「耳に残るは・・・」
灰白色をした空の下、眼前に広がる色彩は白。唸りを上げて吹く風に煽られた雪が舞い上がり、煙る。
耳を切り裂くように強く吹き付ける風以外立てる音もなく、どこまでも果てない「白い静寂」が支配するこの大地。驍宗は正面を見据えたまま微動だにせず、また李斎も彼から一歩距離を置いた位置に控え、その横顔を見つめていた。
彼の、挑むような険しさを。
二人、見ているものは同じ。だが、感じるものもそうかと問われれば、否。
驍宗のいつにない険しさの先に、李斎は彼の堅い決意を見た。
この少し前、二人は鴻基からやや外れた所にある侘しい廬にいた。
止むことなく降り続ける雪の重みに耐え切れず、倒壊した家屋を多く出したこの廬で、住む家を失った人々は唯一崩れずに残った小さな家の中で凍える身体を互いに温め合うように身を寄せあっていた。だが、その家の屋根も柱も、きしんだ音を立てている。ここもいつまで持つか分からない。
細く降る雪でも、長きに渡れば住む家も、人の命をも奪う。降りしきる雪は音もなく、閉ざされた沈黙の中、じわりじわりと襲い掛かる不安と飢え。それらを目の前にして、彼らはあまりにも無力だった。
震えは、寒さからくるものだけではない。いつ失われるとも分からない己の生命への怯えと絶望・・・心の震えが身体の震えとなって、見る側にはそれが痛いほど伝わる。
李斎の胸には針で刺すような鋭い痛みが走った。
否応なしに見せ付けられる――戴という国の、真実の姿を。
震えながら、それでも生きることへの執着から身を寄せ合う輪の中に、一人の老翁がいた。
彼が震える唇から漏らした呟き・・・誰に向けられたとも思えぬその呟きを、李斎は確かに耳にした。
傍らに膝をつき、老翁と向き合う驍宗もまた、うめき声にも似た声を聞いただろう。
――王が立っても、これだ。
王を得てもなお、戴の冬は今年もその厳しさを和らげるでもなく、疲れきった民の肩には、降り積もる雪の重み以上にのしかかる苦しみがあった。春になれば溶ける雪とは違い、負った苦しみはそう簡単に消え去るものではない。春は新しい生命が芽吹く季節だが、失われた人の生命はもう二度と戻ることはないのだから。
それでも、新たな王が現われることを待ち焦がれた民の瞳には希望の色が宿り、その希望は期待となって王へと向けられる――筈だった。
――これは何だ。
痩せこけた身体の、だが目だけは爛々と輝き、大きく見開いた老翁は目の前で膝をつく質素な身なりの男に向かって、吐き捨てるように言った。
「王が立てば豊かになるのではなかったのか――なのに、これは何だ」
この老人は知らないのだ。彼らの目の前で膝をつくこの男こそが待ち望んだ王なのだと。 無論、それを言った所で彼らが信じるとは思えないし、一笑に伏されて終わるだろうが。
だが驍宗は、向けられた老人の視線を逸らすことなく、
「――この冬もまた、辛いだろうな」
王が立ったからといって、例外はない。戴は十二ある国の中でもっとも冬が厳しい国。十年も続いた空位の時代は確実に国を、民を疲弊させた。それが分かる驍宗だけに、問いに対して彼らが黙って首を縦に振る姿を、向けられた眼差しを、真正面から受け止めていた。
「家を失い、家族を失い――その苦しみと嘆きの深さは筆舌に尽くし難いだろうが・・・」
「・・・この辛さが、お前達に解るものか!」
驍宗の言葉に対し、食ってかかるように語気を荒げた男はまだ若い。その傍らには赤子を抱きかかえた若い女。その男も、女も、赤子も・・・皆、痩せこけていた。
「解るかと問われて、解る・・・と言い切れる、自信はないな」
王宮から遣わされた者だと名乗った驍宗には、苦笑に似た笑みを浮かべながらも、そう答える他ない。李斎もまた同じように思った。
家を失う苦しみも、寒さと飢えに対する怯えも、仙である自分達には解らない。過去にそれらを経験したとことがあったとしても、いまの李斎たちには感覚的に遠い。
