桐生「…おい龍司、わざわざ遥まで関西に呼び出してどうする気だ。」
遥「久しぶりだね、龍司のおじさん!」
龍司「おーおー、ようこそ未来のマイホームへ!」
桐生「…は?」
遥「未来の、マイホーム?」
龍司「今朝完成したばっかやで。噴水のある庭に城を思わせる立派な白塗りの外壁。このワシ自ら手ぇ掛けた最高傑作や、ここで二人沿い遂げようや桐生はん…?」(ニヤリ)
桐生「……………帰るぞ、遥。」
遥「あ、折角大阪まで来たんだしUSJ行きたいなぁ…。」
龍司「ま、待ちぃやお二人さん!何が気に入らんのや!!??」
桐生「……悪趣味。(溜め息)」
遥「龍司のおじさん、全然分かってないんだもん。(溜め息)」
龍司「(ショック!!!!)」
遥「おじさんは、こんな飾りたてた豪華な家なんか好きじゃないよ。」
龍司「な、何でや!?折角桐生はんが気に入ると思うて作ったんやで…!!!!」
桐生「………お前がいれば良いんだよ。(ボソッ)」
龍司「え…?」
桐生「だから、立派な家なんていらねぇんだよ。お前と遥がいてくれるなら俺は何処だって住めるんだ。」
龍司「き、桐生はん…。」
桐生「勝手に家作ってた事は咎めねぇ。…作り直せよ。それまで遥と待っててやるから。」
遥「食器乾燥機とドラム式洗濯機と床暖房は標準装備でねv」
龍司「はは、しっかりした嬢ちゃんやで。よっしゃ、もっかい作り直したろか!」
取り合えず昇龍の掛け軸と刀置く上座も標準装備やで。
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昔、自分は雨が降るの心待ちにする子供だった。
雨が降ると、由美と錦と三人でひまわりの玄関まで風間の親っさんを迎えに行った。
由美はヒマワリの柄が入った白色の傘。
錦は黄色の傘。
自分は紺色の傘。
そして親っさんには黒色の傘。
車から園の玄関までの、ほんの僅かの距離の為だけあの人を守る傘。
その傘を持つのは、何故か俺の役目だった。
大きな傘を両手で握り締め、親っさんを守る事が出来る喜びを感じていた幼い頃の自分。
「有り難う、一馬」と温かい大きな手で頭を撫でてくれる事が、何より嬉しかった。
「・・・・・・今日は雨降らないかな・・・。」
宿題をほっぽり出し、冷たい机に突っ伏しながらよくそう言っていた。
待っていたのは、本当は雨じゃなく…あの人の温かな手だった。
鉛色に燻り、今にも降り出しそうな厚い雨雲を睨み桐生は舌打ちした。
今日の天気予報は降水確率40%。
しかし自分は「60%は降らねぇんだろ」と楽観的に考え、何も持ってきていない。
こんなとこなら、家を出る時に遥が差し出してくれた傘を素直に受け取っておけば良かった。
ポツリ。
頬に雨粒が当る。
次第に強く振り出す雨に、桐生は仕方なく駅の奥へと引っ込んだ。
自分と同じ考えの人間は多かったらしい。
駅の中に組み込まれたコンビニの傘は売り切れていた。
値札だけ残った傘立てを見て、溜め息を吐く。
濡れて帰ってもいいが、この雨の量だと流石に風邪を引きそうだ。
タクシー乗り場・バス乗り場は大混雑。
さて、どうするか。
眉を寄せ、思案していると遠くの白い傘が目に留まった。
花柄の傘を差した子の手には、大きな黒色の傘。
何だか懐かしい。
あの子も誰かを雨から守りたい為に、わざわざ迎えに来たのだろうか。
どんどん近付いてくる、白色の傘。
よく見たら由美も好きだったヒマワリの柄だ。
ああ、だから懐かしいのか。
フ、と思わず笑みが零れる。
と。
「おじさん!」
白色の傘が閉じられる。
「……遥?」
「ふふ、お迎えに来ちゃった。」
ててて、と笑顔で近付く少女は、間違いなく遥だ。
長靴が雨を含んだ道を走る度にキュッと鳴る。
「危ない、転ぶぞ。」
「大丈夫!」
二本の傘を抱え、にっこり笑った顔で走る遥。
ゴール!!
