サンタの憂鬱
クリスマスソングが町中に溢れかえる季節。
聞いているだけで楽しい気分になるようで、鼻唄まじりに商店街を歩いていた。
桐生はクリスマスが好きだった。
大事な人たちとの、色あせない思い出。それがじんわりと心を暖める。
「もうすぐ、クリスマスだもんな」
ツリーも買って、飾りつけは遥とやった。リースは伊達が沙耶が作ったんだと、眉を下げながら持ってきた。真島は真島でトナカイのイルミネーションを持ってきて…桐生の家は必要以上にクリスマスのムードに満ちている。
「あとは…遥のプレゼントか」
今日商店街に来たのも、遥のプレゼントを選ぶため。
さすがに三年生にもなるとサンタクロースを信じているわけも無いだろうし…何か喜ぶ物を自分名義でプレゼントしなくては。
女の子だから、服かバッグか…どちらがいいだろう?
桐生がそう考えながらショウウインドウを覗いていると、
「遥?」
ショウウインドウに、遥が映った。
赤いランドセルを揺らして歩く遥に桐生は声を掛けようとしたが…しょんぼりと肩を落とした様子に声を掛けるタイミングが分からない。
どうしたのだろう。
学校でいじめられたのか?
もしそうなら学校に殴り込みをかけるのに…と、少々危ない考えが桐生の頭をかすめる。
だが、そんな桐生に遥の方が先に気づいた。
「おじさん!」
ぱたぱたと走ってくる遥の顔は深刻で、桐生は身構える。
「おじさん…」
「どうした」
遥はぎゅっと桐生のコートを握り締め、深刻な声で言った。
「サンタって、いるよね?」
「は?」
聞かれたそれに、桐生は思わず間の抜けた声を上げてしまう。
遥は悔しそうに唇を噛みしめた。
「クラスの男の子たちが、サンタなんていないって言ってたの。あれは親がサンタの振り、してるだけだって。ほんとはいるよね?サンタクロース」
まさか、と桐生は遥の目を見つめた。
澄みきった遥の目には嘘は見当たらず…純粋な疑問だけがあった。
「ヒマワリにいた時は枕元にプレゼントが置かれてあったもん」
そういえば、自分がヒマワリにいたときもプレゼントが枕元にあった気がする。
クリスマス前には、サンタクロース当てに手紙も書いた。
しかし、それもヒマワリの大人たちがしていると幼かった桐生は知っていた。
錦山も由美も…わかっていて、サンタに手紙を書いていたのだ。
クリスマスの遊び…それが、桐生たちにとってのサンタクロースのイメージで。
(遥はそれを信じてたのか…)
予想外の事実に、桐生は頭を悩ませる。
本当の事を言うべきか…それともそうだな、と肯定すべきか。
親が困る子供の質問ベスト3に入る質問にぶち当たるなんて、桐生の人生に一度もなかった事だ。
「おじさん!」
「あ、ああ…んーそうだな」
「やっぱりいないの?」
遥の目がうるむ。
桐生の答えが決まった。
「いる!いるに決まってるだろ。な?」
「そうだよね!良かったぁ…おじさんにいないって言われたらどうしようと思ってたよ」
遥の安心しきった表情に…桐生はどうしたものかと、心の中でため息をついていた。
夜、場末の屋台に愚痴を肴に飲む駄目な大人が集まって酒をくみかわしていた。
「ほう…お前も父親としての壁にぶつかったか」
「俺ぁこういうのは苦手なんだ。どうしたもんか…」
「俺に聞くな。俺だって苦手なんだよ。だから家族にも逃げられたんだ」
「…それ笑えねぇ」
まるで参考にならない伊達の話。桐生はこんな大人ばかりで遥の人格形成に悪影響が出ないか、心配になってくる。
そして最大の悪影響を与える大人、真島は駄目な親父二人組を見てケラケラと笑っていた。
「桐生ちゃんもハローワークも、情けないなぁ。ほんま見てておもろいわ」
伊達の事をハローワークと呼び始めて、もう随分たつ。
最初は烈火の如く怒っていた伊達だが、真島が止めないのでもう放置している。機嫌が悪い時は、まぁカチンとくるが。
「ようは桐生ちゃんがサンタの振りすればええだけやん。遥ちゃんが寝た頃、枕元にプレゼントを置く。それだけやん」