だが、彼らが苦しむ姿を見れば胸が痛む。事実、李斎は彼らのそんな姿にきりきりと胸が締め付けられ、息をすることでさえ苦しい程に。
「あたしたちは、ただ穏やかで、暖かい暮らしがしたいだけ。それ以上なんて望んでいない」
腕に抱きかかえた赤子の小さな身体を護るように抱きしめながら、腹の底から搾り出すように若い女は言った。
李斎たちが運んだ食料も、炭も、衣服も、全ては彼らがこの冬を乗り切るためのもの。だが彼らの眼差しは、この冬のずっと先を見つめていた。
老翁も、男も、その妻も――全ての者が「生きたい」と望んでいる。
こけた頬に乾いた唇。肉がそぎ落とされた痛々しい身体に、浮かび上がった骨が痛々しい。
だが、瞳の光だけは決して失われはしない。やつれた身体に、それでも瞳に宿る力強い光。
それこそが彼らの「生きていたい」という訴えに他ならない・・・李斎はそう感じた。そして李斎が感じる以上に、驍宗も感じている。
彼はそういう男だから。そのために自ら昇山し、泰麒に選ばれたのだから。
だから、彼らの「願い」も「想い」も、王の耳に届いている。そう言ってやりたい衝動を、ぐっと李斎は堪えた。
・・・その代わり。
「その苦しみも、願いも、王はきっと聞き届けてくれるだろう」
それだけを言い、立ち上がった驍宗は、男の腕に抱えられた赤子の柔らかな髪をそっと撫で、扉に向かって歩いていった。
その後を追うように立ち上がった李斎は、扉から差し込む雪に照り返された光によって一瞬その視界を遮られた。逆光で表情は見えなかったが、
「私はお前達を決して裏切らない・・・・それだけは約束する」
その言葉が彼らの耳に届いた時、薄い板戸は音を立てて閉じられた。
「・・・そろそろ、戻られませんか?」
沈黙が耐えられなかった訳ではないが、ただ黙って眼下に広がる景色を眺めていた驍宗に、李斎からそう声を掛けた。部下は先に戻らせ、今は驍宗と李斎だけが小高い丘の上から貧しい廬を眺めている。
白い雪の合間から僅かに見えるのはまばらに点在する家屋の屋根だけで、屋根からは立ち上る煮炊きの煙も見えない。家屋の前に伸びる細い道には人の足跡もなく、あるのは山から点点と続く獣の、恐らくは鹿や兎の類の小さな足跡だけだった。
「・・・これが現実だな、李斎」
そう呟く驍宗の声があまりにも淡々としていたことに李斎は戸惑った。
「戴の冬は長く、そして厳しい。賢帝が立っても雪が降らぬ年などない。・・・戴はそういう国だ」
「戴が豊かになれば、民も豊かになります。そうすれば冬を乗り切ることも容易にできましょう」
当たり前過ぎた答えだったが、李斎は敢えてそれを口にした。その意味が解らぬ驍宗ではないだろうし、恐らく彼自身が一番それを理解しているだろうから。
「穏やかで暖かな暮らしを・・・せめてあの赤子に物心がつく頃までには、させてやりたいものだな」
掌には撫ぜた赤子の柔らかな髪の感触が残り、耳の奥には女の言葉が残っているのだろうか。挑むように前を見据えていた赤い瞳をそっと閉じて、傍らに繋いだ計都の艶やかな白い毛並みをゆっくりと撫でた。
「主上ならば、できます」
李斎の確信にも似た言葉に、驍宗は答えなかった――代わりに、唇の端に薄い微笑を一瞬浮かべ、閉ざされた瞼の下から再び煌々と輝く赤い瞳が現われた。
「あの者たちに誓った言葉を、決して忘れはしない」
白く染められた大地を、赤い双眸が挑むように見つめていた・・・王の顔で。
そして李斎にゆっくりと向き直り
「国が豊かになったら、もう一度・・・二人でここを訪れてみないか、李斎?」
雪に照らされた光で、その表情は見えなかったが、その言葉と、その言葉が意味する決意と、優しい響きを、李斎は一生忘れることが出来ないだろうと思った。
「―― 喜んで、お供させていただきます」
そう言って微笑んだ自分を、驍宗は覚えていてくれただろうか――?
