弱点
今日は選挙があるせいで、見れる番組がないと遥が言い出した。
しかしそれは桐生にも覚えがあることで、選挙なんかに行かないし、政治家が当選を喜ぶ姿を見る趣味もない。
「ビデオ借りに行こうよ。つまんない」
「そうだな。じゃあ行くか」
「ほんならワシ、車出したるわ」
うんざりした。
どこからわいた、ボウフラかと酷い事を考えながら、にこにこと座っている真島を冷ややかな目で見つめる。
「あ、真島のおじさん!来てたんだ!」
遥は嬉しそうに真島に駆け寄った。
玄関が開いているが、鍵は閉めたはずだ。どうやって入ったかと考えたが…そういえば、合鍵が二本あったのだが一本、どこかにいっていた。
この男が持っていたのか。
「…真島の兄さん、組の仕事はいいんですか」
「ああ、舎弟どもにまかせてきたから心配せんでいいよ。ワシの優先順位は桐生ちゃん、遥ちゃん、んで組の仕事やから」
組長の地位を何だと思っているのか。
こんなんでは直ぐに組長の座を若い者に奪われてしまうのでは…だが実際、そんなことは有り得ない。
遥の前では善良な悪党を演じる真島だが、一度組長に戻ると、『狂犬』と呼ばれるほどのイカレっぷりを見せる。
真島組の舎弟たちは、狂犬に噛みつかれることの恐ろしさを身に染みて知っているのだ。
「ほな行こ。はよせぇへんと、遥ちゃんの見たいん無くなるで」
世の中似たような考えが多いから、と真島は指に引っ掛けた車のキーをくるくると回して笑う。
キーホルダーにスポンジのキャラクターのマスコットがついているのが気になったが、やはりそこには我が家の鍵が光っていた。
真島の愛車、ムスタングのその名の通り荒い運転に何度か恐ろしい目にあったが、なんとか三人は無事に近くのレンタルビデオショップについた。
遥は真島のジェットコースターのような運転が気に入ったらしいが、神室町にいたころからこれに付き合っていた桐生は帰りのことを思うだけで憂鬱だ。
「遥ちゃんは何見たいん?やっぱりアニメか?」
「ドラえもんかなぁ…劇場版のやつ」
「そら懐かしいチョイスや」
「あとは、適当に決めるよ」
遥はそう言って子供用の棚の向こうに消えていった。
真島はそれを見送ると…怪しい微笑みで桐生の脇腹をつつく。
「ワシらは、大人のビデオでもみるかいな?」
「…嫌ではじゃないですね」
こそこそとした桐生を見て、子供と同居は大変だと真島は哀れんだ。
自分はまだ子供はいらないと思いつつ…
「ハリウッド系しか借りちゃ駄目だからね」
しっかりと釘を刺しにきた遥に、参ったと肩をすくめた。
「私がいっちば~ん!」
大人二人を押さえ付けた遥は、DVDを入れる。
ビデオを借りに行こうと言ったが、今じゃDVDが主流。しかし今の時代になかなかついていけない桐生のため、遥の言葉にはアナログが入る。
十年の歳月は大きいと感じるのはこういう時だ。
「へへvv友達同士で流行ってるんだよね」
「なんちゅうシリーズや?」
「本当にあった怖い話シリーズ」
無邪気な答えに、桐生は嫌な汗が背中を伝うのを感じた。
いま遥は、なんと言った?