簡単簡単、とおでんをつつく真島に桐生は首を振る。
「俺も最初はそう思ってたんです。だけど…遥、サンタへの手紙を見せてくれないんですよ」
あの後、桐生は遥に手紙を書くよう勧めた。
しかし遥はうんと頷いたものの、書いた手紙を引き出しの奥…しかも鍵のかかる引き出しにしまってしまった。
そのせいで遥がサンタに何をお願いしたのか、桐生は知る事ができない。
「そら…桐生ちゃんを警戒しとんのやろなぁ?」
真島の言葉に、伊達も同意する。
「ありがちだな。信じられなくなりかける年頃になると、親から手紙を隠してサンタが本当にいるのか知ろうとする。もしお願いと違うプレゼントだったら…来年からサンタを信じなくなるぞ」
「責任重大やなぁ!桐生ちゃん!」
バシバシと背中を叩かれ、桐生は泣きたくなった。
言われなくても伊達の説明を聞いて、責任の重大さにおののいていたのに。
「子供の頃の思い出は、今後の人格形成に深く作用するってどっかの教育研究者が言ってたな」
「ああ、サンタなんかはいい例とちゃうか?遥ちゃんは純粋やからなぁ~v」
「桐生に対する信頼もかかってくるし」
「失敗したら嫌われたりするかもなぁ」
普段仲が悪いくせに、二人はタッグを組んで桐生を不安にさせる。
酒の味がいつも以上に苦く感じる桐生は、今日何度目になるか分からないため息をついた。
相談に来たのに、薄情な連中だ。
「もういい…自分で何とかする!」
「いいのか?なぁ、真島?」
「桐生ちゃんが頼むんやったら、ワシらも手ぇ貸すねんけどなぁ?」
にんまりと笑う二人に…桐生は財布の中を確認する。
断るという判断は、下せそうになかった。
「……今夜は奢れば、いいんだろ」
二人はにんまりとしたまま頷いた。
次の日、伊達は学校から帰ってきた遥を連れて映画を見に行った。
話題の映画で、遥も行きたがっていたため直ぐに承諾し、家には桐生だけが残る。
そして二人が出ていったところで、真島がやってきた。
「例のブツや。在庫があって良かったわ」
布にくるまれた何本もの細い棒に、桐生は苦笑いするしかなかった。
伊達がこの場にいれば、どれだけ激しい喧嘩が始まっただろう。
本物のピッキング道具を前にして、桐生は思った。
「入ってきたばっかの頃、おもろそうやからいろんな鍵相手に試してん。机程度の鍵やったら十秒で開けられんで」
自慢できた事ではないが…頼んだ以上、真島のやり方に従うほかない。
ずるい事は…自覚している。
自己嫌悪にさいなまれている間に、真島は鍵を開けてしまう。
本当に遊んだだけか…桐生はもう、何も考えないでおくことにした。
「ただいま~!あ、真島のおじさん来てたんだ!」
映画のパンフを抱えて帰ってきた遥は真島の姿を見つけると、蛇皮のジャケットにしがみつく。
下手をすると桐生以上になついて見える遥に、後ろから着いてきていた伊達は微妙な気持ちだ。
「帰ったぞ」
「ありがとうな、伊達さん。遥、映画は楽しかったか?」
「うん!ポップコーンとコーラも買って貰っちゃった」
映画代やパンフ代と合わせると、伊達に渡しておいた金より多い。
桐生は財布を出そうとしたが、伊達は男の甲斐性だと笑って受けとらなかった。
「遥ちゃ~ん、ほな今度はハローワークとやなしに、ワシと遊びに行こな。こないだオープンした温水プールはどや?」
「いいの!?やった~!」
はしゃいで真島にしがみつく遥を横目に、伊達は桐生に囁いた。
「あれは?」
「大丈夫だ」
「そうか」
手紙は…なんとか確認できた。
遥の欲しいものはクリスマスまでに手に入れる事ができる物だったし、できなくてもなんとかしてみせる。
「心配は…無いと思うよ」
クリスマス・イブの夜。
遥がサンタクロースの夢を見ているうちに。
偽者サンタが枕元にやってくる。
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笑って欲しい