そして再び、李斎はこの地に立った。
かつて訪れた廬は既に無く、僅かに残る朽ちた家の残骸と、途切れ途切れに続く荒れ果てた道が、過去に人が暮らしていたことを残すのみ。あの時身を寄せ合っていた者達の消息など、ここには知る者もいないだろう。
驍宗が険しい横顔でこの景色を見つめていた場所――その場所にいま立つのは、痛々しいほど白い首を晒し、憂いの横顔でこの大地を見つめる少年。
嘆きと憂いを帯びた少年の黒い瞳に映るものは、彼の主と同じものか・・・それとも。
眼下に広がる荒れ果てた大地を見つめる横顔に、懐かしさが込み上げる。かつて驍宗と二人、この地に共に立った日のことを、李斎はこの少年の横顔に重ねていた。
――あの約束を忘れたことなど、ない。
それでも、叶うことはないと、どこかで諦めていた自分がいた。―― 彼に再び出会うまでは。
だが、李斎は再びこの地に戻ってきた。あの時共に約束を交わした彼は、いまは側にいないけれど。
もう一度、二人で――そう、彼は誓いを違えたりなどしない。だから、私達はまた再び会うことが出来る。
あの言葉を、その言葉に秘められた決意と、優しい響きを、私は覚えているから。
「・・・そろそろ行きましょうか、李斎」
強い風に黒髪を揺らめかせながら、ゆっくりと振り返った黒い瞳。
その色は違えど、この黒い瞳はかの人の深紅の瞳と同じ光を宿している。
「・・・参りましょう、台輔」
緩く束ねた長い髪が、風に煽られる。その風に、声にならない願いを託す。
・・・願わくば。
願わくば、唸り声を上げながら通り行く風よ。
この声が届くのならば、伝えて欲しい。あの人の元に、届けて欲しい。
貴方がどこにいようとも、必ず私が探し出す――諦めなどしない。
そして再び私達はこの大地に立つ――あの日の誓いのままに。
荒れ果てた大地から音も無く飛び立つ二頭の獣と、その背に跨る二つの影。
「約束の大地」は、次第に遠ざかり・・・やがて小さく、見えなくなっていった。
<終>
灰白色をした空の下、眼前に広がる色彩は白。唸りを上げて吹く風に煽られた雪が舞い上がり、煙る。
耳を切り裂くように強く吹き付ける風以外立てる音もなく、どこまでも果てない「白い静寂」が支配するこの大地。驍宗は正面を見据えたまま微動だにせず、また李斎も彼から一歩距離を置いた位置に控え、その横顔を見つめていた。
彼の、挑むような険しさを。
二人、見ているものは同じ。だが、感じるものもそうかと問われれば、否。
驍宗のいつにない険しさの先に、李斎は彼の堅い決意を見た。
この少し前、二人は鴻基からやや外れた所にある侘しい廬にいた。
止むことなく降り続ける雪の重みに耐え切れず、倒壊した家屋を多く出したこの廬で、住む家を失った人々は唯一崩れずに残った小さな家の中で凍える身体を互いに温め合うように身を寄せあっていた。だが、その家の屋根も柱も、きしんだ音を立てている。ここもいつまで持つか分からない。
細く降る雪でも、長きに渡れば住む家も、人の命をも奪う。降りしきる雪は音もなく、閉ざされた沈黙の中、じわりじわりと襲い掛かる不安と飢え。それらを目の前にして、彼らはあまりにも無力だった。
震えは、寒さからくるものだけではない。いつ失われるとも分からない己の生命への怯えと絶望・・・心の震えが身体の震えとなって、見る側にはそれが痛いほど伝わる。
李斎の胸には針で刺すような鋭い痛みが走った。
否応なしに見せ付けられる――戴という国の、真実の姿を。
震えながら、それでも生きることへの執着から身を寄せ合う輪の中に、一人の老翁がいた。
彼が震える唇から漏らした呟き・・・誰に向けられたとも思えぬその呟きを、李斎は確かに耳にした。
傍らに膝をつき、老翁と向き合う驍宗もまた、うめき声にも似た声を聞いただろう。
――王が立っても、これだ。
