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うろほろぞ
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 短い日はとうに落ち、いつものように長楽殿の長い廊下の角にもささやかな灯りが点
されていた。暖房(かん)の入った明るい室内では、たったいま食事が始まったところ
である。仁重殿から台輔泰麒が訪れ、李斎と二人で、食膳を囲んでいるのだ。
「…広徳殿で報告を聞いてる最中に、突然汕子が戻ってきたものだから、何事かと仰天
しちゃいましたけれどね」
 すみません、と恐縮して李斎は、夫の使いで騒がせたことを詫びた。泰麒は、ちっと
もと、朗らかに答える。
 驍宗は、結局、食事に間に合うようには戻られなかった。
 県城で、陳情にやって来ていた地方の官から、是非にと乞われ、予定にはなかった郷
の視察が加わったのだという。
「遅れても夕食はご一緒なさると、仰ったんですって?主上、ただでお約束を破るなん
て、お出来にならなかったんだな。おかげで僕は、こうして后妃にお相伴させて頂けて、
すごく嬉しいですよ」
 どうかその呼び方は…、と給仕する女官に聞こえないくらいに小さい声で李斎が言う。
泰麒は笑い、李斎だって台輔って呼ぶじゃないの、と、こちらも小声に返した。
 李斎は、主上が彼に下された字(あざな)の「蒿里」を使うのが、苦手である。せい
ぜい「泰麒」がやっとだ。だが泰麒にしても、后妃になった李斎から敬称を使われると、
どうも落ち着かない。王の家族とは、確かに身分では麒麟より下位だが、礼儀としては
同等で、心象的にはしばしば、上なのだ。

「…それはそうと、汕子は、気を悪くしなかったでしょうか」
「汕子が?どうしてです」
「台輔のもとへのお使いというのならば、使令も納得しましょう。ですが、わたくしの
ところにまで…それも夕餉のことなどで」
 ふたりに伝言を伝えて、汕子は、再び驍宗のところへ戻っていた。
 クク、と、少し悪意を感じさせる低い笑いが、どこからともなく――さしずめ足元の
床の中から――起こる。控えている女官らには聞こえず、二人だけに聞かせた声だ。
 ――主上の御命令です。我等へのお気遣いは、何卒御無用に。
 床の中から、傲濫の重低音の声が李斎に告げると、それきり沈黙した。
 王后にはかように、使令ですら、麒麟の意を汲んで相応の敬意を払うのだ。ただ、女
怪となるとやや事情は異なる。それが、先の笑いの意味なのだ。泰麒は考えながら、自
分の大事な乳母について説明した。
「女怪って、ひととは違いますし、あまりこう思われようとかっていうのが、ないみた
いなんです。汕子の場合、主上にも、愛想よいとはいえないくらいだし…。でも、汕子
は李斎のことを、認めていますよ。僕を蓬莱から助けてくれて、自分たちのことも助け
てくれたのが李斎だってこと、よく、分かっているんです」
「まぁ。そのような」
 李斎はすっかり恐縮した。実際に救出したのは他国の王と麒麟たちなのに…。
 泰麒は微笑む。
「それに、彼らが蓬山預かりになっている間、誰が僕の側にいて、守ってくれたのかっ
ていうことも」
 慕わしい笑顔で言われ、李斎も懐かしい思いで笑みを返した。
 さほど長い期間ではなかったが、たった二人で、旅をした。この地上に、恃(たの)
みといえば、ただお互いだけしかいない日々を、支えあった。
 辛い旅であったのだが、とても懐かしく思い返される。
 泰麒はちょっとはにかんで下を向き、それから指先で鼻をこすると、笑った。
 運ばれてきたあんかけの蒸し物が、二人の間で、おいしそうに湯気を立てた。