風呂から煙が上がっているのを発見したのは、偶然通りかかった遥だった。
きなくさい臭いに風呂場を覗けばヤバイ煙が充満していて、急いでスイッチを切る。
煙が上がっていたのは、お湯がでるはずの所で…原因は『おいだき』と『お湯はり』のスイッチを桐生が間違えたことだった。
〇〇ガスに連絡して修理してもらうことにはなったが、明日になるという。
女の子である遥が一日お風呂に入れないことに我慢できるはずもなく…仕方なく、近所の健康ランドへ行くことになった。
「本当にすまなかったな…遥」
「もういいって。明日には修理屋さんが来てくれるんだし」
しょぼくれて謝る桐生に、遥はころころと笑う。
もの静かでクールな桐生がしょぼくれている姿が、可愛くてしかたない。大人に思う事ではないだろうが、まるで悪いテストを見つけられた子供のようだ。
「たまには外のお風呂もいいよ!おっきなお風呂好きだし!」
「…すまないな」
「そう思うなら帰りにアイス買ってくれればいいから?」
しっかりしてる、と桐生は頷いた。
一番近所にある健康ランドについたが、桐生は入り口の張り紙に眉をひそめた。
遥もまた、同じ張り紙にあっと口に手を当てる。
―刺青の方おことわり―
二人は顔を見合わせてきびすを返す。
こういう銭湯が有ることも知ってはいたが…桐生の背負う龍では入れない。
「本っ当にすまない…!!」
「う、ううん!平気平気!」
「……俺が外で待ってる手もあるんだが…」
「おじさんも入れる所探すの!行くよ!」
遥は桐生の手を引っ張ると、強引に刺青おことわりの健康ランドを後にした。
結局…桐生が入ることのできる銭湯は三軒ほど回っても見つからなかった。
どこもヤクザ相手には厳しい態度で、今はカタギの桐生でも背中の刺青は入り辛い。桐生も遥も、歩き回っているうちにすっかり体が冷えてしまった。
冷えきった遥の手を繋いでいた桐生は、次を最後に遥だけ入れようと心に決める。
遥が何と言おうと自分は外で待っていればいい。
「あ、あそこあったよ」
寒さに頬を赤くして嬉しそうに声を弾ませる遥を見て…桐生は申し訳なく思いたがら頷いた。
遥が見つけた銭湯は年季の入った、下町の銭湯といったたたずまいだった。
表には刺青おことわりという張り紙は無かったが、桐生は躊躇う。
「ちょっと、聞いてくるよ」
そんな桐生に、遥は軽いノリで中へ駆け込んでいった。
少しすると、遥が頭の上で丸をつくりながら戻ってくる。
夜風に冷えきっていた桐生はほっしてと、中へ入った。
ここの銭湯の店主は人の良さそうなお爺さんで、恐面の桐生を見てもどうぞどうぞと勧めてくれた。
場末の銭湯だから客は少ないし、こんなに可愛い子供さんを連れた人なら大丈夫ですよ。
その言葉に、桐生はありがたいと頭を下げた。
「じゃあ、出るときは声かけてね?」
「ああ。ちゃんと百まで数えるんだぞ?」
「わかってるよ!じゃあ後でね、おじさん!」
女湯に駆け込んでいく遥はやっぱり寒かったようで、桐生も早く温まりたいと男湯の暖簾をくぐった。
脱衣所には運よく、誰もいなかった。
人の目を気にせずシャツを脱ぎ、中へと入る。広い湯船につかると、冷えきった体がじんわりと痺れをともなって温まっていった。
「おじさ~ん!石鹸忘れちゃったから貸して~!」
足を伸ばしていると、男湯と女湯とを隔てる壁の向こうから遥が声をかけてくる。
恥ずかしいと思いつつも…男湯が貸し切り状態なのだから向こうもだろう…と、希望的観測のもと、石鹸を壁の向こうへ投げてやる。
「ありがとう~!」
「おう!」
「直ぐ返すね~!」
遥の声に混じって女の笑い声が聞こえ、少し恥ずかしかった。
きゃはは、と女湯から遥とおばさんたちが戯れる笑い声はしばらく続き…数を数える声に変わる。
「おじさ~ん!百数えた~!」
返事をするのが恥ずかしいが、
「おじさ~ん!!お~じ~さ~ん!!」
返事をしないと、遥は延々声をかけてくる。