と言いながら逞しい腕にしがみ付いた。
「お帰りなさい、おじさん!」
「…ただいま。」
空いた手の方で頭を撫でてやると、照れたような笑顔になる。
「あ…はい、これ。」
照れたような笑顔の次は、少し膨れた顔。
黒色の傘を差し出し、「だから朝言ったのに…」と呟く。
桐生は素直に謝った。
「悪かったな、有り難う。次からは遥の忠告にちゃんと従うよ。」
微笑んで言うと、また笑顔。
「絶対だよ?でももし忘れたら、私がちゃんとまたお迎えに来てあげるからね!」
胸を張って言う遥に、桐生はじんわりと胸が温かくなるのを感じた。
もしかしたらあの時の親っさんもこういう気持ちだったのか、と思いながら。
相変わらずのどしゃ降りの中。
並んで歩くは黒と白の傘。
繋いだ手が少し濡れても、温かい掌があるなら大丈夫。
完
久し振りに来た神室町は、昔とさして変わらない夜の濃厚な匂いがする。
思考を狂わせ、感覚を麻痺させる町。新宿神室町。
今日、十八歳を迎えた遥は一人セレナに向かっていた。
高校生の制服と化粧っ気の無い顔はこの夜の町ではかなり目立つが、当の本人は全く気にしていない。
セレナは100億の事件後に東城会が跡地を買い取り、西と東の抗争後に新たなスナックとして復活していた。
今日は東城会も近江連合もホストもホームレスも関係なしに祝ってくれるっておじさん言ってたけど・・・・・・誰が集まってくれたのかな。
ワクワクしながら、遥は指を折ってみる。
まずおじさんでしょ、伊達のおじさんと大吾のお兄ちゃんと真島のおじさん。近江連合って言ってたし、龍司のお兄ちゃんも来てくれるかな。
ホストは・・・ユウヤお兄ちゃんと一輝お兄ちゃん?仕事はどうするんだろ。
あとは花屋のおじさんと小牧のお爺ちゃんと白お婆ちゃんと……。
自然と笑みが零れて、足取りも軽くなる。
と。
こじんまりとした公園の横を通った時、小さくもめるような声がした。
「オネエチャン、良いだろォ?」
「僕達と遊ぼうよー。」
「・・・や、やめて、下さい・・・!」
一人の女性を二人の男が挟むようにして立っている。
怯えて震える女性の腕を掴み、男は下卑た笑みを大きくした。
一つ溜め息を吐くと、遥は肩に掛かった長い髪を後ろに払い、進む方向を横に変えた。
困った人をほっておけない性格は、神室町のヒーローのような桐生の背を見続けた遥にしっかりと染み付いていた。
「ね、お兄さん?」
軽やかな足取りのまま三人に近付き、アイドル顔負けの輝く笑顔で尋ねる。
「お姉さん嫌がってるよ?その腕、離してあげてよ。」
笑顔はそのまま、高校生にしては落ち着いた声で「ね?」と首を傾げる。
男達は呆然とした様子で、遥を見詰めた。
その隙をついて女性は力一杯腕を振り解き、遥の後ろに隠れるように身を縮める。
「あ、ありがとう・・・。」
「ううん。大丈夫?怪我はしてない?」
「ええ。」
「ふふ、良かった。」
輝く笑顔を見せると、女性も安心したように少し微笑む。
無視されたままの二人の男は焦ったように声を荒げた。
「お、おいおいお壌ちゃん!大人の邪魔しちゃするんじゃねぇよ!!」
「それともなに、お嬢ちゃんが相手してくれんの??お嬢ちゃんすっごく可愛いからそれでもいいけど。」
再び下卑た笑みを浮かべる二人に、女性は怯えたように遥の肩にしがみつく。しかし遥は平然と見返し、肩に置かれた手には安心させるように優しく撫でてあげる。
「ごめんね、私はこの後用事があるから。それに知らない人にはついてくなって昔から耳にタコが出来るくらいおじさんに言われてるし。」
この『おじさん』が極道会でも神室町内でも飛びぬけて有名な『伝説の元極道』、そしてこの女子高生がその目に入れても痛くない愛する『娘』だなんて男達は知るはずも無い。
「いいじゃん、お兄さん達と遊ぼうよ~。」
「優しくしてあげるからさぁ?」
へらへらと笑いながら、遥に向かって汚い腕を伸ばした。
パシッ
小気味いい程乾いた音をさせ、遥はその手を素早く払った。
先程までの天使の笑みは消え、十八歳の女子高生にしては貫禄がありすぎる瞳で男達を見据える。
「…いい加減にしてよ。これ以上余計な事をするっていうなら、私が許さないんだから。」