「怖いって評判だから、おじさんたちがいるときじゃないと見れないよ」
「さよか。そりゃあ楽しみやね。なぁ、桐生ちゃん」
「………」
「おじさん?」
真っ青な桐生に二人は顔を見合わせる。
まさか、桐生は以外と…
そう考えると、二人の中に黒いいたずら心が宿る。
「遥ちゃん、ボリューム上げ」
「了解vv」
近所迷惑にならないギリギリの音量まで上げると、真島は桐生を後ろから羽交い締めにした。
桐生は息を飲んで抵抗するが、体勢が悪い。力が入らなかった。
「兄さん!」
「遥ちゃん、知っとるか?こういうモンは怖がりがいてはじめてオモロイんやで」
意地の悪い真島は、遥と共に笑う。
それから一週間、遥が桐生の部屋で寝ることになったのを真島だけが知っていた。
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あなたの側には
夕飯の席で、遥は桐生のお代わりをよそおうと茶碗を受けとり…
桐生の胸元に光ったチェーンに、そっと目をそらした。
チェーンについた、母親の指輪。
あの日から桐生は肌身離さず由美の指輪を身につけていた。
「どうした?」
「えっ!?な、なんでもない!おじさんよく食べるなぁって思って」
これは、あながち嘘の発言ではない。
桐生は遥の作る食事は毎回よく食べた。がっしりした体格は、それなりの栄養のおかげだろう。
「あ?ああ、遥の飯は旨いからな。また腕を上げたんじゃないか?」
「うん、調理実習でも先生に褒められたよ。先生よりも上手くできてるって」
「そうか。それは凄いな」
遥が褒められたことは、父親がわりの桐生にとっても嬉しいことだ。
嬉しそうに頭を撫でてくれる桐生が、遥も嬉しい。
けれど、そのたびに光るチェーンが遥の胸を痛ませた。
(お母さん…)
桐生のただ一人の、想い人。
そして遥の母親。
(おじさんはお母さんがずっと好きで、お母さんは死ぬまでおじさんが好きだった)
(それはこれからも変わらない事実)
(でも…敵わないよね)
この想いがひと欠片だって溢れないように、山盛りの茶碗を笑顔で差し出す。
「おじさんは成長期だもんね」
「馬鹿、それはお前だろ」
(あなたは私の、ただ一人の想い人)
(だから)
せめて、暖かな食卓をあなたに。
はからずも
「おじさん、あーん」
差し出されたものに、桐生は素直に口を開けることはしなかった。
町角の、小さな喫茶店。二人は買い物ついでに、ちょっとお茶でも…とやってきたのだが。
「遥、俺にそれはないだろう?」
細長いパフェ用スプーンにすくわれた、甘い甘い生クリーム。その上には大きな苺がのっている。遥が注文したパフェの天辺にのっていたものだ。
女の子が天辺の苺を差し出すという行為。
その意味を四十に近い男が理解するはずもなく。
「甘いものは苦手なんだ」
お前が食べろ。そう言ってにこりと笑った。
もちろん意図をまったく汲み取ってくれない桐生に遥は頬を膨らませるが、極道上がりに理解しろというほうが無理だ。
それに、おとなしく『あーん』とやらをやる桐生は気持ち悪い。
遥も想像して諦めた。
「ねぇ、スーパーのタイムサービスまで、まだ時間あるよね」
「そうだな」
最近主婦じみてきたな…と桐生は微妙な気持ちだ。
子供らしく何も考えないでいいのに、家事の苦手な桐生の為に学校へ行きながら家事全般を担ってくれている。
人間的な生活をおくれているのも、遥があってのことだ。
「じゃあさ、ゲームセンターに寄ってもいい?」
「ああ、いいぞ」
「やったー!プリクラ撮ろうね!」
「…あれは苦手だ」
「駄目だよ。友達におじさんとのプリクラを見せるって約束したんだから」
仕方ない…桐生は黙って頷く。
遥は嬉しそうに笑うと、ジャンボパフェを掻き込み始める。
急がなくても桐生は待っててくれるのだが…直ぐに行きたい遥は猛スピードで器を空にして一息つく。
それを微笑ましく見ていた桐生は不意に手を伸ばし…
「付いてるぞ」
ひょい、と頬に付いていたクリームをすくいとり口に入れた。
甘さに顔をしかめる桐生に、事の重大さに真っ赤になる遥。
「さ、行くか」
何もわかっていない桐生はジャケットを肩にかけ、席を立つ。
遥の顔の熱りは、プリクラを撮るまでにとれるだろうか。
深夜の喧嘩
気がつけば、遥が布団の中に入っていた。
妙に暖かいと思うのも無理のない。子供というのは体温が高いから、三十も過ぎ、冬の夜は冷える桐生にとって有難い湯たんぽだった。
これ幸いと遥を懐に入れれば、うにゅうにゅと寝言を言ってしがみついてくる。
(警戒心というものがないのか、こいつは)
九歳の子供に警戒されても困るのだが、この間の100憶事件の後だというのにまるで動じた様子がない。
普通なら、トラウマになっていてもおかしくはないというのに。
(……ん?)
