が、細い体を震わせて子供のように頼りなげだった。
 彼女の落胆と絶望ぶりは痛ましいほどで、実際誰よりも長かった。表面は皮肉に包ん
で顎をいつもどおりそびやかし、徹夜仕事の常であると言い訳していたが、赤く腫れ上
がった目は毎日隠しようもなく、ついには、巌趙が言ったものである。
『本当言うと、琅燦のやつをうらやましいとさえ思っていた。男はそういつまでも泣け
んから。だが、もう見ておれん。親をなくした子供のようで見てる方がたまらん。俺が、
話してくる』……
 見た目に似合わず、優しいところのある左将軍は、頭脳明晰で弁の立つ朋輩をどちら
かといえば煙たがっていたにもかかわらず、その日、酒を抱えて大司空官邸を訪問した
らしい。
 自分こそが、主に死なれたというより、実の弟を失ったかのように悲しんでいた彼の
訪問を受けてからのち、琅燦は少しずつだが、立ち直っていった。
 その巌趙も、いまはいない。

 二人の話は、ふたたび食べものに戻っていた。仕事を抜けてきた冬官長と新米の后妃
は、冬日の射す正寝の一室で、時折笑い声を立てて、朗らかにしゃべり続けた。
 当時をふりかえり、思い出を語らうには、時が必要だということを李斎も琅燦も分か
っている。彼らを懐かしく思い起こすには、傷はまだ、あまりに生々しかった。










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