王を得てもなお、戴の冬は今年もその厳しさを和らげるでもなく、疲れきった民の肩には、降り積もる雪の重み以上にのしかかる苦しみがあった。春になれば溶ける雪とは違い、負った苦しみはそう簡単に消え去るものではない。春は新しい生命が芽吹く季節だが、失われた人の生命はもう二度と戻ることはないのだから。
それでも、新たな王が現われることを待ち焦がれた民の瞳には希望の色が宿り、その希望は期待となって王へと向けられる――筈だった。
――これは何だ。
痩せこけた身体の、だが目だけは爛々と輝き、大きく見開いた老翁は目の前で膝をつく質素な身なりの男に向かって、吐き捨てるように言った。
「王が立てば豊かになるのではなかったのか――なのに、これは何だ」
この老人は知らないのだ。彼らの目の前で膝をつくこの男こそが待ち望んだ王なのだと。 無論、それを言った所で彼らが信じるとは思えないし、一笑に伏されて終わるだろうが。
だが驍宗は、向けられた老人の視線を逸らすことなく、
「――この冬もまた、辛いだろうな」
王が立ったからといって、例外はない。戴は十二ある国の中でもっとも冬が厳しい国。十年も続いた空位の時代は確実に国を、民を疲弊させた。それが分かる驍宗だけに、問いに対して彼らが黙って首を縦に振る姿を、向けられた眼差しを、真正面から受け止めていた。
「家を失い、家族を失い――その苦しみと嘆きの深さは筆舌に尽くし難いだろうが・・・」
「・・・この辛さが、お前達に解るものか!」
驍宗の言葉に対し、食ってかかるように語気を荒げた男はまだ若い。その傍らには赤子を抱きかかえた若い女。その男も、女も、赤子も・・・皆、痩せこけていた。
「解るかと問われて、解る・・・と言い切れる、自信はないな」
王宮から遣わされた者だと名乗った驍宗には、苦笑に似た笑みを浮かべながらも、そう答える他ない。李斎もまた同じように思った。
家を失う苦しみも、寒さと飢えに対する怯えも、仙である自分達には解らない。過去にそれらを経験したとことがあったとしても、いまの李斎たちには感覚的に遠い。
だが、彼らが苦しむ姿を見れば胸が痛む。事実、李斎は彼らのそんな姿にきりきりと胸が締め付けられ、息をすることでさえ苦しい程に。
「あたしたちは、ただ穏やかで、暖かい暮らしがしたいだけ。それ以上なんて望んでいない」
腕に抱きかかえた赤子の小さな身体を護るように抱きしめながら、腹の底から搾り出すように若い女は言った。
李斎たちが運んだ食料も、炭も、衣服も、全ては彼らがこの冬を乗り切るためのもの。だが彼らの眼差しは、この冬のずっと先を見つめていた。
老翁も、男も、その妻も――全ての者が「生きたい」と望んでいる。
こけた頬に乾いた唇。肉がそぎ落とされた痛々しい身体に、浮かび上がった骨が痛々しい。
だが、瞳の光だけは決して失われはしない。やつれた身体に、それでも瞳に宿る力強い光。
それこそが彼らの「生きていたい」という訴えに他ならない・・・李斎はそう感じた。そして李斎が感じる以上に、驍宗も感じている。
彼はそういう男だから。そのために自ら昇山し、泰麒に選ばれたのだから。
だから、彼らの「願い」も「想い」も、王の耳に届いている。そう言ってやりたい衝動を、ぐっと李斎は堪えた。
・・・その代わり。
「その苦しみも、願いも、王はきっと聞き届けてくれるだろう」
それだけを言い、立ち上がった驍宗は、男の腕に抱えられた赤子の柔らかな髪をそっと撫で、扉に向かって歩いていった。
その後を追うように立ち上がった李斎は、扉から差し込む雪に照り返された光によって一瞬その視界を遮られた。逆光で表情は見えなかったが、
「私はお前達を決して裏切らない・・・・それだけは約束する」
その言葉が彼らの耳に届いた時、薄い板戸は音を立てて閉じられた。
「・・・そろそろ、戻られませんか?」
沈黙が耐えられなかった訳ではないが、ただ黙って眼下に広がる景色を眺めていた驍宗に、李斎からそう声を掛けた。部下は先に戻らせ、今は驍宗と李斎だけが小高い丘の上から貧しい廬を眺めている。