酷く落ち着いた声。
細められた目。
「お、お前…だ、だ、誰なんだよ・・・っ!?」
笑顔の可愛かったごく普通の少女から流石にただならぬ気配を感じ、男の一人が後ずさる。
「お前、じゃない。」
九年前の、あの運命の日を思い出し、笑みが漏れる。
そう、全てはあの日この場所から始まった。
あの人と出会い。
あの人と歩み。
あの人と生き。
「私は遥。・・・・・・桐生、遥よ!」
パチパチパチ
「さっすがは嬢ちゃんや!」
不意に、後ろから声と拍手がした。
と同時にドスが男の横顔を掠って木に刺さる。
「今の啖呵、めっちゃ桐生チャンに似とったで。流石は親子やなぁ?」
「そんな事教えてないですが。」
「イケてんじゃん、遥。」
「関東の女子高生はごっついのぅ。」
振り返った遥の目に、四人の頼もしい男達が映った。
一人はニヤニヤ笑う、素肌に皮ジャケットの眼帯男。
肩をバシバシ叩かれて困ったような顔をしている男は、眉を寄せ心配そうに此方に視線を向けている。
そしてその後ろで微笑み、気だるげな動作で煙草に火をつけるダウンの男。
少し離れて、豪快に笑う腕を組んだ大柄な金髪男。
「おじさん!!それに真島のおじさんに大吾のお兄ちゃん、龍司のお兄ちゃんまで!」
その言葉に、男達が固まる。
流石に堂島の龍、嶋野の狂犬の通り名は知らなくとも『桐生』『真島』の名は伝説となって神室町に語り継がれている。
そして現東城会の会長と、現近江連合の会長。
この豪華な集まりは一体何なんだ。
「どうして…。」
「嬢ちゃんが待ってもこーへんから捜しにきてん。ま、ワシらはもうちょい待てばええゆうたんやけど、桐生チャンが心配や心配や言うて聞かんでなぁ。」
「兄さん・・・っ!!」
「でも良かったじゃねぇか、すぐ見付かったし。」
「遥ぁ、怪我ないか。」
龍司が笑いながらガシガシと遥の頭を撫でてやる。
突然の屈強な男達の登場で更に怯える女性とは、大吾がなんとか話をつけていた。
動けない男達の横を素通りし、真島は木に刺さったままの鬼炎のドスを抜く。
「あーあ、刃こぼれしてもーた。やっぱわざと外したったんは間違いやったかな。」
物騒な気配を隠しもせずに、ドスの柄部分を愛しそうに撫でる。
「今日が嬢ちゃんの誕生日ちゃうかったらこいつでし~っかり躾けてやってんけどなぁ。運悪いで、お前ら。」
いや、確実に運が良かった。
しかし二人はそんな事を考える余裕もなく、ただ震える事しか出来そうもない。
「さぁこのザコらどないするか、遥が決めや。」
龍司は息が詰まる程の鋭い眼光で男達を見下ろし、ちらりと優しい視線を遥に向ける。
「天下の東城会と近江連合の力でどうとでも出来るぜ…?」
大吾もその横に立ち、ニヤリと物騒に笑う。
「さっきはあー言うたけど、ワシに任せてもええで?最近躾のなってないガキが仰山おるしな、ちょっ~と痛い目みて学習させたらええねん。」
ドスを手元で器用に回しながら、隻眼を狂気に歪ませる。
桐生は遥の前でしゃがみ、真っ直ぐ遥を見上げた。
出会った頃はこうすると目線が合ったのに、と少し昔を思い出しながら。
「遥。」
その一言で、遥は頷いた。
「私は大丈夫。だから、何もしないであげて。」
振り向き、輝く笑顔を男達に向ける。
「でも、もうこんな無理強いはしないって約束して。」
男達はただただ首が千切れそうになるぐらい首を縦に振った。
地獄に仏とはまさにこの事だ、と深く実感しながら。
「いつの間にか大きくなってたんだな…。」
前を真島、後ろを龍司と大吾が挟む様に歩き、遥は右隣を歩く桐生の様子をちらっと窺う。
今日は凄く機嫌が良いみたい。
ちょっとずつ、近付く。
「遥はいつまでも小さいって思ってたんだが。」
「おじさんに比べたらまだまだ小さいよ?」
一歩斜めに、また一歩斜めに。
そして。
「…だからおじさん、もうちょっとだけ私を離さないで。」
その温かくて大きな手を握る。
離れないよう。離されないよう。
力強く。
想いを込めて。
フ、と桐生が笑った。
「お前が煩わしいと思っても、ずっと離してやらねぇよ。」
強く握り返してくれた手は、昔と変わらずとても温かかった。