仕方なく桐生は控え目に返事を返した。
「いま、あがる…」
ほっこりと肌から湯気が立ち昇り、水分を僅かに含んだ髪が夜風になびく。
繋いだ手がいつも以上に暖かかった。
「おじさん!約束のアイス買って!」
「冷えないか?」
「温かいから大丈夫だよ。ね?」
「しょうがないな、迷惑かけたし、いろいろ聞いてくれたもんな。…ありがとう」
たかが銭湯。
それに入るのにすら苦労するおじさんの為に頑張ってくれたのだ。
アイスくらい買ってやらなければ罰があたる。
しかし遥は不思議そうに首を傾げると…ああ、と頷いて笑った。
「変な事でお礼言うね?」
「遥…?」
「私にとっては、あんなこと当たり前だよ。おじさんに笑って欲しいから」
「将来、おじさんのお嫁さんになるんだからね」
告げられる未来にぎょっとしていると、遥はコンビニを見つけて桐生の腕を引っ張る。
「アイスアイスvv」
「あ…ああ…」
娘はマッハのスピードで成長していくもの…
桐生は間近でそれを目撃し…嬉しいような…なんだか甘酸っぱい思いで、遥に引っ張られていった。
「おじさんはこれにする?」
「ハバネロアイス…?」
「友達とコンビニにいった時から気になってたの。おじさん食べてみて?」
「お前……おねだりが日々無茶になってきてるぞ?」
初めての参観日
ひらり、と遥の机から舞い落ちたプリントを桐生はごく普通に拾い上げた。
宿題だったら無くしてはいけないし、お知らせプリントだったら遥がださないのは珍しいと…プリントに目を通す。
―授業参観のお知らせ―
機械的な文字に、桐生の思考が停止する。
まるで教科書に隠されるようにあったプリント。
遥は自分に見て欲しく無かったのだろう。
その事実に桐生は己の体がどんよりと重くなるのを感じた。
(そうか…遥は来て欲しくないのか…)
本当の娘、いやそれ以上に大切に思っている遥に信頼されていない。それどころか疎まれているかもしれない。
そう考えただけで、桐生は目眩を感じた。
「ああ!おじさん何してるの!?」
反射的にプリントを元の場所に戻し、動揺をおし殺す。
部屋の入り口には、髪から水滴を滴らせた遥がひどく焦ったように立っている。風呂からあがってすぐ、自分を見つけたのだろう。
そういえば、居間のボールペンのインクが切れていたので、遥の机に無かったか探しにきていたのだ。
最初の目的も忘れていたことに、桐生は頬をかいた。
「連絡帳書くのに、ボールペンが切れてたんだ。遥、ボールペン持ってるか?」
動揺しきっているはずなのに、声は上ずることなく吐きだされる。
遥はちらちらと机の上を見てから、素早くボールペンを桐生に渡すと強く背中を押して部屋から追い出しにかかった。
「何も、見てないよね!?」
「あ、ああ。見てないぞ」
「ほんと!?」
「本当だ」
嘘だけれど。
遥の必死の形相に頷くしかない。
遥は桐生の言葉に安堵すると、最後に一押し、桐生の背中を押して部屋から追い出す。
「気安く、レディの部屋に入っちゃ駄目なんだからね!」
ばたん、と閉められたドアは、明日の朝まで開かれることはなかった。
夜、堂島の龍と恐れられてきた男は憂鬱のあまりほとんど眠ることができなかった。
夢を見れば夢の中の遥は
『おじさんなんか大嫌い!』
と言うし、実際目を瞑るだけで嫌な想像がとまらなかった。
自分はいつからこんなにナイーブになってしまったのか。自分事ながら、笑えてくる。
「馬鹿か…俺ぁ…」
寝不足で重い体を起こし、あくびを一つ。
今から遥と顔を合わせるかと思うと、このまま寝ていたかった。
「おはよう、おじさん。ごはんできてるよ」
居間のに向かうと、いつも通りの遥がいた。
くまのプリントがされた、可愛らしいエプロン。
家庭科で作ったと自慢していたやつだ。
「あのね、おじさん」
「ん?なんだ?」
「明後日の日曜なんだけど…友達の家に遊びに行ってもいい?」
味噌汁の味が、一気に味気無いものにかわる。
日曜は、授業参観の日だ。