白い雪の合間から僅かに見えるのはまばらに点在する家屋の屋根だけで、屋根からは立ち上る煮炊きの煙も見えない。家屋の前に伸びる細い道には人の足跡もなく、あるのは山から点点と続く獣の、恐らくは鹿や兎の類の小さな足跡だけだった。
「・・・これが現実だな、李斎」
そう呟く驍宗の声があまりにも淡々としていたことに李斎は戸惑った。
「戴の冬は長く、そして厳しい。賢帝が立っても雪が降らぬ年などない。・・・戴はそういう国だ」
「戴が豊かになれば、民も豊かになります。そうすれば冬を乗り切ることも容易にできましょう」
当たり前過ぎた答えだったが、李斎は敢えてそれを口にした。その意味が解らぬ驍宗ではないだろうし、恐らく彼自身が一番それを理解しているだろうから。
「穏やかで暖かな暮らしを・・・せめてあの赤子に物心がつく頃までには、させてやりたいものだな」
掌には撫ぜた赤子の柔らかな髪の感触が残り、耳の奥には女の言葉が残っているのだろうか。挑むように前を見据えていた赤い瞳をそっと閉じて、傍らに繋いだ計都の艶やかな白い毛並みをゆっくりと撫でた。
「主上ならば、できます」
李斎の確信にも似た言葉に、驍宗は答えなかった――代わりに、唇の端に薄い微笑を一瞬浮かべ、閉ざされた瞼の下から再び煌々と輝く赤い瞳が現われた。
「あの者たちに誓った言葉を、決して忘れはしない」
白く染められた大地を、赤い双眸が挑むように見つめていた・・・王の顔で。
そして李斎にゆっくりと向き直り
「国が豊かになったら、もう一度・・・二人でここを訪れてみないか、李斎?」
雪に照らされた光で、その表情は見えなかったが、その言葉と、その言葉が意味する決意と、優しい響きを、李斎は一生忘れることが出来ないだろうと思った。
「―― 喜んで、お供させていただきます」
そう言って微笑んだ自分を、驍宗は覚えていてくれただろうか――?
そして再び、李斎はこの地に立った。
かつて訪れた廬は既に無く、僅かに残る朽ちた家の残骸と、途切れ途切れに続く荒れ果てた道が、過去に人が暮らしていたことを残すのみ。あの時身を寄せ合っていた者達の消息など、ここには知る者もいないだろう。
驍宗が険しい横顔でこの景色を見つめていた場所――その場所にいま立つのは、痛々しいほど白い首を晒し、憂いの横顔でこの大地を見つめる少年。
嘆きと憂いを帯びた少年の黒い瞳に映るものは、彼の主と同じものか・・・それとも。
眼下に広がる荒れ果てた大地を見つめる横顔に、懐かしさが込み上げる。かつて驍宗と二人、この地に共に立った日のことを、李斎はこの少年の横顔に重ねていた。
――あの約束を忘れたことなど、ない。
それでも、叶うことはないと、どこかで諦めていた自分がいた。―― 彼に再び出会うまでは。
だが、李斎は再びこの地に戻ってきた。あの時共に約束を交わした彼は、いまは側にいないけれど。
もう一度、二人で――そう、彼は誓いを違えたりなどしない。だから、私達はまた再び会うことが出来る。
あの言葉を、その言葉に秘められた決意と、優しい響きを、私は覚えているから。
「・・・そろそろ行きましょうか、李斎」
強い風に黒髪を揺らめかせながら、ゆっくりと振り返った黒い瞳。
その色は違えど、この黒い瞳はかの人の深紅の瞳と同じ光を宿している。
「・・・参りましょう、台輔」
緩く束ねた長い髪が、風に煽られる。その風に、声にならない願いを託す。
・・・願わくば。
願わくば、唸り声を上げながら通り行く風よ。
この声が届くのならば、伝えて欲しい。あの人の元に、届けて欲しい。
貴方がどこにいようとも、必ず私が探し出す――諦めなどしない。
そして再び私達はこの大地に立つ――あの日の誓いのままに。
荒れ果てた大地から音も無く飛び立つ二頭の獣と、その背に跨る二つの影。
「約束の大地」は、次第に遠ざかり・・・やがて小さく、見えなくなっていった。
<終>
PR