「桐生さん!遥ちゃん!もう、遅いっすよォ。」
「よお、皆待ってんぜ。」
店の前で出迎えてくれたのはユウヤと伊達。
中からは既に賑やかな声が漏れ聞こえてくる。
「嬢ちゃん、ほら開けや。」
「遥が主役だしな。」
「ほらほら、みんな遥来るん待っとるで。」
「…遥。お前が開けてくれ。」
四人に笑みを返し、ドアに手を掛ける。
遥、十八歳。
その記念すべき一日は、零れんばかりの幸せな笑顔でいっぱいになった。
終
真っ暗な部屋。
ふたつ灯る小さな火。
寄り添うふたつの影。
「ね、おじさん。もう消して良い?」
「ちょ、ちょっと待った!ええっと…よし、大丈夫だ。」
遥が頬にかかる髪を掻きあげ、フッと火に息を吹き掛けると同時にフラッシュとシャッターが下りた。
「私、変な顔で写ってない?」
「ん?えっ…と。」
「貸して、おじさん。…うーん、ちょっと変だけど記念だもんね!」
そう、今日は遥16歳の誕生日。
「おめでとう。」
優しく微笑む桐生に、遥は「有り難う」と照れたように笑った。
遥は、この年で凄まじい人生を歩んできた。
親との別れ、衝撃の出会い。殺人現場の目撃や誘拐は何度となくあった。それこそ、命賭けだった事も多々ある。
しかし少女はいつも明るい笑顔を絶やさず、皆を慕っていた。
そんな少女を、いつも危険な目に遭わせてしまうのは全て己のせいだと桐生は悔んだ事もある。
そんな彼を救ったのは遥自身の強さと優しさだった。
そんな少女が、今日16歳になった。
もう遥と出会って七年が経つのか。
長いようで短い、密度の濃い七年だったように思う。
この七年で何が始まり、何が終わっただろう。
誰と出会い、誰と別れ、誰と拳を交え、誰と酒を汲み交し…。
桐生は電気を点けると、煙草に火をつけながらフッと笑った。
「どうしたの?急に笑って。」
「ん…俺も年食う訳だと思ってな。」
「そう?おじさんはまだまだ若いと思うけど…。」
遥は子首を傾げながらも、ケーキを切り、お皿に分ける。
「やっぱりワンホールのケーキだと余っちゃうね。」
「今から誰か呼ぶか?真島の兄さん辺りならすぐ来ると…」
「い、いい!余った分は私が全部食べるから…!!」
「…腹壊さないか?」
全力で首を横に振る遥に、今度は桐生が首を傾げる。
少女の、記念すべき16歳の誕生日はたった一人と過ごしたいという願いに全く気付く事はない様子。
「そうだ…遥、これはつまらないもんだが。」
桐生はそう言って、家具の隙間から小さな箱を遥に手渡した。
「有り難う」と笑顔で礼を言い、箱を開けた少女の目が溢れ落ちる程大きく見開かれる。
「おじさん、これ…。」
「前に欲しいって言ってたなかったか?」
シンプルな箱の中には、此方もシンプルな銀の指輪がちょこんと鎮座していた。
なんの飾りもない華奢なリングはまるで、まるで……
「…結婚指輪みたい。」
フッと大人びた微笑みを、遥は漏らした。
瞬間、懐かしいあの人の笑顔が重なった気がして桐生は目を見開いた。
「…おじさん?」
「…っ………あ…ああ、いや。何でもない…。」
親子は似るもんだ。
そう自分に言い聞かせ、まだ長い煙草を灰皿に捨てる。
もう、少女も16歳。
顔付きは元より、仕草や言葉使いまでも少しずつ母親に似てきている気がして、たまに懐かしい昔の記憶が蘇る事もあった。
強くて優しい、あの眩しい笑顔。
自分が一番守りたいと思った、あの……
「ね、おじさん。これ今日からずっとつけてて良い?」
「学校では外すんだぞ。」
「うん!…一生大事にするからね………一馬…。」
大人びた、眩しい笑顔。
それは強くて、優しくて
涙が溢れそうなくらい、とても綺麗で……
終
「桐生ちゃーん!」
呼ばれた当の本人は、並んで歩いていた遥を抱え脱兎の如く逃げ出した。
しかし素早さで勝る真島はすぐ二人に追いつく。
「逃げる事ないやろ?丁度今桐生ちゃんちに行こ思てん」
「どうしてアンタは俺を安穏に暮らさせてくれないんだっ」
「遥ちゃんがおるときはそないな事せえへんって!」
なあ、と桐生の腕に収まる頭を撫でようと手を出すが、桐生は遥に指一本触れさせまいと腕の力を強めた。