「ああ、いいぞ。別にいちいち許可とらなくてもいいんだぞ?」
「先生が出かける時は家の人に言いなさいって言ったから」
真面目だな、と桐生は笑った。
「で、俺の所に愚痴りに来たってわけか。ったく、遥みてぇなガキ相手に相変わらずだなぁ。おい」
顔をくしゃくしゃにした伊達は、おかしそうに膝を打った。
だが相談している桐生は笑い事ではない。こっちはいきなり九歳の娘ができたのだ。扱いはわからないし、嫌われているかも…なんてことになったら、心中穏やかではいられない。
そこの所は同じ、年頃の娘をもつ伊達だ。
桐生の気持ちは痛いほどわかるが、なにせ喧嘩最強の男がくよくよ悩んでいる。面白いという感情が勝っていた。
「けど、まぁ大丈夫だろ。遥も遥なりに事情があるのかも知れねぇじゃねぇか」
「遥ちゃんのお父さん、ヤクザ?……って聞かれる事とかか?」
「おいおい、今はカタギだろうが。すねんじゃねぇよ」
「悪いが、それしか思い浮かばねぇよ。未だにヤクザに間違われるんでね」
派手な柄ものの服ばかり着ているからだ、と言いたいのを伊達は辛うじて飲み込んだ。
「ならよぅ、行けばいいじゃねぇか」
伊達は面倒くさくなってきて、根本から覆す発言をする。
「黙っていきゃあ、遥が何で嫌がってんのか分かるだろ?」
「……伊達さん……それは……」
「よし!決まりだ。なんなら俺もついてってやるぜ。久しぶりだな、小学校なんかに行くのは」
楽しそうに手帳に予定を書き込む伊達に、桐生は慌てた。
後々、怒られるのは自分なのだから。
「で、でも学校に入るには入校証ってもんがいるんだぜ。遥が持ってる」
自分の思い付きに拍手したくなる。
最近じゃ防犯のため、入校証なるものが無ければ保護者であっても校内に入れないのだ。
そして、それは遥が隠しているお知らせプリントに付いていた。どうせもう捨ててしまっているだろう。
だが、伊達はいたずら小僧のような笑みで首を振った。
「ガキが親に見つかりたくないもんはなぁ、事が落ち着くまでテメェの陣地に持ってるもんなんだ。ごみ箱じゃあ見つかる可能性があるからな」
そういえば、小学生のころ、死ぬほど悪い点のテストは引き出しの中に隠して…年末の大掃除の日にごみと一緒に燃やしていた。
「遥もきっと、引き出しの奥か…辞書の間にでも挟んでるんじゃねぇか?」
「なら…この間買ってやった百科事典の間かもしれねぇ」
「決まりだな。行くぞ」
「本気かよ…」
「今更なんだ。ヤー公がうじうじしてんじゃねぇよ。遥の初めての参観日じゃねぇか?」
そのまま、伊達は桐生を引きずりながら高らかに笑った。
日曜の朝、遥はいつもより早く起きて朝食を作っていた。
挙動不審に桐生に微笑み、時計を気にする。
「おじさん、今日は予定ある?」
「ん?伊達さんと約束があるんだ。ちょっと帰りが遅くなるかもしれない」
あからさまにほっとする遥に、桐生は苦笑する。
「じゃあ私、もう行くね!友達との待ち合わせの時間に遅れちゃうから!」
玄関からダッシュするうに出かける遥を見送って、桐生はポケットから…昨日、伊達が見つけだした入校証を出す。
「悪いな…遥…」
クラクションの音に外へ出れば、よれたスーツにいつものコートの伊達が車から身を乗り出して手まねいていた。
「よお!そんなかっこしてると、少しはカタギに見えるじゃねぇか。馬子にも衣装だな!」
「伊達さん…褒め言葉になってねぇ」
「ああ、褒めてねぇ」
ひでぇ、と桐生は肩をすくめた。
昨日、伊達に言われて買った紺のスーツ。無難な配色のネクタイと合わせて着れば、たしかに少し違和感はあるものの、カタギの父親に見えなくもない。
落ち着かない気もするが、父兄参観の父親は大抵スーツ姿だそうだ。現役…とは言えないが、経験者がいると助かる。
「さて、行きますかねぇ?姫の父兄参観へ」
段の小さな階段。何度か足をとられそうになるその高さが、妙になつかしかった。
「遥は何組だ?」