 楽しい夕べは瞬く間に過ぎ、泰麒が自分の宮殿に戻る時間が来た。
 李斎は名残惜しそうに立って行き、仁重殿までその上衣では寒くないだろうか、と案
じた。途中、隧道も抜けるし、たいして時間はかからないと答えたが、結局は外套を持
たされた。
「本当に今夜は冷えますから、お気をつけ下さいね」
 はい、と素直に礼を言う。いよいよ暇(いとま)を告げようとしたときに、李斎が台
輔、と呼びかけ、ためらうように口を開いた。
「わたくしからお願いするのは、出過ぎたことかも知れませんが…」
 泰麒には、李斎の言おうとすることの見当がついた。李斎は心を決めたように、まっ
すぐ頭を上げると、泰麒を見つめた。
「やはり、また昔のように、こちらにお住まいになられませんか」
「李斎。主上にも申し上げたように僕は…」
「主上は、家族がほしくていらっしゃるのです」
「…」
「昔、お小さかった泰麒に、この正殿からすぐの、あの宮を御用意なさったのも、本当
は御自分のためでいらしたのではないかと」
 泰麒は笑んだ。それは、ありそうなことに思えた。いまの泰麒はあの頃よりも、驍宗
の愛情を、よく分かっている。
「泰麒。主上は泰麒に、側にいらしてほしいのですよ。それは、わたくしもです。こち
らにお越し下されば、どれほど嬉しいことでしょう。正寝にお住まい下さり、このよう
にたまにではなく、三人で毎日、食卓を囲んで暮らすのは、よいことだとは、思われま
せんか」
 泰麒は困った顔をした。驍宗の勧めよりも、李斎の方が、断りにくい。
 だが、泰麒は知っている。主上と彼女は、彼が同席すると、二人とも泰麒の方ばかり
向いてしゃべるのだ。どうしてもそうなる。せめて新婚の間だけでも、その事態はご遠
慮申し上げたい。それに、いまの一人暮らしも、割と気楽で捨てがたいから、しばらく
は続けたいのも本音。それと。こっちは、説明しといたほうがいいかな。
「…ええと。知ってるでしょう。主上は昔から、僕の扱いが李斎ほどは上手じゃありま
せん。ずいぶんがんばって見習って下さいました。でも時々子供扱いしすぎて、僕を不
満がらせもしてた。いまだって、そうなんです。扱いに困ると、すぐ昔のように接しよ
うとなさる。で、僕はいま、当時よりもっと幼くないですから、まいっちゃうんですよ」
 無言の李斎の顔に、泰麒は笑みかけた。
「そんな顔しないで。心配かけてるみたいですが、主上と僕は、上手くいってないって
わけじゃないから。そりゃちょっと意見が食い違うこともあるけど、僕が大きくなった
んだから、当然です。小さいときは、意見なんて持ってなかったんだもの」
 李斎はちょっと笑んで、頷いた。彼女の漠然とした気がかりが、泰麒の口からあっさ
り語られて、安堵したのだ。
「子供の頃、主上のことを怖がってたけれど、それでもとても好きでした。今だって同
じです。ただ、あの頃は、僕らはちょっとした父子家庭みたいなもんだったし、それを
僕がいきなりこんなに大きくなったとこから、また始めるんだから、慣れるまで、少し
距離とって時間をかけるのは、お互いのためにいいんですよ。ほら、普通の家でも、大
きくなった男の子なんて、男親とそんなに、仲良しこよしじゃあないもんでしょう」
 李斎は、自分は姉妹しか知らないので、よく分からないが、ともぐもぐ言った。
「では…、いつかは、いらして頂けますか」
 泰麒はちょっと口をつぐんだ。
「驍宗様のご家族は李斎ですよ」
「……」
 にべもない言ではぐらかされ、李斎は返事に窮した。泰麒はまずかった、と反省し、
慌てたので、つい本音ののぞく言い訳をした。
「だって。そもそも僕は、主上と親子ではないんですよ。僕は、…驍宗様の麒麟にすぎ
ません」
 李斎は驚いたように瞬き、意外な言葉をもらした。
「ずいぶんと可笑しなふうにお考えになるのですね。親と子とは、やがて別れ行かざる
をえないもの、別れることのない驍宗様と泰麒の方が、はるかに深い縁(えにし)で、
結ばれておられるのではありませんか」
「……」
 泰麒は黙った。
 確かに、親子間に遺伝上の繋がりがない、水よりも濃い血の縁というもののないこの
世界の観念ならば、李斎の言うように、子であるよりも麒麟であることは、縁(えん)
の上では勝るということになるのかも。――そうなのか…。
 思いがけず腑に落ちた泰麒を、李斎は重ねて説いた。
「家庭には、やはり子のあったほうがよろしいものでございましょう。不遜は承知でお
願い申します。畏れながら、この李斎に、台輔のお母様の役まわりを、させていただく
というわけには、参りませんか」
 あ、やばい。泰麒は、我に返った。このままいくと、説得されてしまう。
「僕では、お二人のお子様役には、ちょっともう大きすぎない?どうせなら、お二人が
――、」
 李斎は首を傾け、泰麒は口を引き結んだ。
「?…台輔」
 ややあって、泰麒はわかりました、と呟いた。
「すぐは無理だと思いますけど、いや、無理だけど――でも、そのうちに、考えてみま
すから」
 李斎の顔が輝いた。お約束ですよ、と朗らかな声が送り出す。



 ―――本当に、二人にお子があるのが、一番いいんだろうにな――。
 雲の合間から、冬の凍った星がまたたき、仁重殿への帰り道を照らす。
 泰麒は足を止めて夜空を仰ぎ、外套の襟を立てた。
 彼らに子が生(な)らない以上、いずれおさまるところにおさまり、自分はあの二人
の間で、なさぬ仲の息子役をやってることになるんだろうか…。近くに住んで、三人で、
朝晩一緒に食事をして、二人からちょっとうるさく世話を焼かれたり、親ぶって多少の
小言をくらったりも、しながら。……。
 ――しょうがないかなぁ…。

 泰麒は肩を竦めて白い息を吐き出し、また歩き始めた。
 してみた態度とは裏腹にその足取りは結構軽く、元気がよかった。やがて、陰伏して
従う傲濫の耳には、主の鼻歌が聞こえてきた。
 明るく速い蓬莱の旋律は、星明りの道を、仁重殿の方へと下っていった。












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