「いけずやなあ、何もせえへんって言うとるやろ!」
「あてにならねえな」
「大丈夫やって!ほら、行くで」
強引な真島の押しで、住まいに入れざるを得なくなった。
ここまで来て追い返されたとなれば真島も黙ってはいない。
少なくともドアは蹴破られるだろう。
(結局入られるんだな…)
伊達を呼んで家宅侵入罪ででも逮捕させようかとも考えるが、真島に対しては無駄な事のように思った。
桐生は諦めの溜息を吐く。
「相変わらず桐生ちゃんちは綺麗やのー。家事は出来るし別嬪さんや、遥ちゃんはええ奥さんになるで」
オトウサンは大変やな、と置いた真島の手が不自然に桐生の肩を揉む。
「どや、遥ちゃん、ワシの奥さんにならんか?」
「…冗談はよしてくれ」
「桐生ちゃんに言っとらん。何や、嫁に来てくれるんか?嬉しいわあ」
正に黒い笑顔。
眼帯に遮られた左目からの視線さえも恐ろしく感じられ、桐生は表情を強ばらせた。
「駄目だよ。私、好きな人いるから」
「そうか、ふられてしもたわ」
真島はさも残念そうに言う。
「慰めてえな、桐生ちゃん」
「断る」
「冷たいのう、ワシだって傷付くで!」
桐生は足に縋りつき喚く真島の頭に拳固を落とした。
夕食時に真島は桐生と遥を焼き肉屋でもどうかと誘うが、遥が渋った為却下された。
二人と一緒にいる時自分に向けられる視線に慣れることはなかった。
遥が嫌がる理由が痛い程分かる桐生は心底すまなそうに謝った。
「おじさんの所為じゃないよ」
励ますべき相手の一言に幾度となく救われた。
一年前、全てを失ったのは遥も同じだと言うのに。
遥は既に床につき、男二人が酒を飲み交わす。
自然と話は1年前の事件の方へへ向かう。
「もう1年になるんか」
「…ああ」
親友の為に10年も臭い飯を喰い、出所してすぐにあの事件だ。
「アンタもしっかり邪魔してくれたがな、遥にも手を出して」
「あれくらいせんと桐生ちゃん、相手にしてくれんやろ」
ふ、と桐生は笑った直後、自らの異変に気付いたのか柳眉を顰めた。
桐生、と呼ぶ真島の声を甘く感じる。
「ホンマ甘いなあ…俺だったからよかったんや。1年前のこともある。あの街やない言うてもお前は堂島の龍、十分な獲物や。気ぃ抜いとったら、死ぬで」
襟の中の首筋に真島の唇が触れる。
刃物が滑るような感覚に身悶えする。
「その前に俺が殺ったるけどな」
憎しみすら潜む桐生の双眸が閉じる頃、真島はそう呟いた。
ぐったりとした桐生の肩を抱き、遥のいる寝室の扉を叩く。
「…安心しい、遥ちゃん」
しばらくの沈黙の後、部屋に招くようにドアが開く。
寝付けない遥は、二人に──少なくとも桐生には気付かれないように二人の様子を伺っていた。
「遥ちゃんから桐生ちゃんを盗ったりせえへん」
「…おじさんが、真島のおじさんは信用しちゃいけない人だって」
自分は注意散漫なくせに。
1年で随分丸くなってしまったらしい。
真島は苦笑いを止められなかった。
「すまんなあ、手荒なことしてもうて。桐生ちゃん、最近あんま寝とらんかったみたいやからな」
「…やっぱり1年前の事、思い出しちゃうみたい」
遥はベッドに下ろされた桐生のシャツのボタンを数個外し、ブランケットをかけた。
その目は単に保護者に向けられるものではない、特別な感情をはらんでいた。
「今更やけど、遥ちゃんが好きなんは、桐生ちゃんやろ?」
…うん。
顔を少し赤らめて頷く遥の頭を「それでええ」と撫でた。
遥は1年前に怖い思いをさせられた相手にとは思えない愛らしい笑顔を向ける。
「真島のおじさんも、おじさんが好きなんだね」
「好き、かあ…好きとはちゃうねんな、多分」
この黒く蠢く感情を「好き」と表現するには余りに横柄な気がした。
その証拠に、安らかにすら見える桐生の寝顔を酷く傷付けたくもなる。
「また来るで。桐生ちゃんによろしゅうな」
後ろで遥が心配そうに声をかけるが、真島は背中越しに手を振って答えるだけだった。
「あの娘やなかったらなあ」
冬が始まる夜の町に、真島の白い呟きは吸い込まれるように溶けて見えなくなった。
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