「たしか…四組だったはずだ」
「たしかって、頼りねぇお父さんだな」
少し行くと、三年生のフロアについた。
すでに授業は始まっているようで、廊下や教室の後ろには父兄たちが我が子の様子を見つめている。
「ここか…お、いたいた」
四組の教室を覗き込み、伊達は桐生の脇腹を肘でつつく。
どうやら、国語の授業らしい。生徒の一人が立って、何かを読んでいる。
「はい、よくできました。素敵なお父さんですね」
担任らしき女性教員は手を叩き、生徒は座る。
「作文か。沙耶も昔書いてたな」
なつかしそうに微笑む伊達は、何故遥が桐生に来て欲しくなかったのかがわかった。自分も同じ事をされた事がある。
そして、その時もこんなふうに押し掛けたのだ。
「じゃあ…次は桐生遥さん」
「はい」
真ん中の席の遥が立って、作文を開く。
まだ、廊下の窓から桐生や伊達が覗いていることには気づいていない。
「桐生、ハンカチ用意しといたほうがいいぜ?」
「はぁ?」
いぶかしげに首を傾げるが、伊達は笑うだけだった。
「私の家族」
遥の、声を耳にする。
「桐生のおじさんは、とても無器用です。この間なんかご飯を炊くのに、間違って糊を作ってしまいました」
父兄の中から笑いが上がる。
もちろん伊達もその一人で、
「お前、そんなことしたのか?」
「…うるさいな」
遥の作文は続く。
「でも、何事も一生懸命にやります。私が宿題をするのにも教えてくれるし、お買い物だって一緒にいってくれます。それに喧嘩も強くて、とっても優しくてカッコいいおじさんです。私は桐生のおじさんが大好きです」
「ほら、嫌われてねぇじゃねぇか」
「……」
桐生は顔を赤くして頷いた。
「桐生のおじさんには仲のいい、伊達のおじさんという友達がいます」
自分の名前がでてきて、今度は伊達がうろたえる番だった。
「伊達のおじさんは元刑事さんで、桐生のおじさんみたいに一本気な人です。ヤクザ相手だと鬼みたいな人だけど、家に遊びにくる時は面白い人で、よく私たちを笑わせてくれます。桐生のおじさんが笑うくらいだから、なかなかのギャグセンスです」
「だそうだぜ?」
「……うっせ!」
「あと、伊達のおじさんとは仲が悪いけど真島のおじさんもよく遊びに来ます。怖い人だけど三人のなかで一番よく遊んでくれて、一番お菓子をくれます。桐生ちゃんには内緒やで、とか言ってゲームセンターとかバッティングセンターとかに連れてってくれる、友達みたいなおじさんです。」
「兄さん…いつの間に…」
「しっかり目ぇ、光らせとけよ」
「本当のお父さんはいないけど、私には三人も大大大好きなお父さんがいます。これからも皆で一緒ににいられるといいな、と思いました。」
おしまい、と遥は席につく。
父兄からの拍手がなんとも微妙だったのは、マル暴の刑事と、その仲が悪くて怖いおじさんのせいかもしれない。
だが、桐生と伊達は周りが気にならないほど感動していた。
「遥ー!俺も大好きだぞ!」
伊達のはしゃいだ声に、遥は飛びあがって驚いた。そして隣の桐生の姿に赤面する。
「おじさんたち!何で来てるの?!」
真っ赤になって怒りだす遥に、二人は苦笑ぎみに顔を見合わせた。
「だから来て欲しくなかったのにぃ!」
家族、そのカテゴリに自分たちはいるらしい。
桐生と伊達は嬉しくて、あとで真島にも作文を読ませてやろう…そんな寛大な気分で、同時に吹き出した。
遥の怒る声が、大きくなっていく…
華
昼間は、暇だったりする。
沙耶は学校。
かといって無職連中と同じ様に公園でぼんやりするのも、自宅でぼんやりするのもつまらない。
伊達はもてあました暇をどうしたものか…と、コートをはおった。
こういう時、向かう場所は決まっている。
「桐生でもからかいにいくか…」
桐生を遥がらみの事でからかう事が、生きがいになりつつあることを、まだ本人は気づいていない。
最近がたがきはじめている車を転がして、桐生の家に向かう途中…商店街の一角に見慣れた姿を見つけた。