おとなしく湯たんぽになっていた遥が、身動きする。
そして、ぱちりと目が開いた。
「………」
抱き締められている事実に、遥は寝惚けた顔で桐生の頬を叩いた。力が込もっているわけではないが、離せという意味だ。
「……おじさん、冷たい」
「遥が入ってきたんだろうが」
「でも、冷たい」
「なら自分の布団で寝ろよ」
その一言に、遥は黙って布団の中に潜り込んだ。
離れたくは、ないらしい。
桐生は大笑いしそうになるのを抑え、布団の中の遥をぽんぽんと叩いた。
「湯たんぽ役、ご苦労」
言うのと、遥が桐生のむこう脛を蹴り上げるのはほぼ同時の事だった。
大好きやから
『お…おじさん…』
遥からの電話にでてみれば、異常なまでに震えた声に桐生は凍りついた。
「どうした!遥!」
『あのね…きゃっ!!』
「遥!!」
争うような音の後、ぶつりと切れた。
まさか誘拐されて、なんとか逃げだし自分に助けを求めて電話をしたところで…見つかったのか。
こんな物騒な時代。一人で買い物なんかに行かせたせいで…
桐生はいましがたかかってきた番号に、震える指でかけ直す。
大事なものを全て失った自分の生きる意味は、遥が持っている。
遥がいなくなれば桐生の世界は崩壊するのだ。
数コールの呼び出し。そして、繋がった。
「遥!?」
だが、聞こえたのは考えもしなかった…むしろ、二度と関わりたくなかった男の声だった。
『桐生ちゃん、久しぶりやなぁ~vv』
「真島の兄さん!な、なんで!」
まさか、と反射的に電源をきりそうになって、真島と遥が一緒にいることを思い出した。
「遥に何をしたんです」
『嫌やわ、桐生ちゃん何勘違いしてんの。桐生ちゃんの可愛い可愛い遥ちゃんを、送ってあげとるだけやん』
「…送ってる?」
『そや。おお、着いた着いた』
同時に、家の前に車が止まる音がした。ドアが開く乱暴な音と『桐生ちゃ~ん!あ~け~て~!』と、真島の声がする。
桐生は用心のために持っていた古ドスを持ち、玄関へ向かった。
ゆっくりとドアを開け…
「桐生ちゃんや~!ほんまもんや~!」
突進してくる真島を避けきれず、抱きつかれた。
「会いたかったで~!」
「ちょっ…!は、離して下さい!」
「嫌や!遥ちゃんといい桐生ちゃんといい直ぐワシから逃げる!」
真島は後ろの遥を見て、すねる。
「遥ちゃん、偶然そこで会ったんやけど声かけたとたん逃げ出したんやで?傷つくわ」
「だって…おじさんを殺しに…」
「まさか!ワシは桐生ちゃんに会いにきただけや」
「そうなの?」
真島は頷いて桐生から離れた。
車からビニール袋を引っ張り出し、遥に渡す。
「土産やで。まぁそこらへんで売っとる煎餅やけど」
ここがお二人さんの家かいな。真島はうきうきと上がり込んでいった。
まんまと上がり込んだ真島は、遥を膝の上に乗せて居間に陣取った。
遥は緊張にこわばり、桐生は人質をとられている気分で落ち着けない。
事実、真島は可愛がるというよりもそういう意味で遥をだっこしているのだが。
「桐生ちゃん、ええかげんにドス、置いてくれへん?わし桐生ちゃんと殺りあいできるって、期待してまう」
こんな所で暴れられたらかなわない。桐生は素早くドスをしまった。
「それで…本当は何の用できたんです?」
「だ~から~、遊びにきただけやて。可愛い弟分に会いにきただけやん」
「………」
「嫌やわぁ、信じてくれへんの?」
黙り込む桐生に、遥が補足する。
「バッティングセンターに桃源郷」
あの後では、警戒するのが当たり前。
そう遥に教えられ、真島はがははと高笑いする。
遥を離し、頭をぐりぐりと撫でた。
「そんなこともあったなぁ。あんときはすまんかった、嬢ちゃん。許したってぇな」
遥は少なくとも、今は優しいおじさんの真島に首を傾げて…いいよ、と笑った。
「遥ちゃんはええ子やなぁ。こんな子もって、桐生ちゃんは幸せもんや」
「…まぁ」
桐生はしぶしぶ頷いて、遥は頬を染める。
真島はあらあらと、更に大きく笑った。
夜、
おびただしい量の酒を持ってきていた真島によって、桐生はかなりのハイペースで酒を飲むはめになった。
本来なら止めに入る遥だったが、いつの間にか真島になついてしまい…
「今日は泊まっていってね!真島のおじさん!」
と、上機嫌に言った。
「ええんか?…ほな、お礼にサービスやで」
どこからか取り出したのは、一冊のアルバム。
現像に出せばついてくる安っぽい代物だが、デジカメ時代によって絶滅寸前の代物でもある。
「これは?」
「桐生ちゃんの若かりし頃の写真vv」
「兄さん!?」
なぜ真島がそんなものを。
焦った桐生がアルバムを奪おうとするが、先に遥に取られてしまう。
「あはは!おじさんが若い!」
見慣れた白スーツではない、スカジャン姿の桐生に遥は爆笑する。
「まだあるで」
「見たい見たい!」
盛り上がる二人を見て、厄介な相手が遥を手なずけたと桐生は頭が痛くなるのを感じた。
これから先、真島は我が家の常連になりそうだ…と。