「遥!」
常時から声のでかい伊達だ。
遥だけでなく、通りすがりの通行人までが驚いて歩みを止める。
だが伊達はそれらを無視して、遥の隣に車を寄せた。
「あ、伊達のおじさん」
「よう、今帰りか?」
真っ赤なランドセルを揺らし、にこにことする様子はごく普通の小学生だ。
当たり前のことだが、伊達はほっとした。
「これからお前ん家に行くんだ。乗せってやろうか?」
「ほんと!?乗る!」
遥は後部座席ではなく、助手席に回り込む。
いかにも慣れた仕草に、アクセルを踏みながら伊達はいぶかしむ。
桐生は車を持っておらず、いつも自分の車を使っていた。その時は遥と桐生、並んで後部座席に座るから助手席には乗せたことがない。
「桐生の奴、車買ったのか?」
「ううん?買ってないけど?」
「の、わりにはなんか慣れてねぇか?」
「ああ、真島のおじさんによく乗せてもらってるから」
思わず、アクセルとブレーキを踏み間違えた。
ガクンと車が揺れ、後ろからクラクションが鳴った。
「おじさん?」
「い、いや、すまん。ていうか真島の奴と交流があるのか?!お前!」
声が荒くなる。
刑事の性だ。
「うん、よく遊びに来るの。桐生のおじさんが好きなんだよね、真島のおじさん」
へらへらと笑う遥は、緊張感の欠片もない。
だが伊達としては心中穏やかではなかった。
なにせ、真島組構成員に撃たれた過去があるくらいだ。
それに遥は真島に拐われたはず。
それなのに、よく平然と…前から思っていたことだが、遥は神経が図太い。
「桐生は…何も言わないんだな?」
「うん。まだ苦手みたいだけどね」
「……なら、いいか」
少なくとも、桐生は危険を感じていない。なら放っておこう。
薮蛇は、避けれるなら避けるにこしたことはない。
「あ、晩ご飯の買い物しなくちゃいけないから、途中でスーパー寄ってね」
「あ?あ、ああ。そうか、家事は遥がやってるんだったな」
「おじさん、苦手だからね。適材適所、だよ」
下手に大人びた言葉とその中に込められた皮肉に、伊達は吹き出した。
「あいつの適所ってどこだよ」
「喧嘩くらいしかないよねぇ、やっぱり」
「違いねぇ」
この子は、きっと化ける。
今はまだ道端のすみれのような少女だが、きっと今に大輪の華を咲かせるだろう。
優しく、大人びた彼女が化けた時…桐生はいったいどんな反応を示すだろうか。
それを思うと、笑いがこみあげてくる。
喉の奥で笑う伊達に、スーパーへの道を示していた遥きょとん、と首を傾げた。
受験の朝に
満員電車を乗り越え、着いた駅は毎朝高校へと向かう駅とは違った。
遥は今年、十八歳になる。
桐生と家族になってもうすぐ十年だ。
「はやく、来すぎたかな…?」
疑問符をつける必要もなく、早すぎた。
集合時間までまだ一時間以上もある。用心のため、早く来すぎたのだ。
「仕方ない…喫茶店にでもはいるかな」
時間潰しにはなるだろう。
けれど、一人ではいる喫茶店は寂しいものだった。
いつもは桐生が一緒だし、桐生がいない時には真島が向かいにいた。時には伊達がいたりと…寂しい、なんておもうわけないメンバー。
「親離れできてないなぁ」
苦笑した。
一応、参考書なんかを開いて勉強の振りをして…アイスティを飲んで…街ゆく人たちを眺めてみる。
忙しく歩いていく人たちのなかに、いま会いたい人はいなかった。
(おじさん…いま何してるのかな)
寂しい時には、いつも桐生の顔が浮かぶ。
好きでしかたない、あの優しい笑顔が。
「おーい」
声を掛けられ振り向くと、ショウウインドウ越しに眼帯と凄まじい迫力の笑顔があった。
ゴンゴンとショウウインドウを叩き、店内の客たちがざわめいた。
見るからに危ない人間が女子高生に声をかければ、まぁ当然の反応だ。
しかし、この眼帯男と遥随分と長い知り合いだ。
「真島のおじさん」
真島は躊躇うことなく遥の前に座る。
「おはようさん」
「おはよう。珍しいね、こんなとこで会うの。朝からお仕事?」
遥の言う仕事というのは主に借金回収などの事を差すのだが、真島は首を横に振る。
「朝っぱらからそんなんせぇへんよ。ワシ、早起き苦手やねん」
「そっか」
じゃあなぜ朝の早くから行動しているのか。
遥も大人になったので、下手なことは聞かない。
「私、これから受験なの。第一志望だから緊張してるんだ」
「さよか、大変やなぁ。ワシなんか中学卒業したら極道に入ったもんやから、まったくそないな苦労してへんねん」
きょうびの学生は大変やなぁ。
真島は肩をすくめて言った。
「ほんなら、こないなとこで時間潰しててええの?」
「うん。早く来すぎたみたい」
遥は照れた様に頭をかく。
その時、遥があっと言う前に真島の頭に拳が降っていた。
「真島、お前なんでここにいる」
拳を振り下ろしたのは、伊達だった。
伊達は、十年前とあまりかわらないヨレたコート。険しい顔付きも変わらない。
いきなり叩かれた真島は伊達を見た途端機嫌が悪くなり、ドスのきいた声をだす。
「なにすんねん」
伊達は真島を無視すると、遥へ声を掛けた。
「遥、こんな奴とつるむな。おじさんが心配するぞ」
「あー…うん、まぁ、確かにそうだけど…でも真島のおじさんいい人だよ?」
桐生がまだ真島と遥を並ばせるのに抵抗を感じているのは知っている。だが、遥はいつキレるかわからない危険人物である真島を気に入っていた。
遥のいい人発言に気を良くした真島は、未だに敵視する伊達をにらみつける。
「ほら、遥ちゃんは嫌がってないんや。あんたはさっさとどっか行きぃ」
「残念ながら、元誘拐犯の組長なんかと遥を二人きりにさせることはできんな」
「…うっさいわ。とっととハローワークにでも行きぃや。無職が」
「今はちゃんと働いている!」
十年前に警視庁をクビになったことをほじくりかえされ、伊達の声が自然と荒くなる。
流石に痛い会話になってきたな…と、遥は周りが気になってくる。
店内から客が消え始め、残っている客からはひそひそと声が。
「おじさんたち、もうやめ…」
「うっさいわ!」
「遥は黙ってろ!」
二人して言われ、遥はため息をつく。
これはもう、諦めたほうがいい。
こんな状態をなんとかできるのは、桐生くらいなものだ。
キィキィとうるさい真島と伊達を見物しながら、アイスティを一すすり。
なんだか、妙に気分が落ち着いていることに気づく。
(あれ、なんかもう、平気かも)
緊張とか、寂しいとかが…消えていた。
「あはは!」
おかしかった。
馬鹿みたいに。
「なんだ、遥どうした」
「…遥ちゃん?」
きょとんとするおじさん二人がおかしくて、遥は目じりに溜った涙を拭いながらうつ向く。
「な、なんでもないよ。ありがと。なんか元気でたよ」
時間はちょうど、いいころあいで。
遥は伝票を手に立ち上がった。
「さて、もう行きますか。受験に遅れちゃう」
「もうそんな時間かいな。ハローワークがこぉへんかったらもっとしやべれたんに」
「だからハローワークは止めろ!…そうか、そういえば桐生が今日、遥の受験だとか言ってたな」
伊達もいま思い出したらしく、真島との喧嘩を忘れて柔らかく微笑む。
だが、伊達の言葉に真島は眉を吊り上げた。
「なんや!桐生ワシには電話してくれへんのに、ハローワークにはしとんのかいな!?」
「ああ、おもに遥のことに対する相談だがな。娘がいるから、なにかと頼ってくる」
「こんなんより、ワシのがずっと頼りになんのに!」
「喧嘩だけ、だろうが」
「………そやけど」
二人は、案外仲がいいんじゃないかと遥は思う。
元警察官である伊達が真島を警戒しているのは無理ないことだが、息はあっている。わだかまりが解ければ、桐生の仲介がなくても仲良くできるのではないか。
遥はそんなことを思いながら、会計を済ませる。
「じゃあ行ってきます。おじさんたち、お店に迷惑掛けないうちに出るんだよ」
日常の守りの中、自分は確かにいる。
それだけで…寂しくない。
そう、遥は笑った。